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小児喘息で2回死にかけた時の話
私は死にかけた経験がある。
小学校に上る前に、2回…。小児喘息で入退院を繰り返していた幼少期に。
1回目は夜中だったと思う。寝ていたら突然息が出来なくなった。よく映画などで海に沈んで死んでいくシーンがあるが、あんな感じ。苦しくてもがいて、意識が遠のく時フッと楽になる。
子どもながらに『死ぬんだな』と思った。真っ暗闇をひたすら歩いた。名前を呼ぶ声が聞こえる。目を覚ますと病院の天井が見えた。『死ねなかったのか』
悲しいが鮮明に覚えている。最初に思った感想だ。正直、小児喘息の発作は苦しい。
「あの苦しみとお別れできる=死」と思っていたから。
その後も喘息発作は続いた。
両親も病棟の先生、看護師達も爆弾を見るような目で私を見ていたのを覚えている。数ヶ月が経った頃意識がとんだ。
2回目は昼間だった。
珍しく父親が付き添っていた。あとから聞いた話では、母親がどうしても病院に行きたくないと言って、父親が付き添っていたらしい。父親が、私をトイレに連れて行くため抱っこしてベッドから下ろそうとした時、意識を失った。
父親は、おしっこを漏らし、ぐったりして息をしていない私を見てパニックを起こしたと聞いている。
同室のお母さんがナースコールを押してくれた。この時、小児病院には研修医しかいなかったらしい。研修医も帰り支度をしていたが、嫌な予感がして次の先生が来るまで待っていたそうだ。
研修医も慌てたことだろう。
私はと言うと、意識がない間しばらく天井から自分を見ていた。
看護師が救急カートを持ってきた。研修医も来た。『やっぱり私死ぬのかな。』と思っていたら真っ暗な道を歩き始めた。
機械音、話し声…前は名前を呼ぶ声しか聞こえなかったのに。
遠くの光に向かって歩く、とにかく歩いた。
歩き疲れた頃目が覚めた。
病院の天井。
『まただ。私生きてる』1回目と違ったのは、1週間近く目を覚まさなかったこと。挿管をしたらしく(抜管されていたが)声が出なかった事。そして、お隣のベットのお母さんが、『三途の川見えた?』と聞いてきたこと(笑)
声はしばらくしたら出るようになった。お隣さんには、三途の川は見えなかった。お花畑も。ただただ暗い道を歩いていた。遠くに光が見えていた。と教えてあげた。
それから数ヶ月後、小児喘息の子が集まる病院施設に入院する事となる。親元を離れ心と身体を鍛えると、小児喘息は治るらしい。
心身症とも言われ、心の病気とも言われている。もちろん心だけが原因ではないが…
ママさん喘息の私には効果があった。家族と離れることが、私にとって悲しいかな、1番心が落ち着く。もちろん、喘息発作は1回もなかった。
私は幼少期『死』と向き合った。私は死ぬ瞬間の苦しみも楽になる瞬間も知っている。
看護師になりより多くの死と向き合ってきて言えることは、
『死んだら終わり』
ただ、それだけ。