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冨士太郎と夫婦檜




前回につづいて、富士山の麓へ行きました。




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富士山への登拝の拠点とされてきた、山梨県、富士吉田市の、北口本宮冨士浅間神社( きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ )です。



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境内の入口には大きな鳥居があって「 冨士山 」と書かれた額が掲げられていました。

富士山は日本で最も高い山で、この山よりも高い所がないから「 富 」の文字の中の一番上の点を取って、ここでは「 冨士山 」という漢字が用いられていました。


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長い参道を歩くと、





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大きな石がありました。



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注連縄で巻かれたこの石は 「 角行( かくぎょう )の立行石( たちぎょういし )」と名づけられていました。


富士講( ふじこう・江戸時代に町人層の間で広がった、富士山信仰を中心とする教団 )の開祖といわれる角行 東覚( かくぎょう とうかく )が、慶長15年( 1610年 )の冬に、この石の上で30日間、裸で爪立ち( つまだち・足のつま先で立つこと )の荒業をしたと伝えられています。

彼が生涯で成し遂げた主な修行は、不眠の大業 18800日、立行 3000日、断食 300日、造字 360字、富士山への登頂は128回に及んだと伝えられて、

江戸時代に生きた人でありながら、なんと驚異の106才まで生きたと伝えられています。

この岩で爪立ちをしたのは69才らしいです。

すごい人がいたのですね・・。






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長い参道を歩いた先には、





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美しい拝殿が建っていました。

かつては荒廃していましたが、享保年間( 1716年 〜 1736年 )に、当時の富士講の指導者だった村上 光清( むらかみ こうせい )という人物が、私財を投じて再建しました。



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拝殿に向かって左側を見ると、






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圧倒的な存在感の巨木が生えていました。




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