見出し画像

京の寺社巡り1

生まれながらの京都人である以上、まったく知らない顔をする訳にはいきませんでしたが、若い頃はほとんど興味もなく、そういえばあそこに結構有名なのがあったよな程度でしたが、不思議なもので歳を重ねるにつれ、少しずつ興味が増していき、還暦を過ぎた今、唯一の趣味のようになってきました。
かといって、当然のことながら専門家を目指すべくもなく、下手の横好きレベルで健康にもいいだろうと、暇があればウロウロしています。
とはいえ、年齢的に膝に不安もあり、少しずつでもご紹介できればと思っています。

第1回目は、安井金比羅宮やすいこんぴらぐうです。
まずは基本情報。
安井金比羅宮は京都市東山区の東山通と高台寺南門通の交差点に東鳥居が建っており、西に奥まった感じで神社があります。
東へ向かえば高台寺や霊山観音が、北へ向かえば少し歩かなければなりませんが八坂神社が、西へ向かえば建仁寺や京都ゑびす神社が、南へ向かえば六道珍皇寺や六波羅蜜寺と、この一角だけでも観光するには一日を費やすことになるでしょう。
まあ、逆に言えば、効率的な観光ができるということかもしれません。
ご祭神は崇徳天皇すとくてんのう大物主神おおものぬしのかみ源頼政公みなもとのよりまさこうの三柱です。

歴史のお勉強の時間です。
天智天皇てんちてんのうの御代、藤原鎌足ふじわらのかまたりが藤寺として創建したのが始まりとされています。
崇徳天皇はこの藤を好まれ、寵姫の阿波内侍あわのないしを寺内に住まわせたりもしたようです。
結局崇徳天皇は兄弟喧嘩の末に保元の乱で敗れ、配流先の讃岐で崩御されます。
中の悪かった兄弟のために配流にまで追い込まれ、その地で亡くなられてしまうのですから、崇徳天皇はこの悪縁を断ち切り良縁に恵まれたいと思われたのかもしれません。
その後応仁の乱で荒廃しましたが、讃岐の金刀比羅宮より大物主神と源頼政公を勧請し現在に至ります。

この神社の最大の特徴は縁切り神社として有名だということです。
私の記憶では、悪縁切り石だったと思うのですが、今では縁切り縁結び碑となっているようです。

これが縁切り縁結び碑

方法は簡単です。
形代かたしろ(身代わりの札)授与所で形代を貰い受け、願い事を書き、形代を持ちながら碑の下部に空いた穴を願いを念じながら表から裏へ抜けます。
次に裏から表にまたも願いを念じながら穴を抜けます。
最後に碑に形代を貼って終わりです。
碑は形代だらけで原型が分からなくなっています。
尚、形代授与所も縁切り縁結び碑も24時間対応なので、早朝朝陽とともにとか、夜中にこっそり(する必要があるかどうかは別として)なんてこともできます。

私が伺った時、修学旅行生がいっぱいで、中学生か高校生くらいの男の子が縁切り石をくぐっているのを見て、この子はどんな悪縁に悩まされているのだろうと思いましたが、縁結びも兼ねていると知り納得でした。
きっと好きな子でもいるのでしょうね。

末社が三社。でも左側に注目!!

もうひとつ面白い話を。
境内に三つの末社を一つの社にした建物があります。右は秋葉社あきばしゃといい、伊邪那美神いざなみのみことを火傷により死に追いやった火之迦具土命神ひのかぐつちのかみが祀られています。
真ん中は人丸社ひとまるしゃといい、柿本人麻呂公かきもとのひとまろこうが祀られています。
左は咡社ささやきしゃといい、ご祭神も創建も由緒も不祥で謎が多いと案内板に書かれていますが、ご神徳は心願成就、不安・心配事の解決、ストレス解消と書かれています。
どなたが祀られているのか分からないのにご神徳が分かるというのは、本当に謎が多いですね。
ですが、しばらく見ていると、ここをお参りされる方が多いのですから本当に不思議です。

初回はこんなもので如何でしょうか?
次はどこにしましょうか?
京都市内ならリクエストも…なんてね。
三羽 烏