「気持ち悪くない愛」なんてものは無い。

愛は気持ちの悪いものです。そもそも愛情表現の最たる例、「セックス」なんてものは、世に在る愛情表現全般においてもっとも気持ちの悪い、気持ちの良いことでしょう。粘膜交換。粘る膜が交わり換わるわけ、です。交え換えるわけです。気持ち悪いったらありゃしないでしょうよ。

性交への豪速球的嫌悪をぶつけまくりたい訳ではない。そもそも「愛」ならびにその表現方法は、あらゆるものがおしなべて気持ちの悪い体裁を取ります。恋人の前でのみベタつく甘えん坊になってしまう。自分は食べもしないのに、風邪引きの恋人へ柔らかいうどんなんかを作ってしまう。肩幅より大きな花束。一年に一度のスイートルーム。咥えたタバコに向かってくる左手添えのライター点火。ざっと20年、20年!? 20年もの期間を一身に費やす育児。飲酒後の帰り道、隣の恋人へわざわざ奢るアイスコーヒーあるいはアイスカフェラテ。

「愛はおしゃれじゃない」なんていうからっとクールな言葉が、五年も前に聴こえました。ここはひとつ、元号もめでたく変わったことですし、強気に言い換えて見るのも良いでしょう。「愛は気持ち悪い」とでも、どうでしょうね。

愛に嫌悪をかち込みグニョグニョに混ぜると、アンビバレンスも甚だしく、行方にブラックホールが出来上がってしまいます。そういうことではありません。「気持ちの悪いもの」としての愛すら、いっそ愛おしいじゃないかよという話です。

愛は気持ちの悪いものです。それはもう、決定してしまっている事柄だ。変えられません。だったらいっそ、その醜態すらをも、愛情でもってがばっと包めてしまうのが良いんじゃないか、という話です。至極メタ的で決まりの悪い言い草ではあるけど。

よっぽど諦めがつく。もともと気持ち悪いものなんだから。だったらもう、我武者羅しっちゃかめっちゃかに愛してしまったら良いんじゃないですか。体裁などすべて放って。自分が思うままに、思う形で、その「愛」らしいナンチャラをべったり押し付けてしまえば良いんじゃないですか。もう、「気持ち悪くない愛」なんてものは無いんですし。どうでしょうね。

各々思うところもあるでしょうが、無いかもわからんですが、このくどい文章もまた愛だということにしておきましょう。終わり。

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三浦 希
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