御殿場高原より 51 衣食足りて礼節を知る
衣食足りて礼節を知る
一人住まいの私を心配して,アメリカにいる姪からメッセージが入った.「ネットで集められた若者たちが犯罪に関わるニュースを見て,悲しくなりなります.どうして物事の善悪がわからないのでしょうか.何かが狂っている.今の社会はあまりにも荒んでいると感じます.オオ僕は森の中の生活で,人を疑うことなく生活をされてきたと思いますが,世の中には常識では考えられないおバカさんがいっぱいいます.どうぞ,つまらないことに巻き込まれように気をつけてください.」
私が窓も玄関も開けっぱなしで生活していることを心配してのメールである.買い物に行く時には「宅配さんへ.中に入れておいてください」とビラを貼って網戸だけ閉めて行くから不用心と心配してくれたのである.
でも,ご心配なく.家にはセコムの防犯装置が付いているし,人感センサー付きのカメラや警報器もセットしてある.夜に誰かが近ずくと大音響で音楽が響くようにしてある.音楽は二階の寝室まで届く.万一侵入されても二階にいるので,大丈夫である.二階と言うと逃げ場がないようであるが,階段は一人ずつしか登れないので,防御しやすい.階段にはすぐ登れないように寝る前に大きな針坊主(御殿場のサロン・ド・ココに作ってもらった)をセットするようにしてある.その上,アルミの槍を置いてあるし,後始末のし易い最強の武器は「熱湯」である.階段のそばのコンセントに温度が低くなると自然にスイッチが入って沸く電気ポットが置いてある.針坊主でもたもたしている間に,このお湯を上から少しずつ浴びせる.熱くてたまらず,マスクは取るだろうし,頭巾もとるだろう.その様子はセットしてある見守りセンサーで一部始終が記録される.見守りセンサーは,ペットや独居老人だけのためのものではない.
それにしても,こんな馬鹿な準備をしなければならないとは! 原因は,国民の貧困であり,それを作った政治の貧困である.
紀元前650年頃に,古代中国の管仲(紀元前645年没)に仮託して書かれた『管子』には「牧民」(民を養うには)という項目があり,次のような文言がある.
「倉廩実則知礼節,衣食足則知栄辱」(倉廩実れば礼節を知り,衣食足れば栄辱を知る)(松枝茂夫・竹内好監修『中国の思想』第八巻「菅子」松本一男訳・徳間書店・1969/03/01・pp.70-71)
一般に知られている人類の知恵の一つ「衣食足りて礼節を知る」の原典である.この文について,辞書には,「人は生活が豊かになって初めて,礼儀正しくなり節度をわきまえるようになる」と説明されている.しかし,これは礼儀作法のことを言っているのではない.私には,生物学的には人間は動物であるから,動物としての欲求「飲む・食べる・排泄する」を無視することはできない.これらが充足されないと人間は「獣」になって善悪の区別など問題にせずに暴れるぞ,と読める.人間が動物と異なって「人間」になるためには「衣食が充足される」ことが必須だということである.充足されると「動物人間(wild animals)」は自然と「礼節をわきまえるた人間」(decently civilized citizens)になるというのである.
戦前の日本の教育は,この「礼節をわきまえた人間」(decently civilized citizens)を作ることを目指していた.
前回,新制中学の教科書に漢詩・漢文が入っていたのは,「旧制中学の教育理念が踏襲されていたのだろう」と書いた.戦前の日本の教育では,中学を出るということは「大人」(礼節をわきまえた人間)に仲間入りすることを意味していた.たぶん,この年齢は奈良時代以降の日本の男子の「元服」という成人への通過儀礼に由来しているのだろう.時代・地域・階級によって異なるが,「元服」は,大体,数え年の12歳から16歳までに行われた.実は,これは西洋でも同じで,欧米では14歳をawkward age(ぎこちない未熟な歳)と言う.子供としては大きいが大人としては未熟な「扱いにくい歳」ということで,イメージ的には半ズボンでは子供っぽすぎるが,長ズボンはまだ似合わない歳の少年で,少年は15歳を過ぎてから大人(decently civilized citizens)と認められるのである.これは洋の東西を問わず,文明国において,身体と心の発達から見た人類の知恵である.
