じゃがいもの切れ端を愛でるひと時
皆さんのnote記事を拝見していて、ハッとさせられることがある。それは、子供が嬉しいことや驚いたことがあった時、母親に「聞いて!聞いて!」と話しかけるように素直で澱みなく、息もつかずにザーッと書かれたような文章に出会ったとき。書くというより話しているような文に、私も読むというより聞いている気分になる。『歳を重ねれば重ねるほどこうは書けないよなぁ』と思うし、とても素敵なことだと思う。そして、ちょっと羨ましい。
一昨日は仕事始めだった。私が社会人になりたての頃、仕事始めの日は若手女子は振り袖を着て出勤した。私も1度だけ経験がある(笑)しかも、その日は部署の皆でお茶菓子片手に歓談した後、近くの神社にお参りに行って、昔で言う半ドンで帰ったはず?この話しに頷ける方はご同輩(笑)もう、30年も前のことだ。今はもちろん、キッチリ定時から定時まで仕事をした…。
帰宅すると、冬休み中の娘がキッチンでじゃがいもを薄くスライスして自家製ポテトチップを作っていた。それを横目に自室に向かい、部屋着に着替えてリビングに戻るとキッチンから「終わっちゃうから早く来てっ!凄いよ!凄いよ~っ!」と娘が呼ぶので、キッチンに向かい指差されたてんぷら鍋の中を覗きこむと、キレイに丸くスライスされたじゃがいもが鍋のふちに散っているなか、細長い半円形の切れ端ひとつだけが鍋の中央で小粒の泡を細く長く吹きながら黄金色の油の中を小舟のように進んでいた。「ねっ!舟みたいでしょう!凄くないっ!?」娘ははしゃいでいた。私は内心『このじゃがいもより、こんなことでこれだけテンションの上がるあなたが凄いよ。』と思ったけれど、「ホント、凄いね~!」と二人でじゃがいもの切れ端を見つめた。娘はその後も「どうしてこうなるんだろう?調べてみたい。」と興味津々の様子だった。
たわいのない日常のひとコマだけれど、楽しそうな娘を傍で見ていられる幸せを感じた。家族に限らず、人の楽しそうな姿を喜ばしい気持ちで眺められるって幸せなことだと思う。これも、歳を重ねるほどに難しいのかな?いや、逆に今の私はそんな機会が増えている気がする。若い頃の方が嫉妬やエゴで複雑な気持ちになることがあったけれど、今は素直に楽しそうな姿を見るとこちらも自然に嬉しくなる。そうなると、やっぱりあの歌詞は素敵だよなぁ…と改めて思う。紅白でのエレカシ演奏曲「俺たちの明日」
この曲で一番好きな歌詞だ。こう思えるって素敵なこと。そして、案外難しい。私もこんな気持ちで身近な人と付き合っていきたいと思っている。こうして、今年もエレカシからスタート出来る私はやっぱり幸せ者だなぁ…と思う。
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