青い鳥
幸せの青い鳥はどこにいるのだろうか。
「それは遠い場所ではなく、自分の身近に」
メーテルリンクが描いた童話の結末は
当たり前に知られているが、実際にはなかなか
自分の身近に隠れている「幸せ」には気が付かない。
なぜなら健康と同じ、いったんそれを
「失って」からでしか気が付かないからである。
じゃあ「失って」みれば気が付くのかと言えば、
人は誰しもあえて失いたくはないものだ。
青いといえば、隣の芝はつねに青い。
他人を羨ましく感じないではいられない。
SNSの時代には、簡単に他人のリア充が目に入ってくる。
自分も!とアピールし続ける生活にも疲れ果て、
「イイね!」も結局自分のコミュニティーの中だけのイイね、なのだから、その数に何の意味もなく、ただの自己満足。
自分の自尊心を慰め、また所詮、限られた世界で
お互いに慰め合っているだけなのだ。
それで日々の幸せが感じられるのならば、続ければいい。
そこに虚無を感じたなら、離れればいい。
自分が属しているコミュニティーから離れるのは
一抹の寂しさを感じるものである。
でも、きっと離れてしまえば、「自由」を感じるはずである。
「自由」
しかし、自由とは孤独で、自分に責任も発生するものである。
馴れあいはない。
孤独を感じたくはないが、嫉妬やSNSのフェイクの中では生きたくない……。
人は自分勝手な生き物だ。
しかし、真実はある。
「青い鳥は、案外、自分のすぐ身近にいるということだ」