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「成長」という言葉に惑わされないでね。

自己成長。
または、魂の成長。
この言葉に、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。

私はずっと、

できなかったことが、できるようになること。
自分がレベルアップすること。

だと思ってきた。

でも、これを書いてから・・・

「成長」という言葉は違ったな。
と、思うようになった。


自分のスピリチュアリティを磨くプロセスが始まり、自己成長、魂の成長、精神的自立などの言葉を知ってから私がフォーカスしていたのは、

赤ちゃんが成長過程で様々なことができるようになるのと同様に、今までできなかったことができるようになることや、自分の新たな才能や特技を見出すこと。

だった。

つまり、
今までの何かができなかった自分を塗り替えることが成長だと思っていたということ。

すなわち、
今までの自分を無かったことにするということ。

言ってしまえば、
今までの自分を否定するということだった。


私の中で《成長する》という言葉や意識は、
自己否定がベースになっていたわけだ。


成長というポジティブな言葉によって、
私は最高にネガティブな意識を生んでいた。


これはもう、驚きしかなくて。
成長を目指すほど、自己否定を強くしてたわけだから。


で、前回の記事を書いて、
今まで埋もれてきた様々な「感覚」を観察すると言うことは、その様々な感覚を観察しやすいように、要らないもの(認識、意識、思い込み)を捨てることが何よりも必要、と改めて思った。

如何に自分を軽くしていくかが重要なのだから、それは「成長」という表現は違う。

表現をするならば、

軽くするとか、
断捨離とか、
クリアリングとか、
デトックスとか、
そういう言葉になるよな、と思った。

自分に素直になるとか、シンプルに生きるとかも、そう。


「成長」と似た言葉で表現するならば、

自分の伸び代を見つけ出す


というのが私はしっくりくる。
自分の伸び代を見つけ出すのは、フィジカル的な努力だけでは無理だ。
自分の思い込みや、恐怖を乗り越えるなど、フィジカル以外の要素も必要だからだ。

好きこそ物の上手なれ。

これはフィジカル的な努力だけでなく、「好き」という感覚があるからこそ成り立つ。
好きだから夢中でやっている内に、上達する。
それが、好きこそ物の上手なれ。

人によっては、こういうことを「成長」と捉えるかもしれない。
本人も、最初はできなかったことができるようになった、と「成長」という言葉を使うかもしれない。

でも本質的には違う気がする。

「成長」をゴールに設定していないから。
ゴールは「自分の想像を具現化」することだから。


成長を自分のゴールにしてしまうと、
いつまで経っても不満を抱いてしまう。
できないことに苛立ちを覚え、
できない自分を否定してしまう。


だからね。

できるようになったかな、などの観察は不要。


観察すべきは、
楽しくやれてるかな、とか、
無理してないかな、とか。
そういうことだけ。


今更、
物理的な成長なんてしなくてもいい。
私たちは赤ちゃんじゃない。

私たち大人は大抵のことができるのだから、
自分の人生を満喫することにエネルギーを注げばいい。


私はこのnoteをめちゃくちゃ楽しく書いてる。
なんの義務感も負担もない。

新しい仕事も楽しくやってる。
人生満喫モードに入ってる。

涙もろくなったのは、感覚が研ぎ澄まされてきた証拠。
体調に敏感になったのも、感覚が研ぎ澄まされてきた証拠。

自分の感覚が一番大事。
無理しない。
無理に笑わない。
自分に合わせる。
人に合せすぎない。


「成長」という言葉に、惑わされないで。
できないことがあっても、いいのだよ。
できないことを頼めるのが、真の大人だ。

一人で頑張らないでね。
頼るって本当に大切な行動だから。



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