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戦前の佛印(ベトナム付近)の売春事情
慰安所設置の主因
日本軍が慰安所を設置した理由の一つに「兵隊に依る現地の女性の強姦を防止する」があるが、それは主因ではないだろう。
当時の東南アジア地域は現在と売春の受け止め方が違っていた事もあり、売春婦が沢山居た。日本軍はわざわざ敵産を慰安所としての場所を提供し、慰安婦として邦人(日本人、朝鮮人、台湾人)の女性を呼び寄せる必要性がないほど売春宿が沢山あったことが知られている。中支那の漢口を占領すると真っ先に慰安所を設置したが、隣地には現地の中国人売春宿(管理は領事館)にも場所を提供しているが、兵隊にはそちらの利用は禁じている。
中国の場合は現地の売春婦を検黴し、性病が多いために既存の売春宿を慰安所と出来なかった資料が残っている。
邦人の慰安婦を呼び寄せた理由は防諜だけの理由ではなく、性病の罹患率が高かったために使えなかったのが主因なのです。
現在は抗生剤の発見で直ぐに完治する性病だが、当時は深刻な問題でした。
当時の東南アジアの売春婦や罹患率の統計資料を私は入手できないし、この種の統計は多分探しても手に入らないだろう。
この社会背景を知っておくことは、日本軍の慰安制度を理解する上で極めて重要であると思い、古い書籍を検索してみた。
その中の一つ、日本人の旅行記の中に当時の状況の一面が分かる記述があったので書きとめておくこととしました。
「南方の全貌」から
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らないといふのでは立つて行けないから人頭税を掛け、生きてる限り税金をはねばならず税金を怠れば必ず牢に入れる。 税金を払わぬものを珠繋ぎにしてに牢につれてゆくのが旅行する人に幾度目にするかしれない。其の人頭税は多額ではない。一人當り弐圓七十銭位だとの事であるが、一家五人であると十二三圓をはらわねばならぬ。われには十二三円はなんでもな いが、土人の収入は実に少ないので、河内あたりの労働賃金は男が四十銭位であり女は二十銭位であるから、彼等が一年に十五圓なり十七なりを出すといふ事は相当な負担である。なお私がある方面から聞いた事であるがどうも老人が少い。その原因は大分歴迫の手を加へて元気のある者は皆んな刑務所へぶち込んでしまった。一寸政治的なことをやつて反抗すると実に凄惨であつてすぐ牢へぶちこむ。この国が繁盛がするのは刑務所だけであると私はよく言つた。 刑務所はいくら建てても収容がしきない。島を利用しましたが其所へも収容しきれないといので 五六年前までは二ヶ月か三ヶ月で何処かに行つてしまう。即ち地球上から去ってしまふのである。 一村を包囲総打ちしたといふやうな例は次から次にとあるのであるが、かかる事をしましたから元気のある者はいなくなった。年寄りがないとい風に考へてゐたのである。
それもたしか
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一因であつたちがひないのであるが、その他にも原因がある。
日本の衛生方面の方で衛生調査をした人がいる。言うまでもなく仏印はフランス領であるから性に対する概念が奔放に出来て居る。
至る所に醜業婦が居るのである。純淫売だけでなくそういう系統をしらべると驚く勿れ92%という罹患率ださうです。
これをフランスの衛生局の人に話すとこれがだんだんに家庭に入りつつあるので手がつけられないと云ったさうである。手をつけられないのではなく私に云わせると手をつけないのである。それが彼等の政策であらうと考へるのである。
この過酷な政策は実に人道上許し難い罪悪だと思ふ
実は十四五年前の事であるが私がある部落に行くと其所の知的階級の人々があたりをはばかりながら、私達はあなた方と同じ人種でありながら、私達だけこんなに不幸なのでせうかと、いうような事を訴えられ涙した事もある
日本の勢力が加われば多少はこうゆう方面はよくなるのであらうが、これから先如何なるかという事は日本の出方次第であつて、やがて彼らには日本の政治が施されるのではなからうかと思はれる。東郷首相が「佛印は日本に協力してゐる」と云って居られたが、私の見た処によれば未だ協力して居らない。敵対行為こそしてゐないが