古事記百景 その十三
黄泉比良坂
於是伊邪那岐命見畏而。
逃還之時。
其妹伊邪那美命言令見辱吾。
即遣予母都志許売。…此六字以音…
令追。
爾伊邪那岐命。
取黒御𦆅投棄。
乃生蒲子。
是摭食之間。
逃行。
猶追。
亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而。
投棄。
乃生笋。
是拔食之間。
逃行。
且後者。
於其八雷神。
副千五百之黄泉軍。
令追。
爾拔所御佩之十拳劒而。
於後手布岐都都。…此四字以音…
逃來。
猶追。
到黄泉比良坂之坂本時。…自此以下二字以音…
取在其坂本桃子三箇。
待撃者。
悉迯返也。
爾伊邪那岐命告桃子。
汝如助吾。
於葦原中国所有宇都志岐青人草之。…自宇以下四字以音…
落苦瀬而。
患惚時。
可助告。
賜名号意富加牟豆美命。…自意至美以音…
最後其妹伊邪那美命。
身自追來焉。
爾千引石。
引塞其黄泉比良坂。
其石置中。
各封立而。
度事戸之時。
伊邪那美命言。
愛我那勢命。
為如此者。
汝国之人草。
一日絞殺千頭。
爾伊邪那岐命詔。
愛我那邇妹命。
汝為然者。
吾一日立千五百産屋。
是以一日必千人死。
一日必千五百人生也。
故号其伊邪那美命。
謂黄泉津大神。
亦云以其追斯岐斯而。…自斯以下三字以音…
号道敷大神。
亦所塞其黄泉坂之石者。
号道反大神。
亦謂塞坐黄泉戸大神。
故其所謂黄泉比良坂者。
今謂出雲国之伊賦夜坂也。
伊耶那岐神は見たものに畏れを抱き逃げ帰ろうとされます。
伊耶那美神はお姿を見られたことで辱めを受けたと知り、予母都志許売に後を追わせます。
伊耶那岐神は追いつかれまいと、髪に飾ってあった黒御鬘を取り投げつけます。
すると蔓草から葡萄の実がなりました。
追手が葡萄の実を食べている間に伊邪那岐神は逃げ続けられます。
しかし、葡萄の実がなくなると、なおも追ってくるのです。
今度は右の髪に挿してある湯津ゝ間櫛を投げつけます。
すると櫛から筍が生えてきました。
追手が筍を食べている間に伊邪那岐神は逃げ続けられます。
しかし、その後ろからは生まれたばかりの八柱の雷神と千五百の黄泉軍も追ってきています。
伊邪那岐神は腰に佩く十拳剣を抜き放ち、後手に振りながらなおも逃げ続けられます。
そしてついにあの世とこの世の境にある黄泉比良坂に到着されました。
坂の途中には一本の桃の木がありました。
伊邪那岐神は急いで桃を三個取り、追手に投げつけると、追手はことごとく坂道を戻っていくのでした。
桃の実に助けられた伊耶那岐神は仰いました。
『命を救ってくれた桃よ、私と同じように葦原中国に住む宇都志伎青人草が落ち込んだり悩んだり患ったりしている時はどうぞ助けてやっておくれ。その代わりにあなたに意富加牟豆美命の名を授けよう』
もうこれで大丈夫かと思われた矢先、最後に伊耶那美神自らが追ってきたのです。
伊邪那岐神は千引石という大きな岩で黄泉比良坂の入り口を塞いでしまわれました。
そして大岩を挟んで二神は向き合われるのです。
伊邪那岐神は伊邪那美神に事戸を申し上げます。
すると伊邪那美神が仰います。
『愛しい夫よ、あなたがそのような仕打ちをするならば、あなたの国の人たちを一日千人絞め殺してやりましょう』
伊耶那岐神が仰います。
『愛しき妻よ、あなたがそのような行いをするのであれば、私は一日に千五百の産屋を立てよう』
そうして一日千人が亡くなり、一日千五百人が生まれることになりました。
黄泉の国に残らざるを得なかった伊耶那美神は黄泉津大神と呼ばれるようになり、また、黄泉比良坂で伊邪那岐神に追いついたことから道敷大神とも呼ばれます。
そして、黄泉比良坂を塞いだ大岩を道反之大神、またの名を塞坐黄泉戸大神と名付けられました。
黄泉比良坂は今、出雲国の伊賦夜坂と言います。
※予母都志許売とは、黄泉の国の醜女のことのようです。
※黒御鬘とは蔓草の一種だと言われています。
※宇都志伎は美しきか? 現世か?
