「あいつダメだなって」
わたし最近、すっかり日テレ系日曜ドラマ「だが情熱はある」にハマっているんですけど、今週2話の若林オーディションシーン、
「ビデオ撮ってる親父の声が入ってて、あいつダメだなって。そんなこと言う!?あいつダメだなって、分かりますよね、これ言っていいのって、進学校の教師ぐらいですよ。いやそれも違うか。少なくとも親が言っていいことじゃなくないですか?!」
と叫んでいるのを観て、考えることがあったのでここで。
ひとまず思ったのは、あぁ、こういう忸怩たる想いは言葉にして誰かに伝えてしまわないといけないんだな、ということだった。
誰かに言って、聞いてもらわないと一生自分がその言葉に悩まされることになるから。こういうのはきっと、叫んで、共有して、自分の中でスッキリさせていかないとダメなんだな、って。
というのも、私自身、母親に言われた言葉で何度も悩まされてきたことがある。
例えば、弟が生まれた際、私の顔のコンプレックス(病名つき)について
私が皮肉ながらに「弟は、何もなく生まれてよかったね」と言ったとき、
母親が泣きながら「ありがとう、そう言ってくれてよかった」と。
わたしが一体そのときどんな惨めな想いをしたか。
皮肉で言ったのに、なんで私だけと叫びたい想いでいっぱいなのに、
母親が流す涙のせいでどこにも吐けなくなった当時小学生の頃の私の気持ちに何度苦しめられたことか。
例えば、父親と母親が離婚する際、「あなたはパパのほうに行きなさい。ママは弟のほうを連れていくから」と言われたとき。私だってママのほうについていきたいと思っていたのに。あなたはいらないと間接的に言われたわたしがどんな想いだったか。
「あんたなんか」と言われ続け、都合のいい時だけ「あなたは私と違ってできる子だから」って。そんな風に言葉で踊らされ続けてきた私の気持ちはどうなんだよって。
怒られるたびにそろばんを真っ二つに折られたり、生姜焼きのたれを投げつけられたり、蹴られて、叩かれて、それが嫌で逃げると追いかけまわされて、何度も怒鳴られて、最後は泣かれて、なんだか全部私が悪いみたいで。
虫が大嫌いなのに薄暗くて虫が多い倉庫に1時間閉じ込められたり、玄関先の階段に枕を置いて夜を明かさざるを得なくなったり、
あのとき、私がもっと声をだしてだれかに言えていたらもっと違ったのか。
何度も電話相談しようとした。だけどやっぱり母親が大好きで、母親を悪者になんてしたくなかった、できなかった。
必ず次の日には泣きながら謝ってくれるから、手紙を書いて置いてくれているから。
なんだよ、あのとき。わたしだって言いたいことはたくさんあった。
「少なくとも親がすることじゃなくないですか?!」って、
誰かに叫ぶだけで良かった。聞いてほしかった。
それを言えなかった私は、いまだにそれを根に持っているし、
その想いはまだ心の一番やわらかいところに残っている。
ある本の「家族や親って言葉を鎖にしちゃだめよ」という一文に、これからの人生は自分のものだから、自分で責任を負わなければいけないと思わされようやく少し解放されたけど、
それでも私の深い部分に鈴のサイズとなって沈殿している。
きっと、これから先何があってもそれが消えることはないんだと思う。
だから、そういう想いは、すべて言葉にしたほうがいいよ、と私はいいたい。
髙橋くん演じる若林の熱量を観て、そう思った。
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