かわいいは武器だが、ただの武器にすぎない
突然ですが、私はかわいいです。自分でも思うし、17年生きてきた中での周りからの扱いを見ても、そう言えます。
学校でも、snsでも、街を歩いていても、買い物していても、バスに乗っていても、旅行をしても、それなりの扱いを受けます。女の子はニコニコしているだけで仲間に入れてくれて、男の子はどれだけ雑に扱っているつもりでもずっと優しくしてくれます。
女の子は、可愛いだけで生きていけるとよく言われます。
少なくとも、可愛いという武器で食っていくことはできてしまうと思います。
ですが2020年の今、可愛いというただそれだけで、自分自身の心も含めて絶対的に生き残っていくことは不可能だと気づきました。
「可愛い」が無敵の時代は、もう終わりを迎えると思います。
可愛いというのは、もちろん得をすることは多いですが、その分代償も大きいです。周囲の期待、勘違い、偏見を向けられたり、ステータスのアピールや、男の身勝手な性欲のために消費されたり。
可愛いだけで生きていけると思って、自分の醜い部分を殺すばかりで、他になにも武器を持とうとしなかった私は、年齢が上がっていくにつれ、次第にそういう汚い部分ばかりを受けるようになり、ついに身も心もだめにしてしまいました。
私は今、そんなこんなで1週間に半日ほどしか学校に行っていません。
自律神経が関係する病気で、調子の良い時しか学校に行けていません。
こんな死にそうなほど虚無な毎日の中でふと考えたことは、女の子は、どうして自分のことをかわいいと言ってはいけないのだろう、ということです。
そりゃあ、どんなに得意なことがあっても、過剰に自慢したりせずに謙虚な姿勢の方がいいとは思います。
けれど、かわいいということに対しては、謙虚を通り越して、「自分でそう思ってはいけないこと」のようになってしまっている気がするのです。
はっきり言って、可愛いだけでは生き残れない。そんな世の中だからこそ、自分が可愛いのを認めるくらいはしてあげた方がいいのではないでしょうか。
もともとは女の幸せとは、出来るだけ良い男と結婚し良い家庭を築くことがほとんどだったと思います。それだけを考えたら、仕事の能力や芸に富んでいることよりも、見た目がいいことの方が、とっても大きな利点だったと思います。
けれど女性の社会進出やその方法、多様性が叫ばれ続け、その結果でもあり過程でもある現在は、幸せの形はそれだけではなくなりました。他の人に頼らなくたって、自分のありとあらゆる武器で生きてくことがやっと許されるようになってきました。
すなわち、「かわいい」が絶対の世の中ではなくなったと思うのです。
いろいろな技術の発達や、価値観の変化にもより、可愛い子の母数自体も多くなりました。
ちょっと前までは「かわいい」は、持ち主にとっても周りにとっても唯一無二のものだったと思いますが、今は違います。勉強ができる、話がうまい、というような、いわゆる「普通」の武器の一つとなっていると思うのです。
かわいいのが普通、という意味ではなくて、かわいいも他の武器と同じように扱われるようになってきているということです。
勉強ができたりなにか楽器ができたりするのを誇りに思って、さらに高めたり、なにか傷つくことがあった時の拠り所にするように、かわいいというのも認めてしまったほうが絶対に楽です。
可愛いの母数が増えた今でこそ、自分を可愛いと思う気持ちを抑え込んだ人がいるのではないでしょうか。私もそのうちの1人でした。そんな人たちに伝えたい。気負わないで、自分のことを堂々と可愛いと思ってください。周りには言うことができなくても、自分で認めることで絶対に楽になります。
でも正直、そんな人たちよりも、自分のことを可愛いと思えない人の方が多いんじゃないでしょうか。その気持ちもわかります。こんな自信満々に見える私でも、周りから何と言われても自分の容姿ですきになれないところなんて沢山あります。ですが、再三言いますが、今この世の中は、可愛い人が本当に多いです。絶世の美女じゃなくても、だいたいの人が可愛い世の中なのです。自分では気にしていても、周りから見たら大した事ないことがほとんどです。
可愛い人が多くなったということは即ち、可愛いという武器の価値が以前より低くなったということです。自分のことを可愛いと思えない人も、他に自信があることがたくさんあるのではないでしょうか。可愛いの呪いばかりに囚われずに、その武器を愛してあげる生き方も絶対できると思います。(それでも見た目ばっかり言ってくる人は無視です!)
それでも絶対可愛くありたい!と思う人の味方も沢山あると思います。今の時代は、垢抜けたいとか可愛くなりたいと思っている人達への情報がすごく増えて簡単に手に入るようになったし、美容整形などへの偏見も、まだ完全とは言えませんがだいぶなくなってきていると思います。自分の容姿に納得できなければ、努力さえすれば、理想に近づけることは不可能ではなくなったと思っています。
とにかく言いたいのは、「可愛い」を神格化しないで欲しいのと、女の子にはみんな自分のことを可愛いと思ってもらいたいということです。それと、可愛いということの価値は、良くも悪くも思っているより高くないんじゃないかということです。価値が高くないと言ったら誤解を生みそうですが、今の社会は、必要以上に「可愛い」というものを重い言葉にしていて、どんな方向にしろそれに苦しむ人達が沢山いるのではないか、という意味です。
可愛いの神格化は、現代社会ではあまり生み出すものがないと思います。男性にも女性にも、そんなものはもう古いと思っていただきたいのです。
誰かの言った「可愛い」や「可愛くない」に囚われないで、自分だけの、自分の信じた「可愛い」にちょっとでも近づくように頑張っている人たちは、みんな堂々と自分のことを可愛いと思ってほしいです。
そんなことを1人部屋の片隅で、蝉の鳴き声を聞きながら考えていました。
でも、それでも、誰よりも可愛くありたいと思って、可愛いをすごく重要視してしまう時もあるのが女の性だとは思いますが。
私もこんな文章を書いておいて、自信満々かと思いきや急に自分がすっごく醜く見えたりすることを繰り返して、ぐちゃぐちゃの気持ちで日々過ごしています。
ああもう、全部むずかしいですね。一つ確実に言えることは、こんな生きづらい世の中クソ食らえ!!です。
とりあえず可愛いだけじゃダメだと気づいた私は、元から好きだった「考えること」を伸ばして、いずれ武器にしていけるように、noteに自分の日々考えていることを綴っていくことから始めてみました。思ったより難しいものですね。こんなに自分のどろどろを外に吐き出すのは初めてでちょっと不思議です。
数少ないであろう見てくれている方、最後までお付き合い頂きありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?