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岐阜県と三重県を流れる大河川・長良川( ながらがわ )の源流域で行われた、 源流 遊行祭( げんりゅう ゆぎょうさい・長良川カンパニーさん主催 )に、遊行人として参加をさせてもらいました。 このお祭のメインイベントとして、 高田 宏臣さん率いる地球守のみなさんに指導をしていただきながら、 長良川の源流域で伐採された杉林跡で、森を育む施業をみなさんと行いました。 ほんとうに、感動の連続でしたが、 印象的だった中の一つは、植樹について教えてくれた地球守、高田造園の方々の目
長野県、北アルプスの麓に広がる森へ行きました。 信濃富士と呼ばれ、昔から信仰の対象でもあった、有明山( ありあけやま )の登山道です。 登山道は、歩くだけで体の内から清められるような、美しい水が流れている渓流に沿っていました。 しばらく歩くと、登山道は、その渓流から、より細い小川が流れている森の中へと続いていました。 巨岩が無数に横たわっている、苔むした森の中へ入ると、
( 前回のつづき ) 川がけずった、谷沿いの道を登りました。 しばらくすると、杉が生えていない明るい森になりました。 ふと、左の方に目をやると、 先ほど大きく茂っていた杉が、1本だけ生えていました。 杉はそれほど競争力の強い木ではないので、自然の森では、このようにちらほらと自生することが多いです。 道をさらに登っていくと、
( 前回のつづき ) 女体山を正面に見ながら、男体山を下山しました。 昭和テイストの癒しスポットに着いて、 女体山の方へ向かうと、 「 紫峰杉( しほうすぎ )まで徒歩1分 」と書かれた看板があったので、行ってみました。 入口から15秒くらい歩くと、
前回、富士山から湧き出る水の荘厳さを感じたので、富士山麓で、もう1ヶ所、水の名所へ行ってきました。 売店が並ぶ道を歩いて、上の写真の、右側の谷を下ると、
( 前回のつづき ) 公園を奥へ進むと、薄暗い茂みの中に、ウッドデッキの道がありました。 ウッドデッキの道を進んでいくと、 ここでも、大きな丸い枠から、水が湧いていました。 すこし歩くと、 右側が、広い湿地になっていました。 いたる所で湧き出ている柿田川湧水群( かきたがわゆうすいぐん )の水は、なんと、1日で約100万トンも湧き出ているらしいです。 その湧水群は、
( 前回のつづき ) 観光気分で登ると、つらくなって途中で下りてしまうような登山道がつづきました。 ここを登った先にある上醍醐寺( かみだいご )には、日本最古の巡礼路の西国三十三観音霊場の第11番札所にあたる、准胝堂(じゅんていどう)があります。 そのお堂への参道にもあたるこの道は、西国三十三観音霊場の中で、最も険しい道と云われてきました。 そのことに納得をしながら登りました。 登山口から、1時間半くらいをかけて登ると、 上醍醐の寺務所に着きました。 入口にあ
( 前回のつづき ) 女人結界から、天川村の山上川( さんじょうがわ )を下っていくと、 川沿いに、洞川( どろがわ )という集落があります。 大昔から、大峰山の行者をもてなしてきた町です。 高台に登って眺めてみると、 山々に囲まれた洞川の集落がよく見えます。 集落のまわりの山には、
北海道です。 畑や牧場が、雄大に広がっています。 そんな北海道で、最近、個人的に注目しているエリアがあります。 北海道南部の噴火湾に沿って点在している、縄文時代の遺跡群です。 まるで早口言葉みたいですが、環噴火湾文化園( かんふんかわんぶんかけん )と呼ばれています。 このあたりです。 当時の日本の人口分布を考えると、とくに縄文時代後期には、北海道南部に多くの縄文人が住んでいたようです。 ちなみに縄文時代の人口のピークは26万人で、縄文時代後期頃とされていま
( 前回のつづき ) 渓流沿いの道を歩いて、着きました。 雄川( おがわ )の滝です。 滝の落差は46mあって、そのまわりの窪地がすごく雄大なスケールで、水の色も神秘的な青色でした。 振り返ってみると、 わりと大きな春楡( はるにれ )が生えていました。 ただ少し気になったことに、あまり葉っぱを茂らせていなくて、元気がありませんでした。 滝はたしかに立派でした。 ただ、窪地の規模に比べて、滝の水量があまりにも少ないので、なんとなく気になりました。 そこで、滝
東京都、神田川( かんだがわ )です。 川の近くにあるJR高田馬場駅から、北北西にある「おとめ山公園」へ行きました。 おとめ山公園は、上の地図の青いピンがある所です。 15分くらいをかけて歩いて、 「 おとめ山公園 」に着きました。 公園のまんなかを通っている車道には、 こんな看板が立っていました。 公園にはカルガモが住んでいるようです。 園内には、雰囲気のある池があって、 池のほとりの東屋の向こうには、 芝生の斜面が広がっていました。 ふと、斜面の
東京都、調布(ちょうふ)市、水生植物園です。 手すりへ近づくと、 水に満たされた平地が広がっていました。 以前ここは田んぼでしたが、戦後しばらくが経ってから放棄され、宅地になろうとしていました。 そこで昭和44年に調布市がこの土地を買い取り、昭和60年に水生植物園として一般公開されることになりました。 奥へ行くと、 放棄されていた田んぼが復活していて、 手前に、きれいな花が咲いていました。
( 前回のつづき ) 鳥居の向こうには、 雄大な空間が広がっていて、 豊受大御神( とようけのおおみかみ )がお祀りされている、外宮の御正宮( ごしょうぐう )の宮殿が、4つの垣根に囲まれて建っていました。 豊受大御神は、米作りをはじめ、衣食住すべてに関わる産業の神様です。 日本古来の建築様式と伝えられている、唯一神明造( ゆいいつしんめいづくり )とよばれる神殿は、垣根に囲まれて全容が見えませんでしたが、 唯一神明造の神殿はどのような姿をしているのか、御正宮から
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