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気持ちを本気で受け止めるということ💛(時間をかけてたどり着いた叔母への思い🎵)

今回の記事では、東京の介護付き有料老人ホームで暮らす叔母の気持ちを本気で受け止めるということはどういうことなのか、時間をかけてたどり着いた叔母への思いを書いてみたいと思います。

ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです💕

叔母へのサポートと葛藤について

昨年の1月に東京で一人暮らしをしていた叔母が緊急入院して、退院・介護付き有料老人ホームへの入居、その前後の様々なサポート、そして昨年11月に叔母を連れてきて共に旅を楽しんだ濃い一年が終わりました。

一緒に旅を過ごしているとき、叔母は何度も何度も
「恵子ちゃんにはお世話になって、Yさん(私の夫)にもお世話になって、お礼してもしきれない」
「何でお礼をしたらいいのだろう」

と言っていました。

それは、一生懸命見返りも求めずサポートしてきたことに対して、とっても嬉しい言葉でした。

でも、叔母のこれからの生きる場所についての話し合いをしたときに、叔母が入居しているホームを悪く言ったり、「一人暮らしがしたい」など、私が思ってもみないことを言い始めたのです。
もちろん誰もが「家に帰りたい」の気持ちは当然の思いだとはわかっています。

でも、
「マンションには帰れないし、空けておいてももったいないから、誰かに住んでもらえないかねえ」との言葉で始まった長男の引っ越し、
「今住んでいるホームに最後までいる気持ちはない。最後は群馬のホームに入ります」
と言っていたから、進めていたことに対して、それを否定することまで・・。

詳細は以下に書いてあります。

「思いに寄り添う」とは、
無理と思っても、叔母の願い、一人暮らしが出来るようにサポートすべきなのか、
一人暮らしは無理だと私達の思いを伝え続けるのか、
葛藤しています。

ここでのコメントでは
「正解がないからこそ大変」と何人かの方に励まされました。

その後、本や多くの仲間やお友達のアドバイスで、学んだことを以下の記事に書きました。

〇過去と他人は変えられない 未来と自分は変えられる
叔母を変えよう、変えよう、としてもそれはできない。
変えようとすることが自分率を下げている。
自分に出来ることは何か、という視点を大切にしたいと思う。
そして、時間の力にも頼る。

すぐには解消できなくても、時間が経てば自然に解消していく悩みもあるし、自然に一番良い道が備えられるのかもしれない。
二か月経ち、半年たち、一年経った時に、叔母が今より元気になり、マンションでの一人暮らしが可能になるかもしれない。
もしかしたら、もっと老いるかもしれない。

でも、今、未来を決める必要はない。
そして、もしかしたら、こちらで暮らしたいと叔母が思うようになるのかもしれない。
今は、それをみんなで祈っているが、それは私たちの思いの通りになるように、と祈るのではなく、最善の道が備えられますようにと祈りたい。

少し距離を置きながら過ごしていましたが、今度は逆に距離を置いたことで叔母が思いを強めてしまったという経験をしました。
そのエピソードは、以下の記事に書いてあります。

そんな私でも、「対話する」大事さを感じているにも関わらず、個人的には文字を通しての言葉だけで繋がらなくなる、気持ちが届かなくなる経験もしました。
それが数人との関係で起こり、落ち込んだこともありました。

その一人でもある叔母との関係。。。
会っているときには親しく過ごしたのに、会えなくなり電話もできず、手紙だけになり(手紙も意図的に減らした)誤解をさせてしまい、お互いに悲しい思いをしてしまいました。

もし会って顔を合わせて話が出来ていたら、寄り添ってハグしあえていたら、
もっと早くお互いの気持ちを確認しあえていたら、と思わされます。

逆に、何も見返りを求めずしてきたことを誤解されるショックや痛みも大きいものでした。
良かれと思って距離を置くことで、気持ちが通じあわないという経験は誰にでもあるかもしれません。
思いをアウトプットする、言語化する、のはもちろん伝えたい思いの実現でもありますが、やはり一方的に語っても、うまく伝わらなかったり、誤解を生むこともある。
言語化の素晴らしさと言語化の怖さも感じます。
それでもそこで諦めるのではなく、勇気を出して自分から一歩を歩み出ることも大切かもしれません。
でもそれも「時」やタイミングもあるでしょう。焦らず「時」を見ながら、繋がっていけたらと思っています。私にも時間が必要なのです。そして今は言い訳や説得をするつもりもないのです。思いが伝わるというのはやはり顔を合わせないと無理なことも多いと気が付いたこの一年でした。ゆっくり焦らずお互いの雪解けを待ち、気持ちを伝えあえる時を待ちたいと思っています。

