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今この状況かで行う教育は、通学を通常に再開するより先に、子どもたちを守る大人の姿を見せるのが先なんじゃないだろうか?
今日学生さんと話す機会があって、
彼女たちは、自分たちは毎日混んでる電車に乗って都内にも行く大人と席を隣にしてるし、密な学校に通ってる。
だから、内心、もうすでに感染の軽傷者なんじゃないかって思ってると言っていた。
そしてそこには、何か
諦めたような気持ちが見えた。
ほんと、もう…。
軽症の若者が振りまいてるみたいなこと言う大人。
不安でも学校に通わしておいて何をいうのかだよな。
夜の街とか若者とか特定した悪を作って怒りの矛先を変えるような、はぐらかす手は使わないで欲しい。
教育するなら、通学通常再開より先に子どもたちを守る大人の姿を見せることなんじゃないだろうか?
子どもは、良い大学に入ったり、夢を持ってそれを実現するための教育を得る事が成功みたいに思って育ててる感覚がこの世界にはあるけれど。
教育課程が終わった後の方が人生が始まるスタート地点本番はこれからなんだと思う。
私の年になると教育課程なんてもうすでになんの役にも立たないくらい、その後の人生が重くなりそれが生き様になり、私の血と肉となってるし。その評価になってくる。
ってことは、大人になってどれだけの人物になれるか。
人の役に立つ事ができるか。
この世界を良くしようと思えるか。
その次の世代を育てていける大人になるかが決まる。
この数年焦った大人に不信感を持たせるようなやり方をするより大きな大人の賢い姿を見せる良い機会にもなってるんじゃないだろうか。
そう思いつつ力のない自分に、この期間自分のウランに押しつぶされそうになり我が子にさえ良い大人でなかったかもしれない自分にもがっかりした。
他にも学校の先生、支援員が周りにいるので少し話を聞く事があるけれど。そこからもたくさんの不安を聞いてる。そして大人たちが今に翻弄されてしまってる。苦しみ辛い中大人同士が関係を崩してしまってるような話もある。
そんな世界に子どもを戻して大丈夫だろうか。
もう少し、あと少しだけ、大人たちが落ち着いて自分自身のやるべきこところに着地するまで子どもたちに不安を与えるような場所に押し込めるのは、私は賛成できない。
これ以上、いくら軽症でも感染者があふれるようなら私は自らの子どもの登校をやめさせる親の判断もありなんじゃないかと思う。
勉強はなんとかなるけど。
命はひとつ。
子供の大人への信頼も崩れたら取り戻すのは難しいと思う。