御殿場高原より 54 スマホ先生に訊ねないで

スマホ先生に訊ねないで

 アメリカに住んでいる姪の娘が,フィルムを使うカメラを欲しがっていると言うので,昔使っていたハッセルブラッドとかライカとかミノルタとか,ズームレンズやマクロレンズなども含めて持っている機材をすべて,姪に持って帰ってもらった.最近は日本の新聞にも「フイルムカメラ買います」という広告を見かけるようになったが,アメリカには古いフィルムカメラに魅力を感じている人がいるらしい.そう言えば,アメリカでは「電話とメールだけの携帯電話」が最近よく売れていると聞く.デジタル情報時代にうんざりしているのだ.それで,ふっと思った.アメリカでは,もうデジタルから「アナログ(人間的)に回帰したがっている人もいるのか?」と.
 私は元々機械が好きで,静岡県東部で真っ先に富士通のワープロOASYSを購入した.当時,私の仕事場は御殿場駅前の書店「アサヒ堂」の三階にあったので,東京からわざわざ富士通の部長が訪ねてきて,使用していて不具合・不都合・不便があったら情報を提供して欲しいと挨拶して帰った.ファックスも早々にリースして,三島の印刷所に原稿を送った.原稿だけ載せてタクシーで届ける費用が月に10万以上掛かっていたからである.コンピュータも初代マッキントッシュから使っていて,アメリカの大学生が自分の論文の点検に使ていた,名詞と形容詞の組み合わせのチェックから,文章の論理性のチェックまでしてくれる「マックプルーフ(Mac Proof)」というソフトを利用していた.Windowsはそのあとで,文字打ちには,VZエディターからWZエディターを経て,今でも秀丸エディターで打っている.Wordは原稿の校正に使う.インターネットは通信速度が2400ボーの時から使っている.当時はヴァチカンの文書を取るのに,午前の授業前に当時のソフトMOSAICを操作して午後になってやっと見ることが出来るくらい遅かった.現在,書斎には3台のコンピュータが用途別にセットしてあり,他に寝室にデスクトップと,海外の知人・友人との情報交換や英文を打つために英語版のwindowsを入れたパソコンと,勝手に更新されないubuntuを入れたパソコンを置いて使っている.スマホも2台,一台はデータ保管と電子決済用のExperiaと,もう一台は日常的に使うiPhone.この中には甥がChatGTPも入れてくれたので,カタログやメニューの文章を写真で撮ってword文書に変換したりしている.いろいろな機能を便利に使っているが,メモ帳と万年筆はいつも持っていて,予定を書き込んだり,考えを書き留めたり,図書館で調べたりする場合はこれを使う.スマホを見るのは一日に1回か2回,看護師のマキさんとの連絡のLineを見たり,いくつかのメールアドレスを集中させてあるGmailのタイトルを見たりする程度である.
 世間では,あきれるほどスマホを見ている.駅で電車を待っているとき,電車に乗っているとき,病院で診察を待っているときなど,誰もがスマホを見ている.若い人ばかりでなく,最近はかなりの年配の人もスマホを持っていて,五六十代はもちろん七十代の女性でも,スマホを巧みに使う.その指の動きの巧みさには感動する.品物を探すだけでなく,何か自分の知らないことを聴くと,瞬時にスマホで検索して確かめて「本当だ!」などと言う.現代は「考える」より「調べる」,もっと実感的に言うと,自分で考えることを放棄して「スマホ先生に訊いてみる」が当たり前なのだなと思う.自分の読書・経験の狭い範囲の判断より,無限のデータを元にしたスマホの判断の方が正しいと思う人が増えているのである.昔,コンピュータが導入されたときもそうであった.銀行でミスを見つけて文句を言うと「そんなはずはございません,コンピュータで処理したのですから」と言われて驚いた記憶がある.だって,入力は人間がしているじゃないか,と.今はもっと凄まじい現象が起きているのである.ラジオまでは音と声からイメージを作るという参加型で科学技術を享受していたのだが,テレビが出来てから,人間は脳を受動的にしか使わなくなって,思考力と判断力が無自覚的に低下し始めた.スマホがそれに拍車をかけた.乳母車の幼児までもデジタル機器を持っている.これだと,おそらく,近い将来,子供自身が勉強を拒否するようになると思う.今あるような学校は必要ないのである.覚える必要を感じなくなり,考える必要もなくなり,要するに,人類が長年やってきた,知識を蓄えて,それを利用しながら「考えて」新しい事態に対処するとか,新しい事実を発見するとかいうようなことはAIに任せればよいということ,つまり,勉強する必要はなくなるわけである.何でもスマホ先生に尋ねれば済む.子供たちはもう「勉強しろ」と言われないで済む.