正義と傲慢
先日聴いたあるラジオ番組で、パンサー向井さんが「正義」とは何か?
という話をしていた。
番組収録でアンパンマンについて語る際、考えたらしい。
正義とは何か?
向井さんはアンパンマンの、誰かが困っているとき自分の顔を分け与えてまで他者を助ける、いわゆる「自己犠牲」の精神が「正義」だと話す。
(なんだか「ないたあかおに」の青鬼みたいだ…。)
その自己犠牲の上に成り立つ正義について、相席スタートの山添さんに話したところ、「衛生的にどうなん?」と言われたらしい。
いかにもジョーカー山添、視点の卑屈さに私は一度感嘆した。
でもたしかに、一理ある。
だって、いきなり、どこを寝転がったかもわからない、
空気に常に触れているアンパン、正直、渡されても食べたくない。
だってお腹壊しそうだし…。
そんなトークで、「正義」とは「傲慢」さと表裏一体ではないか、
という結論に至った。
優しくします、あなたを助けます、私の中の正義で。
だけどそれって、ありがた迷惑かもしれない。
しかし優しさを与える側の人間としては、
「感謝してほしいな」と、一ミリは思う。
めちゃくちゃ傲慢じゃないか。
アンパンマンはそんな、感謝してほしいなんてこと思ってないかもしれない。
だけど、優しさを受け取った側の人間として、
「ああ、受け取ってしまった、感謝しなければいけないな」
と、別にいらないけど、でもその人の優しさだろうし…、と
受け取らざるを得ない状況になるかもしれない。
難しい。
誰かを想った優しさも、仇になるかもしれないのだ。
正義っていったいなんだろう
正義が成り立つ条件について、しばらく考えている。
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