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ゾクチェン初祖、ガラップ・ドルジェの言葉



 以前の記事でも取り上げたが、ゾクチェンが何を言っていたのか気になったのもありもう一度『精神の考古学』を見直してみた。

ゾクチェンの初祖、ガラップ・ドルジェの言葉

『急所を貫く三つの句』

I 第一句「自分の面目に直に向かい合う」について。セムニーは瞬間的に生起する生き生きとした直接的意識であり、過去・現在・未来の時間性に関わるすべての思考を超越している。それ自体が原初的な知性(イェシェye-shes)であり、自発的に生起する本来的な意識(リクパrig-pa)である。これを知ることが自分本来の面目に直に向かい合うことである。

Ⅱ 第二句「その状態にしかと留まると決定する」について。サンサーラとニルヴァーナのどのような現象が現れようとも、それらすべてが本来的な意識であるリクパに内蔵された力(リクパイツフル rig-pa'i rtsal)の潜在力ないしは創造的エネルギーを示している。それを超え出ていくものはないので、人はこの特異にして唯一の意識(リクパ)にしかと留まることを決意しなければならない。そこで自らこの唯一無二の意識に留まり続け、それ以外のところに自由の場所などはないと確実に知らなければならない。

Ⅲ 第三句「解脱は必定と直に確信し続ける」について。粗大な思考であれ繊細な思考であれ、どんな思考が心に湧いてきても、それらは法身(ダルマカーヤ dharma-kaya)の広大な拡がりの中に生起したものとして、生起と同時にすでに自己解脱している。法身においては空と色とは分離されないのである。そこですべての思考はすでに解脱していると確信しなければならない。

『精神の考古学』p154

ガラップ・ドルジェの遺言は、野性味にあふれてとても魅力的だ。まさに「急所を突く」鋭さで、ゾクチェン思想の本質をわずか三句で言い当ててしまっている。-中沢新一-

今回は第二句に注目したかった。

因みに、第一句と第三句はサルトルも同じことを言っていた。第一句は「即時と対自」、第三句は「意識の内側には何もない」である。

第二句の、“自らこの唯一無二の意識に留まり続け、それ以外のところに自由の場所などはない

ということは、自らはそれ以上でも以下でもない、唯一無二の自分にとって、「そこ」が、一番自由だと感覚できる場所ということ。

その場所は精神性の位置のでもあり、聖性の位置でもある。本人が一番自由と感覚するところに留まり続ける。それが確定している。

つまるところ、これは「人生はそのように設定されている」と同じ意味だと思う。

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