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夜の散歩道

夜の散歩道
身体のリズムを感じる。静かさがある。
暖かい5月の日の夜、優しい風の日が良い。
木の葉のそよぐ音、遠くから風鈴の音。その調和を感じる。
音の少なさが、心を集中させてくれるのかも。
木々の香り、花の香り、日中よりも強く感じる。暗闇で視界が閉ざされている分、他の感覚が敏感に働いているのかもしれない。
音に注意を働かせる。足音のリズムを周りの音に調和させてみる。それはドラムだ。自動販売機はベース。エンジン音がギター。風で擦れる葉っぱが、ボーカルだ。
音と歩行は呼応する。その速度は、人間の速さの感覚を作っている。

辻堂から善行から湘南台へ、夜の散歩。
音に敏感になっている。車の音が、バイクの音が煩い。落ち着かない気持ちにさせる音だ。昼間歩いているときは、こんなこと思いもしなかったのに。何倍も音に過敏になる。
人は音の無い状態を恐れるようだ。
暗闇は音を吸収する。静けさは恐れをはらむ。死の恐れ。本能的な恐れだ。
だから人は、静けさから逃げるようにして音を求めるのかもしれない。人の声や車ですら安心する。

湘南台から北上する。
風が吹いている。僕はこの風を知っている。
雨が降る前に吹く風。
冷たさと、湿り気と、若干の不安を含んだ風。
でも、行こう。今日も歩きに。
この湿り気と不安がもたらすものに、触れに行こう。
身体は歩きたがっている。落ち着かなかった。
時間という拘束を逃れようとそわそわして、心を浮き立たせた。
歩けと、身体が言っている。だから、行こう。
雨の不安、それは暗さ?寒さ? なにが不安にさせるのだろう? その記憶の源はなんだろう?
歩くためだけに歩く。汗が出る。早朝に家を出たら、夜までにどこまで歩けるだろうか?
とても面白いことを考えていたのだが、忘れてしまった。
歩くことは瞑想であり、祈りに近い。
菅さんという詩人が、本に書いているエピソードが興味深い。
2時間を超えると、身体は自動運転になる。思考が働き始める。身体が思考になる。
400万年前の、人類の移動を思う。それは徒歩だった。アフリカから、300万年かけて、歩いた。
日本人の祖先だ。
移動したものと、留まったものがいた、それがなぜかはわからない。
僕はおそらく、移動を選んだ者たちの子孫。道に先があれば、その先に進みたいと思うのだ。
数百年万年の移動の記憶は、身体の中にあるのだ。歩くことは、この記憶につながることだ。
それは多分、シャーマンに近い。
創造の源にアクセスする。歩けば浮かんでくる。自分が何と繋がっているのか。そこから作れば良い。それは俺のものであり、俺のものではない、人類の記憶だ。坂口恭平がトンネルと呼ぶもの。
歩くことそのものを撮り、描くにはどうしたら良いのだろう。歩くことを表現したい。歩くことを創造したい。

大和駅到着、22時。駅前でラーメン食べる。赤味噌ラーメンとキムチチャーハン。ピリ辛のラーメンが美味しい。キムチチャーハンはミニのサイズ感を越えてきたので、少し残した。
小雨が降り始めた。
歩くことが、これまで自分にもたらし続けてくれた恩恵に、感謝したい。奇跡だ。
歩くことの聖性は、俺が一番知っているものだ。それはいつも助けてくれた。示し、導いてくれていた。歩くこと。

すべての道を歩くことはできない。
ありうるべき世界を探している。

〈江ノ島~八王子ぜんさんぽメモ 2020.5.16~2020.6.12〉

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