勉強するとしても,昔,寺小屋でやっていたように字が読めるようになること,商家の丁稚がやっていたように数字がわかるようになることだけで十分となる.学校は一学期くらいで,文字と数字が読めるようにする程度で十分ということになる.私は現在あるような学校の形態を維持する必要はないと思っている.現在の学校は,実態はすでに崩壊しているのに,富国強兵策の一環として号令一下で動く兵隊を養成する旧来の機関の残骸の上にある,つまり,お上の言うことは無条件で聴いて動く便利な国民を養成する機関と私には思われるのである.不登校,いいではないか.好きなことを好きなところで好きなように勉強する.これがむしろ勉強の本来の姿ではないか.ところが,自分の思考がコンピュータの「見立て思考」に毒されていることに自覚のない人たちやマスコミはこれを問題視しているが,学習支援学校こそ教育の原点として認めるべきだと思う.そうしないと,AI先生の言うことは正しいと無批判に受け入れる集団,決められた思考パターンで良しとする集団,つまり,自分で考えることをしない人ばかりになってしまう恐れがある.先日,Zoomで参加した研究会で,東大を出て,UCLAで学位を取った若い学者が話をした.データも細かく取ってきわめて緻密な研究をしていた.研究の準備も手順も確かであったが,「同じアンケート調査を日本とアメリカで行って,結果にほとんど差が見られなかった」と結論づけた時には驚いた.社会心理学の学者が,社会のあり方が,一方は「個人の共通感覚(common sense)で形成される社会」であり,一方は「世間の常識で形成されている社会」であるときに,「なぜほぼ同じなのだろうか」という疑問をどうして持たなかったのだろうかと思った.いつの間にか研究の手順と考察も定型化している.最近の若手の研究は,国内外を問わずつまらないものが多い.若い研究者でさえこういう定型化した研究しかしない状態なのだから,普通の人たちがスマホ先生の号令で固まって右往左往するのは当たり前である.
 勉強の形が自由になるとむしろ面白い思考が増えると私は思うのだが,それでは国民の学力のレベルが維持できないと心配なら,中学修了認定試験,高校修了認定試験を毎年行えばよい.イギリスでは元々小学校にgraduate(卒業する)はない.leave school(学業におさばらする)である.「ジョン,隣のヘンリーは学校へ行くそうだぞ,お前はどうする?」「俺はまだいいや」である.勉強したくなったら学校へ行く.校長先生と面接して,入る学年を決めてもらう.好きな時に好きなだけ通う.一緒に仕事をしていたイギリス人のベスタ―氏の奥さんは,小学校には行っていない.母親から勉強を教えてもらって,それから11歳の時,国語(特にブリーフィング)・数学・知能テストを中心にした「イレブンプラス」を受けて,いい成績をとって,公立の無料の中学・高校に入ったのだそうで,軍隊では小学校に通ったベスタ―氏は兵卒で,奥さんは将校だったそうである.(ベスター氏は,子供のころ日本語に興味をもって,海軍の語学学校で日本語を勉強し,ロンドン大学で更に磨きをかけ,大学院を出て,日本に留学して帰国しなかった人である)アメリカでは人々は日常のコミュニケーションには米語を使うが,学校設立の要件に,いわゆる「国語」と定められた言語はない.スペイン語で教育をする学校もあれば,フランス語で教育を行う学校もある.ただ,大学に入って一年目に「ハンドブック」を持たされるという.どんなものか知りたくて,友人のアメリカ人のマケーレブにもらって読んでみた.それには大学や社会で必要な手続き,たとえば,履歴書の書き方も含まれているし,基礎英文法も含まれている.彼に言わせると,この段階(大学一年)で英語のレベルを揃えるのだという.フランスでは学校は「勉強」する場所で,学校には月火木金に行けばよく,水曜日と土曜日・日曜日は休みで,「体育」などは原則として家庭で行う.教育は重要であるが,「勉強の仕方」は自由でいいと私は思う.勉強は他の人と競うことではなく自分の無知と競うことなのだから.現在の基準でいう学校教育など,もうスマホで十分なのである.ただ,生物的基本欲求(眠る・飲む・食べる・排泄する)を満たすために共働きしなければならないような国では,学校は子供を安全に預かってくれる「保管場所」として十分存在意義があると思うし,日本のような物的資源のない国は「教育」が無形の資源であるから「勉強する場所」はあっていい.ずっと昔の子供のころ,土地などの資産を残してやれないサラリーマンにとって,子供に残してやれる財産は教育しかないんだと,父から聞いた.それで資源のない日本はもともと勉強国であったのだ,明治維新は上士の子弟ではなく下士の子弟の頑張りで行われた.古くは漢籍に学び,明治の人たちは国力増強のために「国家的に」欧米に学んだ.その成果が百年以上も経ったあと,日本をアジアでは珍しいノーベル賞受賞国にしたのである.