群れない、媚びない、押し付けない。
嫌味なまでに人と連れ添うこと、無理して誰かと肩並べ「友達だよね!」と和気藹々笑いながら存在することを、正直、美しいとは思えない。真っ赤な焼印押すがごとく、崇高な言葉をトップダウン式に発している御方。その彼や彼女を実に敬い、たまらず膝をつき、分母1。崇め奉っては不幸にも視野削られ猪突してしまう、いわゆる「ワナビー」の方々。
身勝手で情けない批評をしたいわけではないし、不要な水を差して満悦する気もさらさら無い。俺個人、そうありたくないという決意であった。たまんねえ。群れない。媚びない。押し付けない。この文字列に「押し付け」の夢を見られてしまうようなら、それは俺の力不足であるでしょうが。
僕ら、群れなくて良い。やたら笑顔でいる必要こそ無い。世にて表すところの「友情」というのは、押し競饅頭だけが生み出すものでもない。ハリボテみてえな愛想笑いに友情の存続を願うぐらいなら、世の「一匹狼」を遠い向こうで待っている見込みの幸福に祈りたい。
媚びるのも、押し付けるのも、残念だ。愛ほど実存掴めぬものは無いが、一例挙げれば、好まれたいと切望する対象としての「彼・彼女」の輪郭にぴったり沿うこと、ひいてそれが「いつか愛されたい」という欲望に溺れて在ってしまうのなら、一刻も早く「それを捨てる」という行為を見つけられると良い。
愛は、求めるものじゃないはずだ。そこにあってくれるだろうと願い、見立て、祈り、熟成させゆくものだろう。向こう見ずの一方的な「媚び」が、行く末、双方向のために円満の「愛」を形成したという物語。そんなものは果たして無い。あってたまらん。真のワナビーが果てに “be” するサクセスストーリー、俺は夢にも見られません。悲しい話だ。漸進的に攻略するには、人の性分というもの、未だ簡略され切っていない。ロールプレイングゲームに甘い結末を希望しよう。
群れない。媚びない。押し付けない。人に期待せず、黙々、淡々やり切る。人の人生を生きるまで、僕らに許された余暇ってあるのでしょうか。自戒も含めての言い表しだが、ひとつ、てめえの人生ぐらい、てめえで生き切ってやりませんか。