『私はあなたが憎らしくて、本当に羨ましく思う』
『あなたには運がある。人望はそれなりにあって、誰から嫌われるでもなく、ましてやきっと、恨まれることなんか無いでしょう。「誰かが助けてくれる」といつも心のどこかで思っていて、それは毎回叶って救われる。あなたは幸運な人だ。私はあなたを憎んでる。それと同時に、心底羨ましいと思う。あなたのようになりたいと心から望んでいます。実現はきっとしなくて、私はあなたになれないから、どうしたらいいのか考えたんです。この先もきっと、こうして嫉妬の目を向けてしまうことはわかっていて、それでも何とかあなたを目指し、嫉妬の気持ちを努力のそれに置き換えることができるのか。私には無理だ。だからお別れです。諦めることにしました。あなたの存在が邪魔で仕方ないと思います。さようなら』
詩的な言葉に囲まれた、世にも幸運な人。大学の頃に出会った、きっとこれまでで一番素敵な人。僕はあの人のことが本当に好きだった。正直、5,6年経った今でもたまに思い出してしまう。いつもグミばっかり食ってたなとか、ガムは毎度フラボノだったなとか。小さいことばかり覚えていて、ちょっと嫌になる。
未練がましい男だ。あの人がくれた最後の言葉を、上記のように未だ一言も忘れられない。僕がこれまで書いてきた文章は、すべて彼女の受け売りと言っても過言じゃない。甲本ヒロトよりも、僕のお母さんよりも、あるいは尊敬するお父さんよりも、彼女は美しい言葉・思想を持つ人だった。
別れたあの日、憎悪にも、深い愛情にも見えるあの文章が送られてきて、僕はもう、これから何一つ言葉を連ねることはできないなと思った。あの人にはずっと勝てない。現に、今もなお彼女の真似事をしている。僕の文章はすべて、彼女の言葉をコピーアンドペーストして少しだけ肉付けしているようなものだ。
言葉に恵まれた人。色とりどりのグミを幾つも口へ放り込みながら、火の点いたハイライトメンソールを灰皿の上に放置し、延々本を読んでいるような人だった。
懐かしい。純喫茶を僕に教えてくれたのも、大衆居酒屋で酒を飲む楽しさを教えてくれたのも彼女だった。そのとき、いつも彼女は何冊かの小説を持った。小説と、タバコと、100円ライター。バッグを決して持たない人だった。黒くざっくり大きなコートのポケットに、ボカボカと本を放り込む。タバコの箱はいつもくっしゃくしゃだった。
懐かしすぎて、本当にダメだ。この文章を一言で表すなら、まったく「未練」である。今でも好きでたまらないとか、付き合えるもんならまた付き合いたいとか、そういう類いではなく。
あの人が僕に向けた別れの言葉が、僕にアンビバレンスの面白さを教えてくれた。憎いのに羨ましい。嫌いだけど好きだ。こんな感情があっても良いのだ、ということ。
僕は、あの素晴らしき彼女が、時点そう思ったような人間で居続けられているんだろうか、とも思う。彼女が羨むような、嫉妬の気持ちを向けてくれるような、そんな人間であり続けられているんだろうか。
彼女はFacebookもTwitterもやっていないから、今やどこで何をしているんだか知れたもんじゃないけど、きっとどこかのきったねえ居酒屋でひたすら本を読んでるんだろうな。会いたいけど、会いたくないな。会えないなぁ、まだ。
頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。