新いじめ防止措置法

 代助(だいすけ)くんは全く怒らない。一年生の頃から、物を隠されたり、教科書をどぶに捨てられたり、上履きをカッターでズタズタにされたりしているのに、いつもにこにこしている。お母さんが言ってた。「本当に強いひとは、人を殴れるんじゃなくて、誰かの代わりに殴られる覚悟ができるの。」。〝覚悟〟って意味は、そのあとに国語辞典で調べてみた。僕は、いま三年生だけど、やっと〝覚悟〟を決めてみようと思った。
 「ねえ、代助くん。」
七月の帰り道――教室で話しかける勇気が出なかったから、暑い道路を歩く代助君の後姿を見つけたとき、話しかけてみた。
「どうしたの、Aくん。」
代助くんはいつも通りにこにこしていた。まん丸の目を少し細めて、赤いほっぺをぷくぷくさせて、薄い唇の端をきゅっと上げている。いつもの笑顔。
「いつも、さ、辛くないの?」
代助くんは真っ黒の瞳に僕を映して、本当に不思議そうに答えた。
「何が?」
「だって、さ、あの、今日だって、机に落書き……。」
「拭けばいいんだよ?」
代助くんは平気そうに言う。……すごい。代助くんは強いんだ。すごい、僕も代助くんみたいになりたい。お母さんにそう言うと、なんでか困った顔をしてた。お母さん、僕、〝覚悟〟してみたんだけど。
 次の日、僕は教室でも代助くんに話しかけてみた。
「おっおはよう。」
代助くんはいつもの笑顔で答えてくれた。
「おはよう!」
それから、僕たちはよく一緒にいるようになった。クラスの皆に、僕もいじめられるかと思ったけど、なんでか大丈夫だった。でも、相変わらず代助くんの机には一本の花が飾ってあったり、給食のパンを潰されたり、トイレで叩かれたりしてた。僕は出来るだけ代助くんを守りたかったけど、どうして皆そんなに、そんなことが上手なの?ってくらい、知らない間にやってるもんだから、なかなか守れなかった。すごく悔しかった。代助くんはいつもにこにこしていて、すごく強くって、僕の話もにこにこ聞いてくれて……ほんとにすごいのに、なんで皆分からないんだろう。……そうだ、聞いてみればいいんだ。僕はほかの仲の良い――その子も、いつもは優しいのに代助くんのノートを破っていたけど――子に聞いてみた。
「ねえ、なんで代助くんにいじわるするの?」
その子は、いつかの代助くんみたいに、不思議そうに答えた。
「だって、そういうもんじゃん。」
よく分からなかったけど、当たり前みたいに答えるもんだから、僕はそれ以上聞けなかった。
 夏休み前の三者面談で、先生がお母さんに言った。
「最近は……仮屋(かりや)代助くんと仲がいいようで……。」
僕は嬉しい事なのに、先生もお母さんもなんだか微妙な顔をしてた。
 
 代助くんが、夏休みに入る前に、休むようになった。僕は先生に聞いてみた。
「代助くんはね、足が壊れちゃったの。」
なんでモノみたいな言い方するの。先生も代助くんをいじめるのかな。足を怪我しちゃったって、大丈夫かな、そういえば、僕、代助くんのおうちも、お母さんやお父さんのことも知らないや。友達になれたと思ったのに、なんにも知らないことに気が付いて、僕は哀しくなった。お見舞い、行きたいな。
 
 結局、だれも代助くんのおうちを教えてくれなくて、二学期になった。まだ代助くんが来ない。もうすぐ朝のホームルームが始まるのに。足、治らないのかな。大丈夫かな。――がらり。教室の扉が開いて、先生が入ってきた。
「はい、皆さんひさしぶり。今日は二つお知らせがあります。まず、仮屋代助くんは壊れちゃいました。次に、新しいクラスメイトを紹介します。代助くんの代わりに、みんな仲良くしてあげてね。――入っておいで。」
おかっぱの女の子が入ってくる。顔を上げる。まん丸の目、赤いほっぺをぷくぷくさせて、薄い唇の端をきゅっと上げて、にこにこ話始める。
「はじめまして。的(まと)野(の)千代(ちよ)です。みんなのためにがんばります。」
代助くんと同じ、真っ黒な瞳。
 

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