今,日本の教育は疲弊している.現在,日本の若者の60%が大学へ行くが,人生においてただ一回の「働かないで多様な価値観を見聞し,体験し,学ぶ四年の期間」という意義は失われている.アルバイトに追われ,将来仕事で必要になるパソコンの操作も覚えずに,スマホにレポートを書かせて大学を卒業する.このままだと,日本人の勉強のレベルは落ち,「考えること」をスマホ先生に任せて,「スマホ先生の言うことだから正しい」と付和雷同的に動き,かつての世界で憧れのシバングは単なる島国になってしまう.本当は,今こそ,「日本はすごいぜ.労苦(labour)はデジタルAIに任せて,「人間らしい(analog)勉強」をしている.勉強するなら日本に行け」という22世紀の憧れのシバングを目指すべきである.日本の子供たちばかりでなく,世界の子供たちが「人間らしい勉強」を求めて来るような社会に日本はなるべきだと思うのだが,もう遅いだろうか.
 「人間らしい勉強」はお金はかからない.いい先達と図書館と紙と鉛筆さえあればいいい.しかし,スマホなしの勉強など,もう,どんな勉強かわからないだろう.たぶん,スマホ先生に尋ねても「人間らしい勉強」といった新造語には答えてくれないだろう.スマホ先生は過去にあった既定のデータでしか答えることができないから.
 このデジタル中心の社会で,アナログレコードが新鮮に感じられるように,またフイルムを使うカメラが貴重と感じるように,紙と万年筆の素朴な「アナログ大学」を新鮮に感じる若者たちがいるのではないかと私は思っている.幸い,私は89年もの年月を生きていて,その間に,二足,ある時には三足もの草鞋を履いていろいろ経験してきたが,その主要な一足は「高等遊民」なので,その古いアナログ大学の「人間らしい勉強」の楽しさを知っている.今でも自宅の書架にないことを調べる時には,紙と万年筆を持って図書館に出かけている.ごく簡単な「人間らしい勉強」の例を書き残しておこう.
 大学というところは,宛がい扶持の期間割で勉強するところではない,自分の過去の全てをかけて「自分で時間割表を作って,知的好奇心を満足させることが求められているところ」と私は思っていた.私は「学生証」という大学共和国のパスポートを手に入れると,自分の学校の時間割を削り工夫を加えて,東京中の大学共和国の聴きたい講義や演習に参加した.学生運動以降,大学は文部省の締め付けもあって自由の度合いが小さくなったが,私が大学生・大学院生の頃は,かなり自由で大らかにいろいろな講義を聴くことができた(と私は勝手に思っている).東京中の大学生が集まっている学生寮に四年間いたので,各大学の情報はあふれていた.友人の東大の禎さんが比較宗教学の講義があるぞと教えてくれたので,一年間拝聴したし,先輩の水之江さんが早大で古美術史を勉強するというので,私も拝聴した.仏像の背の高さと腕の長さの変化,目の形の変化,着衣の種類や変遷,また,白鳳仏は関東では深大寺に一体あるだけであることなどを学んだ.挙句に研修旅行にまで参加させてもらった.高校の後輩の明治学院大学の阿部君とは竹中治郎氏の「当日の朝の天声人語の英作文」の演習に出させてもらった.大学院生の時には東京教育大に下村寅太郎氏を訪ねてルネサンスの根本思潮の講義を拝聴したいと頼んだら,氏は「今年は僕の講義はないよ」と言ったが,毎週,空いている教室で私一人を前にして講義をしてくれた.その講義は『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1961,勁草書房)という本になった.私はサラリーマンの父が出してくれた授業料を最大限に利用して「大学で勉強する」ことを楽しんだ.中野北口の喫茶店「クラシック」や新宿の喫茶店「プロバンス」とか「風月堂」で,コーヒー一杯でクラシックを午前中から夕方まで聴いたりしたが,友達とか女の子とかと一緒のことは一度もなく,いつも一人で音楽を聴きながら本を読んだ.大学院へ進んだのも,大学に残って大学の教員になりたいと思ったのではなかった.ただ少数でじっくり勉強したかったからである.初年度の前期の授業料は父が出してくれ,ちょうど下宿したがっていた妹に父は大きめの部屋を借りてくれて同居させてくれた.私は家庭教師のアルバイトや京王線東松原駅近くの学習塾の英語講師をしながら,人より二年多くかかって修了した.ただ,勉強が好きで知的に楽しみたかったのである.しかし,「知的に楽しむ」と言っても,特別なことではなく,特別にお金がかかるわけでもなく,ごく普通の当時の大学生のすることであった.で,ごく初歩的な知的な楽しみ方の例を一つ出してみる.読んで覚えた知識を利用して自分で考えて新しいことを発見してわかった気になるという簡単なことである.
 大学一年のとき,こんな詩に出会った.