※青人草も意味不明ですが、青々とした草のような人間、つまり出来たての
人間という意味ではないかと。古事記の中に「人」の文字が出てくるのは
ここが最初です。
※事戸とは夫婦を別れに導く呪文とされています。
※伊邪那美は一日千人絞め殺してやりましょうと言いますが、原文では『一
日絞殺千頭』となっています。
※産屋とはお産をするための建物のことです。
「太安万侶です。今回は見所満載でしたね。ゲストはいつもの那岐君です。お疲れ様でした」
「面白がってるようだけど、こっちは必死だったんだからな」
「それは悪かった。いくつか聞きたいんだけどいいかな」
「何だよ」
「逃げてる途中で、剣を後ろ手に振るってたでしょ? 後ろ手で何かをするのって人を呪う行為だって聞いたことがあるんだけど、そもそも約束を破ったのは君だよね。人を呪うのって筋違いなんじゃないの?」
「言わせてもらうけど、黄泉の国に人はどこにいるんだよ。いくら追い詰められてても俺は神だぜ、それくらいは弁えてるよ」
「じゃあどうしてそんな行為を」
「追いつかれそうになったからに決まってるじゃん。スゲエ怖い顔してたんだぞ、あのおばはん」
「おばさんだったんだ」
「年齢なんか分かんないけど、おばはんに見えたのは間違いねえよ。そいつに追いつかれそうになったから、シッシッって犬を追い払うみたいに剣を振ってただけだよ」
「じゃあ次の質問ね。黄泉軍はどこから湧いて出たの?」
「知らねえよ。知らないうちに後ろから追いかけてきてたんだよ。そんなことはそれこそ那美に聞いてくれよ」
「その軍勢は神だった? それとも鬼だった?」
「それも分かんねえよ。だけど、少なくとも俺と那美が生んだ神ではなかった。俺たち以外が生んだ神なんかほとんど会うこともねえから、あれが神なのか鬼なのか分かんねえよ。でもあんな怖い顔してるんだから、神だとは思いたくねえなあ」
「じゃあ鬼なの?」
「鬼も実際には見たことねえから、あれが鬼だとは言えねえよ。でもよ、神なのか鬼なのか、どっちかにしてくれって言われれば、鬼って答えるだろうな。ホントに怖かったぜ、俺でもちびりそうになったくらいだから」
「それにしても黄泉の国ってスゴイよね」
「そうだよ、しっかりした軍勢がいたり、特攻してくるおばはんがいたりな」
「軍勢は統率が取れてる感じだった?」
「手に武器も持ってたように思うぜ。揃いの服と揃いの帽子だったし」
「そんな軍隊が黄泉の国を守っているんだね」
「そう言えば黄泉の国にも神はいるみたいだぜ」
「どういうこと?」
「前回那美に会いに行った時に、あいつが言ってたんだけど、帰れるかもしれないから神に相談してくるって」
「ということは、那美ちゃんより位が上の神がいるってこと?」
「いても不思議じゃねえだろ。那美が最初の訳じゃねえし、どちらかと言えば新参だしな」
「このままだとどんどん人が増えちゃうんだけど」
「どんどん減るよりはいいだろが」
「那美ちゃんも思い切ったことを言ったね」
「俺が約束守らずにあいつの姿を見ちゃったから怒ったんだろ。あいつらしいぜ」
「これで那美ちゃんとは別々に生きていくことになるね」
「そうだな。俺が那美を思う気持ちは変わらねえけど、一緒に過ごすことはもう絶対に有り得ないだろうな」
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