一番足りなかったモノは、幸せになる覚悟。
不足を感じる大本は、これかもしれない。
何度も見聞きしていた言葉だったけど。
結局、
幸せになりたいと思っていただけ。
じゃあ、幸せになるために何をしていたか。
ネガティブな思考に自分を塗れさせ、
その時、私は私を幸せにできていた?
ネガティブもポジティブも自分自身だからと、
ネガティブを受け容れていたけれど。
ネガティブにどっぷり浸かることを赦し、
ネガティブに落ちていくことは、
私にとって幸せだった?
本当に私が私を幸せにするのであれば、
ネガティブを受け容れてから、
『じゃあ、とりあえず気持ちを落ち着けよう』と、
コーヒーでもチョコでもお香でもなんでも、
気持ちが和らぐ方法を模索するのが正しいセルフコントロールじゃない?
如何に自分をゼロポイントに戻せるか。
ネガティブであっても、ポジティブであっても、
ゼロポイントから離れるほど、ゼロポイントを意識する。
それがセルフコントロールじゃない?
今までやってきたことで、何ら成功や手応えを感じていないのであれば。
やり方が間違っていると早く気付かなくちゃいけなかったね。
【いや、これで合っているはず】
【ここまでやってきたのだから、今更変えられない、変えたくない】
なんて、力が入りすぎていた。
「幸せになること」
「生きること」
に自分がくっつけているモノは何?
頑張ること?
無理をすること?
我慢すること?
踏ん張ること?
苦労すること?
悩むこと?
幸せになるために、どうして嫌なことや苦痛を感じる必要があるの?
それって自ら幸せと真逆の方向に進んでる。
あれ?って気付いたときに、
どうしてそうなっちゃってたのかな?って考えたときに、
「ああ、幸せになる覚悟がなかったからか」って思った。
意識が先で、現実は後。
頭では分かっているのに、現実に翻弄されてしまってた。
起こる現実は、過去の自分が創り出したモノ。
だから、「今の私」が「過去の私」に怯えてどうする。
不安を抱くような現実が現われたとき、
「過去の私」が「更に過去の私」に恐れを抱いた結果。
「今の私」が現実に恐れを抱いてしまったら、過去の繰り返しにしかならない。
幸せの世界からどんどん離れてしまう。
今起きている現実を見て、
自分が恐れや不安を感じることはなんだろう。
それは、過去において自分が最も恐れを抱いていたモノとなる。
「過去の自分の恐怖」を目の前にしたときに、やはり一時は恐れを抱くだろう。だって、ずっと恐れていることだから。
だけど、幸せになる覚悟を決めたのならば、その恐れという感情・感覚を解すために《今》できることをやるしかない。
「気を紛らわす」のような見て見ぬ振りをするのではなく、完全に意識を恐怖から離れさせる行動をとる。
恐怖の意識から、完全に快や心地よさの意識に移動する。
これが、幸せになる覚悟と行動。
恐怖という感情や感覚から、自分を切り離す。
これは覚悟がないと上手くできない。
恐怖のエネルギーは引力が強くて重い。
だから引きずられやすい、引き込まれやすい、潰されやすい。
だから、脱出するという強い気持ちがないと抜け出せない。
大それたことをしなくていい。
恐怖の意識から切り離せるのなら、なんでもいい。
身体を動かせ、運動しろ、とよく言われるのは、
運動することで身体の感覚に意識が集中するからだと思う。
呼吸、筋肉、動きに集中せざるを得ないから。
良い方法だと心底思う。
覚悟を決める。
腹を括る。
そうしたら、選択肢は間違わないし、間違ってもすぐに修正出来る。
簡単だけど、難しいかもしれない。
シンプルなことほど、エネルギーが必要だ。