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117 〜阪神淡路島大震災の記憶と記録③

※前回の記事


被災して二日目。

父が単身赴任先の金沢から乗ってきた車に家族全員が乗り込み、神戸から1時間ほどの母の実家に到着した。

母の実家は中学頃まで夏休みや冬休みに一人で1週間ほど過ごすのが定番になっていたので、私にとっては落ち着ける場所だった。

盆地で神戸より数倍寒いところだったが、ストーブを炊いてこたつに入ってお手洗いにも気軽に行けて…
まさに天国のような環境だった。

車で1時間程度で、別世界だった。


テレビをつけてニュースを見てると、あの衝撃の映像が目に飛び込んできた。

家から車で数分のところの高速道路の高架が折れて倒れてた…

なんで、私生きてたんだろ…

そのままニュースをみてると死者数がどんどん増えていく。

これどこまで増えていくの…

特にやることもなかったので、ただただニュースを見てるしかなかった。

そうしてこたつにはいってずっとニュースを見てると、見覚えのある名前が目に入った。

え…去年同じクラスだった子と同じ名前…

当時は携帯もなかったので、震災後の混乱した状況ではそれ以上の情報を得ることはできなかった。

学校は当然ながら休校。

校舎もかなりのダメージを受けたらしい。

しばらくして、卒業式だけ執り行うという連絡があった。
(今から思えばどうやって連絡を取っていたのだろう…。スマホなどなかった時代。携帯電話すらも普及率は低かったはず)

ニュースで見た元同級生の名前は、やはりその人本人のものだった。

私の高校で、唯一の犠牲者だった。



3月某日。
1日だけ集まって卒業式が執り行われた。

校舎が半壊して中に入れないため、校舎の間の広場に椅子が並べてあった。

後に「青空卒業式」と言われるものだった。

3年の担任は体育の男の先生だったが、
マンションから遺体を運び込んで救助などをしてた時の話をしてた時、涙を流しながら話をしていた。

震災の時の記憶は断片的ながらも、その涙のところは今でも鮮明に残っている。

いろいろ辛いこともあるけど、頑張ろう…と。

その頃の神戸での記憶は、その卒業式くらいしか残っていない。

私の家族は、基本は田舎で避難生活を送っていた。

兄はその母の実家からバイクで大学に通い
私は受験勉強。

家ではなかなか集中できないので、
バスを乗り継いで街中まで出て、図書館に勉強しに行っていた。

今から思うと果たして勉強になっていたのだろうか…

その母の実家から車で15分くらいの駅前に叔父が一人で住んでいた。
一人暮らしにしては広いマンションだったので、叔父は実家に戻ってもらって家族でそこに移り住んだ。

生活基盤を神戸に戻すに当たり、交通の便がよくなる…ということでの判断だったと記憶している。

さすがに叔父には悪いと思いつつも
その家はマンションで神戸の家と近い様式だったので、さらに快適な生活を送らせてもらっていた。

テレビなどの報道では、ボランティア活動のことがよく取り上げられていた。

いわゆる「ボランティア元年」と言われた流れだった。

でも私は勉強をするしかなかった。

他の選択肢がなかった。

抗える術もしらなかった。


ちょうどいい避難先があったので真っ先に逃げてしまった。
でもあのまま神戸の街にいるのが怖くて仕方なかった。
その罪悪感が晴れることはなかった。


長く田舎の叔父の家を占拠してたが、3月になってそろそろガスも復旧するだろう…と神戸の家に戻っていった。


震災が原因ではなく、元から実力が足りていなく、
浪人することになった。

大手の予備校ではなく、仮設の教室で営業を続けているところに通うことになった。

浪人生の予備校は通常は週5で授業があるものだが、そこは授業は週に3日で他の日は自習に当てることをウリにしていた。

大手の予備校には現役の頃も通っていたが、大規模な雰囲気が馴染めずうまくやっていく自信がなかった。
週3日である分、さらに授業料が安いのも魅力だった。


自転車で被災地を爆走して、その予備校に通った。

毎日勉強していた
疲れたら音楽を聴いていた

そんな毎日


被災後、電気はすぐに復旧し、
水道もほどなく復旧したが、
ガスがなかなか復旧せず、
3月頃は2,3日に一度自転車で隣町の銭湯まで入りにいっていた。

忘れもしない4月1日。
待望のガスが復旧し、ようやく我が家でお風呂に入れるようになった。

嬉しくって嬉しくって、昼間にも関わらず、復旧を確認してすぐにお風呂に入ったのを覚えている。

ガスが通ったことで、本格的に元の家での生活に戻ることになった。

神戸の復興と共に、
私の浪人生活が始まったのでした…。


〜続く


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