で,日本では,大人になるということは「印鑑」が必要になるということで,私が出た福岡県飯塚市の新制中学では,卒業式の後でクラス全員に名字の「印鑑」が配られた.黒い丸い印鑑で,横に「卒業記念」と彫ってある.70年以上前のその印鑑は今でも手元にあって,結婚して名字の変わったイクの銀行通帳の印鑑として使っていた.ということは,映画『ALWAYS三丁目の夕日』の鈴木オートに集団就職列車で青森から出てきて就職した六子(むつこ)(子供たちには「六ちゃん」と呼ばれる)も,エッセーを読み,漢詩・漢文を読んで卒業して,卒業記念の印鑑をもって上京したのだ.給料をもらうたびにその印鑑を使っただろう.
中学卒業で大人扱いが,いつから中学卒が「子供」になったのだろう.法律では20歳が「成人」と決まっていたり,結婚という大人の行事に関して親の承諾を得なくてよい年齢が民法で細かく規定されたりしているが,現実的には,「子供」と「大人」は,名前を「ちゃん」付けで呼ぶか,名字を「さん・君」付けで呼ぶかと関係していると思われる.
世界中の人々は「名字と名前」を持っている.欧米の多くは「名前+名字」の順であるが,日本は「名字+名前」の順である.(ただし,ハンガリー(マジャル人)は,正式の表記では,日本と同じように「名字+名前」の順である.)どちらの順序でも「名字」は「所属(土地・職業・族など)」を表している.それはアイルランド人の名前に多い,たとえば,Peter O'TooleとかGilbert O'SullivanのO'とか,スコットランド人の名前に多い,たとえば,Douglas MacArtherとか出版社MacmillanのMacとかが「所属・出所」を表していることからもわかる.
人はいつから名字で呼ばれて社会性が要求されるのか.
幼児の頃は,○〇ちゃんと名前で呼び合うだろう.そこには社会性はない.幼稚園くらいになると「××〇〇さん・君」と呼ばれ,集団(社会)の一員であることを意識させられるが,それは朝礼とかホームルームとかで呼ばれるだけで,他の場面では名前が中心だろう.小学校では入学式から「××〇〇君・さん」で,名字でコミュニケーションをとる機会が多くなる.中学・高校では名字が中心になる.この年頃で,欧米では「背伸び」が始まる.フランスの少女は早く「マダーム」と呼ばれたいと思うし,早くルーの下着が着られるようになりたいと背伸びをする.少年は半ズボンで女性を誘ったりして笑われる.日本の旧制中学でも「背伸び」が始まり,「大人扱い」と「大人意識」が加わったが,現在の中学・高校・大学では,名字が中心になっても「背伸び」はほんの少数で,多くの学生は「背伸び」の意志はなく,「子供扱い」を当たり前と思っている.
今の大学生はもちろん,もしかしたら大学の教員たちも知らないかもしれないが.昔,大学は世間の価値観から超越した治外法権の世界であった.大学では教員には身分証明証を,学生には学生証を発行する.この証明証はどういう身分を保証しているか,どういう義務が付加されているか,すでに忘れられているが,これは、十世紀にはじまった大学という共和国へのパスポートである.この共和国には特権があった.たとえば,学生が警官に追われて大学の構内に逃げこんだとする.警官は,無断で大学構内でその学生を捕えることはできなかった.世間の法律を執行するには学長の許可が必要であった.この特別の権利は昔の修道院の超俗の論理から発生したものである.修道院には,それぞれ個別のルールがあったが,根本は同じであった.修道院が超俗を許されたのは「神のために何が正しいかを求める所」だからである.十世紀に修道院の学問部門が独立した.その最初はイタリアのボローニャア大学である.大学には独自のルールがあったが,大学は修道院時代の治外法権をそのまま保持し,そこに所属する学生にもその権利を認めさせた.大学生には世間とは違う価値観が許されているということである.なぜ許されているのか.この特権には一つの義務がついている.「知的であること,知的に正しさとは何かを追求すること」という義務である.
日本の大学は富国強兵の手段として国家的であったが,それでもいくらか西欧の大学の理念は含まれていて,明治の作家たちの作品に見られるように,大学は,世間の価値観とは無関係の,夏目漱石的に言うと「高等遊民」の住処で,社会から超絶的存在を許されていた.いつから,この別格扱いがなくなったのか.