そして、たどり着いた思い

昨日、年末年始叔母からの連絡もなく、叔母の介護認定のこともあるので、久しぶりにホームに電話をしました。

ホームの方からは、介護認定は終わったこと、結果は1月末までに出ること、
さらには、叔母がホームの入居者と大喧嘩をして、少し孤立していることなども聞きました。

叔母のいらつき、「いつまで私はここに入れられているのだろう」という被害妄想的な思い。

それを解決するのは、叔母を説得して群馬に連れてくるのではなく、
できるかできないかは横に置いて、最後まで叔母の思いに寄り添うことではないか、
だとしたら、叔母の思い「自分のマンションに帰りたい」を手伝うことではないか、とやっとたどり着きました。

その決心に至ったのも、言語化をしたからでした。
私が一人でもやもやと思っていたこと、を朝散歩で弟に初めて告白したのです。
弟は私の話を聞き、
「仕方ないんじゃない?マンションに返すしかないよ。」と言い、
「でも、お姉さんが一人で抱え込まないで、できることだけすればいいんだよ」と・・。

なんだか、気持ちが軽くなったのです。

まだホームにも伝えていないし、これからもう一度叔母と話し合わなければなりません。
群馬のサ高住であれば、一人暮らしをしながら支えることができると思っていたけど、とにかく「一度帰りたい」を受け入れ、サポートしない限り、前には進まない。

そんな気付きがあり、母とも相談して、叔母の最後の願いかもしれない「マンションに帰る」をサポートしようと決心しました。

そして思ったらすぐに行動しよう、
と叔母に手紙を書いたのです。

「マンションに帰るためのサポートをします」
と・・。

それをどう受け止めるのかはわからないけど、自分自身がそう思えたことで私は救われた気がします。

本音のところで言えば、

「恵子ちゃんにはお世話になって、Yさん(私の夫)にもお世話になって、お礼してもしきれない」
「何でお礼をしたらいいのだろう」

と言うのであれば、私の言うことを聞いて群馬のサ高住に入ってほしいと思ってしまっていたし、言うことを聞いてくれない叔母に対して、もしかしたら怒りの気持ちまで持っていたのかもしれない。

でも、叔母の気持ちを受け入れ、叔母に寄り添うサポートをしよう、と決めたら、怒りも消え、叔母を優しい目で見れるようになりました。
完全に心が動き変化したのです。

もしかしたら、その決断は、正解ではないかもしれない。
苦労もまた始まるかもしれない。
だとしても、まずは大変でもその実現のために力を注ぐ。
それも、弟に言われたように
「一人で抱え込まず、自分にできることをすればいい」
と思えたこと、これは大きな変化だし、肩の力が抜けました。

なんの見返りも求めない、と言いながら、
本音のところでは
「一生懸命サポートしてきた私に感謝しているのなら、言うこと聞いてよ」というような思いを強め、見返りを求めていたのかもしれない。

でも、そのために叔母の思いを受け入れず、私の思う最善を押し付けていたのかもしれない。

最善とは何か、正解は何か、はわかりません。
でも、その人の人生の最後は自分で決めたいとの気持ちを尊重する。
まずはそこからスタートなのかもしれません。

私は叔母との葛藤の中で、私の遺言書という記事を書きました。

私はすべてを家族の決定にゆだねる、そうありたいと思っています。

でも、叔母と私は違うのです。
私の考え方と叔母の考え方は違う。
私の家族との生活と叔母の「おひとり様」への信念も違う。

どちらが正しいではなく、やはり違いを受け入れて、それぞれの求める人生の最期の在り方を大切にすることが必要だと感じています。

私は、最後は家族の愛の中で安心して暮らしてほしい、もう残り少ない母との時間を大切にしてほしい、
と思ってきました。
でもそれは私の思い。

たとえ、叔母が「高次脳機能障害」により正しい判断ができていないとしても、まずは本気で受け止めようと思えた自分の気持ちが楽になりました。
優しい気持ちになれたこと、とても嬉しいです💕

無理せず、最後まで叔母を支えていこうと思います😊


私の思いを
聞いてくださり、感謝いたします💛

自分の気持ちを整理でき言語化ができる場所、
思いを聞いてもらえる場所、
それがnoteです。
noteの街の住民でよかったと思っています(^^)/

ありがとうございました
<m(__)m>

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