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2021.3.11

前回の日記からずいぶん日が空いてしまった。

相変わらずなかなかな余裕のない毎日を過ごしているのだけど、今日はふと思い立ったので久しぶりに日記を書いてみます。

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今朝は5時半起き。最近は早朝に起こされることが少ししんどくなってきた。

幼稚園がない日だと、早朝に一旦起きて夫が起きてきたらバトンタッチし私は再び上の子と共に夫が家を出るまで寝る、ということをしている。

が、幼稚園があるときはそうもいかないので起きる。眠いとすごくイライラしてしまう私。朝からイライラするなんて最悪ですよね。

それを察してか4歳の娘は、朝の起床から支度がずいぶんとスムーズになってきた。ありがたい。反面私は眠くて1人でイライラしている。ダメ親だと子どもは勝手にしっかりしてゆくものなのか。

おまけに今日なんて玄関を出た瞬間に派手に滑って転んだ。家の前が凍ってツルッツルだった。幸いにも子どもたちを巻き込んでおらず良かったが、私は右膝を強打し、ここでも大人気なく「いったーーーい!!」と叫びながら、膝が薄くなってしまった無印のタイツを気にしていた。2年履いたこのタイツはもうさすがに捨てようと思った。


最近はとにかく眠くて、上の子を送り出し家に帰ってきたら、即ベッドに倒れ込んでしまう。

もちろんもう1人小さな子がいるためそのまま寝るなんてことは不可能なんだけと、今日は下の子も「ねりゅ!!(寝る)」と言いながら一緒に布団に入ってきてくれたのがとても可愛かった。(実際寝ることはないんだけど)

今1番肌が合う、肌に触れて心地良く感じるのは、紛れもなくもうすぐ2歳になるこの下の子だった。私は肌感覚というのを大事にしていて、一緒にいて肌が心地良いと感じるときは、その関係において確かなものだと思っている。

では上の子は?という話なんだけど、それについてはまたあらためてじっくり書きたい。(前もそんな話をした気がする…)


そんな下の子とのあたたかな時間を過ごしながらも、心は311のことに寄せていた。もうあれから10年経ったんだ。

10年前の今日は、仕事が休みでたまたま実家に帰っていた。母や妹が不在だったため、父と2人きりだった。その頃は夫とはまだ出会っておらず、もちろんパートナーはいなくて、いつも1人で気ままな休日を過ごしていた。この先も私はずっと1人なんだろうなあと思っていた。

その時間私は2階にある部屋でなぜか絵を描いていて、物凄い轟音とともに不気味な長い揺れを感じた。北海道にいながらも、ただならぬ感じがして、私は父と2人で慌てて外へ出た。

そこからはずっと正座をしてテレビを観ていた。日が暮れるまでずっとずっと食い入るように観ていた。



最近は日中にテレビを観ることは滅多にないんだけど、今日はあのときのように正座をしてテレビの前にいた。正座をすると右膝が痛かったが我慢した。

たくさんの被災した方々、ご遺族、その中で、震災が自分のアイデンティティになったと仰る若い男性。

過酷な運命を辿ることになってしまった人たちの重みのある10年と、私の10年との差。

そして今日みたいな日だけこうやってテレビを観ながら心を寄せた気になって涙を流している自分に辟易した。

鼻をすすりながら、誰かにこの気持ちを共有したいと思ったけど、現実は隣で「YouTubeをみたい」と永遠に言っている我が子。混沌とした時の中に、またひとつ気持ちが埋もれていくのを感じた。


最近夜は子どもたちだけ早い時間に夕飯を食べさせている。2人とも食の好みが真逆なため、食事の用意はなかなか大変。

やっとの思いで今日も小さな2人を寝かしつけ、夫が帰ってきてからは、真ホッケを焼いただけのもの、切り干し大根の味噌汁、お豆腐、小松菜の炒め物を食べた。地味…。

毎日の息抜きだった夕飯を作ることも、最近のワンオペにより気力を失われつつあるのがとても悲しい。だけど今日もまた子どもたちの多愛ないおかしな出来事を夫に話し、2人で笑いながら遅い夕飯を食べた。








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