御殿場高原より 39 イク,疲れてお昼寝しているか

イク,疲れてお昼寝しているか

 イクがいなくなってから,お手伝いさんに「お願いします」程度の挨拶をしたり,毎週月曜にお昼に来てくれる看護師さんとは少し話をしているが,誰ともまともな話をせずに仕事をして生きている.夜,きしむ音がしたりすると,ドアのところにイクが立っているかなと見てしまう.昼寝の最中に音がするとつい「イクや」と呼んでしまう.どうも感覚はイクを待っているらしいのだ.それで,感覚的にイクの死を受け入れることができるまで,いつまでかわからないけれども,イクとお話をすることにした.
 イクは昔から見て美しいものは見るだけでよかった.ずっとそういう目をして生きていた.名前を知って概念化することをしなかった.花は花でよかった.
 イクの庭には,珍しい花が沢山咲く.イクが「あっ,咲いている」と楽しんだ一日咲いて散る箱根バラ.このバラは箱根から富士山麓に自生しているものだそうだ.一時「箱根バラを見るツアー」も組まれた花だ.家の庭には親しくしている造園師に近隣から集めてもらって五本ほど植えてある.
 まだ若いときはじめて月賦をして買ったアメリカの金属彫刻家ハリー・ベルトイアの作ったガーデンチェアのセットの周りには,白い花をつけるスミレが咲く.これも富士山麓だけで見られる貴重な花だそうだ.それから,咲くと必ずイクが指さして楽しんだ日本古来種で黄色い花をつける蘭は今年も咲いた.教え子の一人京都の「タキイ」のカタログに出ていたヒマラヤで咲くブルーのケシの花.この花は低地で高温だとピンクになって,一定の高地で低温のところでだけブルーになるというケシだ.種を求めて蒔いてみたらブルーの花が二輪咲いた.
 玄関先には植えて20年以上経たないと花が咲かないというモンゴル原産の「ハンカチの木」があった.イクが花友達に「これハンカチの木よ」と言ったら,彼女「どんなハンカチ.ソワソンのハンカチ?」と応じて,二人で笑っていた.やっと黄色い花を付けたが,数年で枯れてしまった.ミモザも植えたよね,ある年,60年ぶりの寒い冬になって,枯れてしまった.食事の部屋の椅子に座ってイクが「百合だ」とこの前言ったのは,オオ僕がチュニジアに行ったとき,高速道路脇にキョウチクトウがたくさん植えてあって,風に揺れてきれいだなと思ったので植えたものだ,ただ,このあたりは夏の気温が足りなくて,ほんの数輪咲くだけだ.花は日照と気温と湿度が合わないとうまく咲かない.
 庭の奥には,「オランダウツギ」があって,小さいピンクの花を咲かせる.御殿場市がオランダの都市と姉妹都市になって,オランダから贈られたウツギで,一緒に農協の植物園に行ったとき,小さいピンクの花を見てイクが「きれいね」と言ったので,園長から株分けしてもらって植えたら,これは毎年よく咲いて美しい.
 イクはたまに如露で水をやるくらいで,自分では花の世話をしなかったが,如露をもってゆっくり水をやる動作や姿がオオ僕は好きだった.イクは無心なのだ.イクのすることは,主に,枯れたりしぼんだりした花を摘んで美しくすることだけ.しかし,花は好きだった.それで,通りがかりの花屋でイクがかがんで,「ママの言うイクちゃんのかわいい手」で優しく一つ一つ選んだ花を,庭にいろいろ植えてやった.イクは美しさだけでよかったので,花の名前は覚えなかった.言葉で識別して固定すると,人はそのものを見なくなる.言葉はそのものを消してしまうのである.
 人間は「集合イメージ」に「符牒」(言葉)を付けて蓄積することが出来る唯一の生き物だ.しかし,それが不幸を呼ぶ.符牒を覚えると,人間はその実体に対して盲目になる.たとえば,道ばたで美しい花を見つけてじっと見る.その時には花を見ている.と,傍らの人が「ああ,それ,スミレの変種よ」と言った途端に,その花の中に「スミレ」を探す.もう元の花は見ていない.これは,何が描いてあるのかわからない絵を見るときと同じで.わからなくて,つい,絵の題を見ると「女の顔」と読める.その途端に,絵の中に「女の顔」を探すのと同じだ.
 それでイクの庭では,花の名前はどうでもよく,イクはただ花を眺めて楽しんだ.しかし,お花見会の時に困る.
 お花見会というのは,朝起きて,天気の具合で,イクが親しい知り合いの中でその日に最もふさわしい人に電話をかけて誘う会であった.
 「お花がきれいだから,一番美しく装っていらっしゃい」
とイクが誘う.用事があって断ると,もう一生二度とお花見会に呼ばれることはないと,大抵の人は知っているので,みんなイクの誘いに応じて,だいたい時間通りにやってきた.この時,やはり「きれいね.何ていう花?」と花の名前をたずねられる.そこで,イクは自分で勝手に花にふさわしい名前を付けることに決めた.聖書の「はじめに言葉(神)ありき」に中学生のときいたく感動したイクは,自分が美しいと思った花には自分の感性で名前を付けたいと思ったのだ.さて,どういう名前にしようかと思案しているうちに,頭に浮かぶのはアルファベットや「いろは」である.もう誰かが「音」に名前をつけている.花に名前を付けようとしても,誰かが決めた名前を借りなければならない.イクは,そこで絶望して,花の名前を考えるのをやめる.イクは絶望し,疲れて,よく昼寝をした.
 いま,イクは自分の部屋の自分で選んで求めた洋風の桐箪笥の上で眠っている.昼寝の場所が変わったようなものだ.その箪笥の前と,部屋の隅にある机の上には,二週おきに,イクが気に入っていたフローリスト馬場から,その妹に花を取り替えて生けてもらっている.しかし,人間っていう奴は,愚かだなとオオ僕は悲しく感じている.こんなことは,花が好きだったイクが生きている時にしてやるべきだった.食事の部屋のテーブルには,いろいろな花の鉢を置いてやったけど,生活に忙しいと大切なことを忘れてしまうらしい.お手伝いさんに来てもらって,掃除と洗濯は任せて,時間にも気持ちにもゆとりはあったはずなのに,たぶん,オオ僕はイクのお世話に何となく気ぜわしかったのだろう,イクの部屋を花で飾ってやることに気がつかなかった.ごめんよ,イク.今,イクが座っていた食事の部屋の椅子からは,窓越しにピンクの百合が咲いているのが見える.死ぬ前日の朝,イクはとがった細長いキョウチクトウの葉を見て「あっ,百合だ」と言った.オオ僕は,それを否定しなかった.「あれは本当は葉っぱだったんだ.花は今咲いている.これからヤマユリが沢山咲くぞ.見てろよ.」

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