思い出されるのは,大学の入学式や卒業式に親が出席するようになったことである.中には入社式にまで出席したがる母親がいると話題になったことがあった.また,30歳までは息子の面倒を見ると啖呵を切った母親もいた.しかし,大人扱いすべき大学生を「子供扱い」した決定的な事件は,1970年代の「学生運動」である.この時,学生に手を焼いた大学は機動隊が構内に入るのを許可し,あるいは,機動隊を自ら要請して,自ら治外法権を放棄した.機動隊は勝手に構内に入ったのではないのである.大学の許可・要請で入ったのである.また,大学は学生の親に頼った.親を通して学生を抑えようとしたのである.当時,私はすでに大学の教員になっていたが,約10年ほど年下の弟たちは,一人は東工大の学生で,もう一人は一ツ橋大の学生で,学生運動の最中にいた.彼らとの話から,彼らが運動の論拠にしているのはユダヤ系ドイツ人のアメリカの哲学者ヘルベルト・マルクーゼと知った.マルクーゼの著作の中で最も面白のは『一次元的人間』(1962)である.マルクーゼの言う「一次元的人間」とは,科学技術への無自覚的信仰,広告で宣伝される現代の大衆文化に無意識的に毒された人で,人間の願望や理念,欲求を支配する一次元的な欲求に埋没して,自由や個性,権力に対する批判的思考や自己決定を行う能力を喪失した人だという.私はこのような人間を「第二の原始人」と考えていた.このような未確認物体から舞い降りたような人間は,今はそこら中にいる.当時の学生たちの運動は,そういう世間の趨勢に対する危惧・抵抗であったはずであったのだが,自らその目標を失い,大学が引っ張り出した親に首根っこを抑えられて,学生運動は終息した.
大人(decently civilized citizens)になるということは,親の保護から離れて社会の一員となって自分の人生を歩くということ,イメージ的には親に与えられた鍵のかからない子供部屋(おかしなことに日本の子供部屋には鍵がある)を出て,自分で獲得した鍵のかかる部屋を持つことということ(アメリカの青年がジーンズに鍵をいくつもぶら下げているのはそういうこと)であり,名字で呼ばれる社会の一員になって自分の印鑑で責任の所在を明らかにすることである.たぶん,中学卒業の「六ちゃん」も卒業記念の印鑑をもっていたと思う.それは,decently civilized citizens(分別をわきまえた自立した社会人)であるということである.しかし,現代はdecently civilized citizens(分別をわきまえた自立した社会人)になれない「一次元的人間」,簡単に言うと,生物的欲求を満たすために知恵ある悪魔になった人間が誕生しているのである.
ただ,これは,現代文明の不可避的な産物かもしれない.宗教改革によって,神は人間の理性の対象となった.人間は神の意志を合理的に勝手に解釈して,「私はあなたのために懸命に働いています」と,労働を信仰の証とする.だから,人間社会の根本原理を(マックス・ヴェバーが言うように)合理性に置いた西欧近代文明に起因するのかもしれない.それによって,キリストの「清貧」は忘れられて,貧困は道徳的堕落となる.生物的欲求を充足できないという貧困は人間として努力が足りないという証拠であり,社会に適応できない怠惰な社会的不適格者であって,劣等で道徳が欠如した不真面目な労働者(社会人)とされた.ここで,西欧では「理性的で社会的な正常な人間」と「非理性的で反社会的な異常な人間」という選別か起きる.ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』で言うような,昔(古代ギリシャ,とその復興の16世紀のルネサンスまで)は,狂気(超理性)は理性よりさらに高い理性であったなどという認識は,合理的な現代社会では霧散するのである.現代は合理的で倫理的で窮屈な時代である.
このような現代文明の価値観に抵抗し,それを否定しようとしたのが「ヒッピー」で,私もイクも自覚して,意志的に二の岡壮の森に住んだ.足火が生まれてすぐ,御殿場の平和公園でアメリカのアウトサイダーのロックバンドが野外で演奏をした.「うるさい.足火が目を覚ましてしまう」と文句を言おうと丘に登った.広場では,集まった若い宗徒(日蓮宗)たちが手を上に掲げて,リズムに合わせてステップを踏んで躍っていた.全国からヒッピーの親子たちが集まっていた.彼らは貧しそうな身なりであったが目が澄んでいた.私もイクも同質性を感じて共感したことを覚えている.だから,現代の悪ガキどもは,自分が現代文明に犯されていることもわからない無知な人間の悲しい抵抗かも知れないとも感じられて,私はその哀れな存在に共感している.彼らの食い扶持ぐらい何とかしてやる社会になって欲しい.そして,心から叫びたい.「ねえ,闇から出て,太陽の光を浴びて,正しく生きようよ」と.そして,修道士のように「何が正しいか考えようよ」と.
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