「青空」

1 

最初,わたしの青空の中に,あなたは白く浮かび上がった塔だった.
あなたは初夏の光の中で大きく笑った.わたしはその日,河原に降りて
笹舟を流し,あふれる夢を絵の具のように水に溶いた.空の高みへ
小鳥の群れはひっきりなしに突き抜けていた.空はいつまでも青かった.
わたしはわたしの夢の過剰でいっぱいだった.白い花は梢でゆさゆさ揺れていた.

ふたたびはその掌の感触に
わたしの頬の染まることもないであろう
その髪がわたしの耳をなぶるには
冬の風はあまりに強い

わたしの胸に朽葉色をして甦る悲しい顔よ
はじめからわかっていたんだ
うつむいてわたしはきつく唇を噛む
今はもう自負心だけがわたしを支え
そしてさいなむ

ひとは理解しあえるだろうか
ひとは理解しあえぬだろう

わたしの上にくずれつづける灰色の冬の壁
空の裂け目に首を出して
なお笑うのはだれなのか
日ざしはあんまり柔らかすぎる
わたしのなかの瓦礫の山に こわれた記憶に

ひとはゆるしあえるだろうか
ひとはゆるしあうだろう さりげない微笑のしたで

たえまなく風が寄せて
焼けた手紙と遠い笑いが運ばれてくる
わたしの中でもういちど焦点が合う
記憶のレンズの・・・・・・
燃えるものはなにもない!

