1964.11.10 私は生まれた 来年で60 還暦とは人生一回り 生まれ変わる事を意識した時 来世ではどうなりたいかを考えた 両親が死に、残り少ない人生をどう過ごすかを考えた いままで我慢してきたもの 我慢しなくちゃいけなかった事から 自分を開放したい 人にうしろ指を指されても 正直な自分の生き方をしたい そこで私は目標を立てた 大好きな青木美沙子ちゃんと 還暦の赤いロリィタ服を着て お茶会に参加したい❣️ それがどこまで可能となるのかは未定 計画性がまったくない私が
アウェアネス・リボンを知っていますか? 世界各地で着用者が社会運動、もしくは社会問題に対して、さりげない支援や賛同の声明を出す方法として使用されている(wikipedia) リボンもしくはリボン型のアイテムです いちばんポピュラーなのは乳がん啓発のピンクリボン🎀かな 今日は私がアウェアネスリボンを買ったお話です まだ私が若かった頃、同じ職場にOさんという女性がいた とても可愛い女性で髪の毛は短く切っていて ボーイッシュでそれがまた愛らしかった おっとりした性格で優しい話
私には2つ上の姉がいる いつも一緒に遊んでいた まだ小学校にも行かない頃 そんな姉の影響か 私はスカートを履くと言って聞かなくて 母は姉のスカートを履かせたらしい 喜んで外に出て行った私に 近所のおばさん達は可愛いって言ってくれた だけど、それは本当に褒めてるんじゃなくて ちょっとバカにしたような口調で言ってたのを、なんとなく覚えている それは私の中でトラウマになったかも知れない それ以降、二度とスカートを履こうとは思わなかった
細かい事を書いてると 多分途中で終わっちゃうから ざっくりインデックスレベルで書きたい と思ったけど時系列で思いつくまま書いた方がいいかな 誕生 熊本県人吉市で生まれた 両親は熊本生まれ 父はいろいろ職を変えたらしいが国鉄職員として人吉に移り住んだ 母は父とはいとこで幼馴染 歳は7歳差 田舎でよくある、近所婚で血が濃くなっていく感じの結婚だったと思う 母は結構モテていたらしいが 国鉄職員という父の肩書きが母の家族に好評で結婚する事になったらしい 母は20で結婚、姉を出産
ちゃんとした文章で書くのは時間がかかるのでまずは文章を気にせず箇条書きみたいな感じで書いていこうと思う。 読者は気にしてない(笑) あとで加筆修正するかも知れないししないかも知れない 文体なんかも適当。気分次第なので多分読みづらい それでも読みたい人だけ読んでもらえればいい。 そんなスタンスで書いていきます