お茶になったらおしまい
昨日は仏壇に上がっているお盆に頂いたお供物を下げた。ひとつ、ひとつ『御仏前』の熨斗がかけられた包みを丁寧に解いていく。関西に住んでいる親戚からの包みは『御供』の熨斗で、しかも内熨斗になっている。やっぱり昔からの都がある地域は上品だな…と思う。包みを解くと、クッキーの詰合せ、老舗の水羊羹、色とりどりのフルーツゼリー、素麺、佃煮の詰合せ、お線香等々…。夏らしいお供え物が多く、有難く家族で頂くことにする。
仏壇に位牌がいくつも並び、鴨居には故人の写真が並んで飾られている昔ながらの仏間で、夕暮れに一人静かにこうしていると、たまに、あの世とこの世の境に居るような不思議な気持ちになる。
昔はお葬式の返礼品はお茶や海苔が定番で、母屋の戸棚には常に返礼品のお茶や海苔が積み上がっていた。ある時、義母が戸棚からそのお茶を取り出して「お茶になったらおしまいだ…」と言って茶筒に移しかえていた。そんな義母も随分前にお茶になってしまった。「今はコーヒーや紅茶のセットとか、調味料のセットとか、好きな返礼品を選べるお葬式が多いですよ。それに、最近は家族葬というのが増えてお茶にもなれないみたいです(笑)これも時代ですね。」なんて義母に心の中で話しかけてみる。すると、開け放った網戸も無い外廊下のガラス戸を越えて畳敷きの仏間までスーッと涼しい風が吹き込んできたりして「そうねぇ、これも時代だから仕方がないねぇ。」なんて答えてくれたような気分になる。
今年のお盆休みは体調不良でお盆の行事以外は何も出来ずに家でゴロゴロしていた。そんなに長引きはしないと軽く見ていたけれど、お盆休みに夜な夜な飲もうと買い込んでいたモヒートも飲めずにキッチンに置かれたままになっている。普段は出来ない夜更かしも楽しみにしていたけれど、それも叶わなかった。
冷蔵庫を開けると普段は買うことのないゼリーが上段の前列に並んでいて、オレンジ、白桃、シャインマスカット、巨峰等々のカラフルな色が目に入り『あぁ、今年もおかげ様で無事にお盆を終えて、夏も終わっていくな…』と思う。
そして、冷蔵庫の野菜室にはどうしても切り分ける気になれなかった頂き物の小玉スイカが2個も入ったままになっている。そういえば頂いたカボチャも未だ煮ていない。箱で頂いた立派な桃も放置してしまい何個も無駄にしてしまった…。
そうこうしているうちに昨日はたくさんの梨を頂いた。郵便受けには10月上旬の法要の案内状が入っていたし、来月にはお彼岸もある。まだまだ暑い日が続いているけれど、こうして秋の行事がやってくる。体調不良のなかでの仕事と家事と嫁業の両立はなかなか大変。30代、40代と違って今は過重労働に思えてくる。『このままじゃ、お茶になる日も近いかも…』なんて弱気になる。それでも『9月にはエレカシのロッキンがあるし、まだまだ私はお茶になるわけにはいかないのよっ!』と奮起する。その辺がたくましい昭和世代。
あー、でも明日からまた仕事が始まる。家事もある。休日には家の諸々がある。たまにはこの周回から少し外れて嫁の着ぐるみを脱がないとね…とほうじ茶を飲みながら、今では希少となったご同輩はどうしているのかな?なんて思ったりもしている。