明日こそわたしは渡るだろう
あの吊橋
ひとりずつしか渡れないあの吊橋を
思い出のしげみは 二月の雨にくれてやる

 これは大岡信が十八歳から二十五歳までの間に書いた詩を集めた詩集の中の一つで,私の好きな詩である.今,この詩を読むと,何故か,彫刻家掛井五郎の初期の作品「ロトの妻」像が目に浮かぶ.すでに私の思考はアナログ的になっている.生前の大岡氏に「私の書くものは横書きの情報文字列ですから,引用する場合には横書きにしますよ」と言ったら,「私の詩は,縦書きで読んでほしい」と言われた.そう,日本語は縦でないと詩にならないと私も思うのだが,ここでは横書きを許してもらう.詩のタイトルは「青空」.どうして「青春」ではないのだろう.「あなた」とは恋人だろうか.それとも「青春の女神」のことだろうか.
 それを解くには,「二月の雨」の意味を知らなければならない.
 ウイリアム・フォークナーに高く評価され,後のビート・ジェネレーション作家に大きな影響を与えたアメリカの小説家トーマス・ウルフ(Thomas Wolfe)の『時間と川について』(On Time and the River)の中であったと思うのだが,「青春」をこう言っていた.

 「それはこうである.豊かではあるが我々はあまりにも貧しく,力はあるが我々はまだ何も手にいれることができず,自分のまわりにあるこの地球上の,信じられぬほどの富と栄華を,見,吸い,嗅ぎ,味わい,我慢ならないほどの確信をもって,この魅力あふれた人生の全てそっくり―かつて誰も知らない最も幸運で,裕福で,素晴らしい幸福な人生―が,今にも,すぐにも,永久に,我々のものになると感じて,一歩踏み出そうとしたり,手を差し伸べようとしたり,ひとこと言おうとしたりするその瞬間に,何も,確実にとらえ,つかみ,所有することができないのだと我々は知っているのである」

 そうすると,「青春」とは「冬」のことだ.だから,「青春」とは書けなかったのだ.だから「青空」なのだ.詩は既知情報を使って抽象概念を具象化して新しい概念を感覚的に納得させる.では,「たった一人でしか渡ることのできないあの釣り橋」とはどういうことであろうか.すぐ,子供の時に読んだグリム童話の「ヘンデルとグレーテル」が思い浮かぶ.この物語には「一人で川を渡る」という場面があった.
 フロイト派精神分析によるメルヘン解釈の金字塔ブルーノ・ベッテルハイムの『ヘンデルとグレーテル』(『昔話の魔力』(波多野乾訳・評論社)では,次のように分析して見せてくれる.

●兄妹は森に捨てられる
→子供は自分自身を発見するために旅に出なければならない.→世に出て独立した人間にならなければならない.

●だが,家に帰りたいと思い,一度は帰り道を見つける
→まだ世に出る勇気がなく,まだ親に依存している.

●母親は再び子供たちを捨てる
→生きていく上での問題に退行と拒否で対処しようとしても無駄で,問題を解決する力を弱めることにしかならない.

●最初は小石を落としていく
→すでに知恵が働いている.

●二度目はパン屑を落とす
→すでに親から離れて良い時期であるのに,現実を拒否するので,知恵が十分に働かない.

●お菓子の家
→口唇的欲望と,その欲望を満足させることがどんなに素敵であるかをあらわしている.→それらを全てを与える母親の身体.ヘンデルの家と魔女の住むお菓子の家は,心理的には同じ家の二つの面をあらわしている.

●無制限な貪欲は破滅につながる=母親の否定的な面=人食い魔女=母親の破壊的側面
→子供たちは生き残るためには,口唇的欲望の充足をあきらめて,知的に行動しなければならないことを知る.

●それで魔女を退治する
→口唇的不安を克服して,口唇期を脱出する.

●お菓子の家に行くときにはなかったのに,帰りには川がある.二人はそれを一人ずつ別々に渡らなければならない
→学齢に達したら,自分の独自性や個性に気付かなければならない.

●兄妹はもとの家に帰る.母は死に,父だけがいる.
→母(=魔女)は自分たちで殺して(克服して)いる.
→口唇的・エディプス的な問題は,自分の家にいて,親にまだ依存しているうちに解決すべきである.

