童話:地球さん、太陽さんの悩みを聞く
ある日、太陽さんが言いました。
自分は他の巨大な恒星に比べたら、全然燃え足りないって。輝き足りないって。
「だいたい太陽系なんか天の川銀河の袖っていうか、端っこにいるでしょう?」
真ん中の輝かしい場所にどうして誕生しなかったんだろうって嘆きました。
「でも、太陽さん」と、地球が言いました。
「太陽さんがいなければ、自分の星に命は生まれなかった。今だって、地球上で生命が活動できているのは太陽さんがいるからなんですよ」
そう励ましてみても、太陽さんはそうだねとは言いません。
「生命なんて他の星にもいるよ。もっと高度な知能を持った惑星だってあるし、地球さんには申し訳ないけど……」
「うーん。じゃあ太陽さんは高度な知的生命体がいて、宇宙のど真ん中に存在して、めっちゃ燃えてて、めちゃめちゃ輝いていたら満足なんですか? 宇宙でイッチバン輝いてたって、宇宙の外にはもっとすごいのが存在するかもしれないのに?」
「……そんな知らない世界の話をされてもねえ」
と口を尖らせる太陽さんでした。
が、ふと、自分が比較している世界が、限度のないものであることに気づきました。さらに、その比較の先には何も結果は待ってないんじゃないかという感じもしてきました。
(あれ、じゃあ自分は何に嘆いていたんだろう)
見下ろすと、燃えている自分の光で月を愛でる地球人が見えました。
同じように自分の光で光っている惑星を観測してロマンチックに浸っている地球人もいます。
どうやら地球では、自分の存在は神と崇められるほどに崇高らしかったのです。でも、太陽さん自身は、自分がそれほど崇高だとは思えません。
(不思議だなぁ。一体、地球人はわたしの何を見ているんだろう)
「それにしても、地球さんはどうして嘆かないの?」
その質問に地球さんは静かに答えました。
「わたしはわたしだし、地球さんっていうのもわたしではないからね。説明するのが難しいけれど……そこに歓喜することもないし、悲観することもないんですよね」
「へえ?」
わかるような、わからないような。不思議な答えだなと思いました。
ただ、他の星と比べると際限なく辛くなるのはいつものことで。
存在している自分のエネルギーが上がっているか下がっているかを感じることへ意識を向けると、ちょっと視点が変わってそれまでの苦しみが淡くなることに気づきました。
(憧れるどの星になっても、”比べる世界”にいるとわたしはきっと苦しむ。わたしがエネルギーをしっかり循環させていることで、わたしは元気だ……それだけは感じることができる。元気でいることに集中するだけでいいのって、ちょっと楽だな)
「じゃあわたしも太陽さんではなくて、ただのわたしってことですかね」
「そうかもしれないですよ」
まだそう思える時もあれば、そう思えない時もある太陽さんでしたが、比べない世界に身を置くことで、この先の時間を楽しむことができるんじゃないか……と少しだけ希望を持ったのでした。
終わり