 ここでは「一人ずつ川を渡る」が大人への「通過儀礼(initiation)」として使われている.「たった一人でしか渡ることのできないあの釣り橋」も同じ意味で使われているのではないか?
 それにしても,この詩では,「死」から「生」が生まれるというイメージになっているのはなぜだろう.日本では人生を「生まれて死ぬ」ととらえて「死(後)」に比重をおいているが,西欧では,たとえば,エジプトの神話に『オシリスとイシス』があり,そこでは「生」は「死」から生まれることを暗示させている.古来,西欧では,「生」は「死」から生まれると解釈して「生」に比重を置いて「生」を歓ぶ.たぶん,これは風土(緯度)に関係している.私は三月下旬に好んでフランスに出かけた.風はまだ冷たいのに,光は暖かく早咲きの八重桜が咲いている.暗く寒い冬が終わって春が来ることを人々が心から待ち望んでいる.だから,この時期には旅人にも優しい.明るい笑顔で迎えてくれる.大岡信の「青空」は,表層記号を解読すると,このような季節の動きのイメージを背景に大人とは「青春の死」の層を乗り越えた上の層(生)なのだと「勝手読み」できる.「青春の喪失(二月の雨)」ではなく「大人になる決意(青空)」なのだ.このような多層性によって,この詩は青春の不安定と曖昧さを超える決意を示していて私に共感をもたらすのである.人は失って大人になるんだ.雄々しいものなんだな,と.
 しかし,それがわかってどうする.いい年をして,何をしている.働かんかいと世間的な価値観で問われると,大学は消えてしまう.
 大学は,一見何の価値もない「思考ゲームのセンター」のようである.それは,現実の世界の価値観とは何ら直接的な関わりはないかもしれない.しかし,それだからこそ,物の本質を裸のまま自ら捕らえるという視点を得ることが出来るのである.そして,かつては,世間は大学が,また大学生が,その思考ゲームに無我夢中であるる限り,その存在・四年間を許していた.それだから,この知的なゲームセンターにはスマホ先生もスマホ生徒も異分子なのである.
 更に「知的な遊びとは何か」を知りたかったらノーマン・マルコム著・藤木隆志訳『放浪―回想のヴィトゲンシュタイン』(1974/09/30,法政大学出版局)を読むとよい.
 ヴィトゲンシュタインはオーストリアの哲学者で,現代の論理哲学を確立した人である.最初はマンチェスター大学でジェットエンジンの研究をしていたが,「数学基礎」というものに関心を持った.彼は担当教授に,この点について誰に学べばよいか尋ねた.すると,ケンブリッジ大学のバートランド・ラッセルだろうと教えてくれた.ヴィトゲンシュタインは,ケンブリッジ大学に入り直す.そこで哲学概論をとる.担当はムーア教授である.
 大学院に入り,研究することになり,ラッセルが指導教官を務めることになった.ラッセルは同僚のムーア教授に「ヴィトゲンシュタインというのはどういう学生かね」と尋ねる.すると,「彼は優秀だよ.一番前の席に坐って,僕の言うひとこと一言に首を横に振って否定していたからねえ」とムーア教授は答えた.
 ヴィトゲンシュタインが提出した論文は,極めて優秀であった.ラッセルとムーアは学位を与え,特にムーア教授は,自分の哲学教授のポストも渡した.新学期が始まると,ヴィトゲンシュタインの教室にムーア氏が出て,熱心にヴィトゲンシュタインの思考を聞いていたということである.
 「知的に楽しむ」とは,本来,こいうことであり,大学とは,もともと,こういう「知的にフェアなところ」である.
 今,私たちの何人かは,科学技術(の成果)に追い立てられているように感じるていて,それでアナログ文化(フィルムカメラやアナログレコード)に回帰しようとしているのかな.スマホ先生に尋ねるのは情報の奴隷になることであり,受動的で非生産的である.たぶん,能動的で生産的な少数者は自分で「時間割表」を作って,紙と万年筆を持って,物・事を見て,「自分で考える」という方向へ向かってると思う.図書館とか,森の中とか,静寂な環境の中で.

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