「僕はあとでいいよ」と言えることこそ。
30歳にもなった手前、否でも応でも、自らのことを「大人」だと認識しなければならず。なんでもかんでもワーワーギャーギャー怒り散らしていた24,5歳の頃を思い出して、別に「気色悪かったなぁ」と思うまではないにせよ、少々感じてしまうところもありつつ。
そりゃもう、とびきり大変な時期でした。自分には仕事がほとんど無かったので。びっくりするほど仕事がございませんでした。「なんで俺には仕事がねえんだよ、こんなにも優秀なのに」と、心の底から思っておりました。正直です。喉から手が出るほど、仕事が欲しかった。金が欲しかった。名声が、賞賛が、実績が、大報酬が。喉から手が出てきたところで、それらにはめっぽう届きもしないのに、です。みんなのことが嫌いでした。
正味、世は残酷であったと、今でも思います。少々は。身の回りの編集者たちは『三浦君に仕事お願いするね〜』と残して、どこか遠くに消えていってしまいました。それも「どこか」とは書いたものの、SNS上には楽しそうな表情を浮かべているわけです。見えちまうわけです。「あ、いるよね、いるんだよね」となっては、あの時の彼や彼女の優しそうな言葉がニューロン繋げまくって、鬱々と沼底まで、僕の脳と身体を引きずるわけです。めっきり人のせいだが、あれはまさしく残酷であったと思う。舌の根を引きずり出そうとしないでください。僕はどこにいたんでしょう。僕はどこにいたんでしょうね。
やっとのことで、少しばかりは豊かな暮らしを続けられる(見込める)ようになりました。毎月決まった仕事をいただけるようになり、よくよく見合った報酬をいただけるようになり、それにて家賃を払い、飯を食い、酒を飲み、好きな服を買えるようになりました。良かったと思います。私怨的に抱いていた編集者の方々ならびに同業者への嫉妬心、あるいは劣等感からくる荒んだ感情は、漸次的ながらも失せゆき、今のところすっかり消えてくれたと信じて良さそうです。もうあらかた大丈夫です。みんなのこと好きです。
「僕はあとでいいよ」と言えるようになりました。僕の収入、僕の仕事、僕の実績云々を、一度だけ蚊帳の外に置いておくことができるようになりました。自分だけが儲かりたい、自分だけが金を稼ぎたい。自分だけが一線の先頭に立って大活躍したい。そう思うことは、今やあまり多くないような気がします。もちろん好きなことを続けていきたいとは思えど。金を稼いでたくさん酒を飲みたいとは、今も変わらず思えど。「僕はあとでいいよ」と言えるようになりました。ようやく30歳になりました。自分と同じくらい、他人のことを大切にできるようになりました。友人や家族を強く抱きしめていられるようになりました。
それは明らかに、現在の暮らしが、以前自分が暮らしていた様からずっと違った形に変化したからです。豊かになったのだ。これは自慢でもなんでもありません。事実、アルバイトスタッフとして月に9万円をもらい生きていた頃と比べれば、明らかに今の暮らしは豊かです。買えない服をわざわざ見に行っては「買えない買えない買えない………」とつぶやきながら心に紙やすりをかけていた頃とは、全然違う。感情さておき、勘定が邪魔をして好きなものを買えないというのは、すごく辛いことです。きっとわかるでしょう。
今も、儲かりたいです。今も、稼ぎたいです。豊かになりたいです。心そのものは変わりません。ただ、その主語は「自分」でなく、今や「身の回りと自分」になりました。複数形です。三単現のsは不要になりました。『自分は “I” だから、「三人称単数現在」ではなくそもそも「一人称」だろう! sなどそもそも不要だろう!』って、そういうのは要らんのです。「僕」としての “I(自己愛のアイだな)” が強すぎるあまり、夢をみては、自らとはまた違った「自分(切り分けたもの)」を作っていたんだろうと思います。それはとても残酷なことです。
24,5歳当時の僕は「(稼いだ)自分」を常に夢想していました。「(豊かな)自分」をとにかく必死に。取り繕ったりもしました。誰にも言えない借金がたんまりあった時期も、確かに存在していました。馬鹿な僕よ。
理を想う、想う。想像する。僕は僕のようで僕でなかったんだと思います。「自分」であった。自らを分けた、もう一人だった(と信じていた)わけです。その実体は、僕ではありません。僕は一体どこにいたんでしょうね。一体どこにいたんでしょう。
おもしろいものです。みんなが儲かればいいと思います。頑張る人が頑張るだけの報酬をもらい、思い思いの「豊かさ」をほとんど常に実現し、おいしい飯を食らっていてほしい。あったかい風呂に入って幸せに寝散らかしていてほしい。僕はあとでいいです。本当、あとでいいです。
昔の僕が見たら、なんて言うかな。「そんなんパンクじゃねえだろ」って言うだろうか。パンクミュージックとフォークミュージックに通底するものを確かめろ、24,5歳の頃の僕よ。今も決して火は消えていないのだ。みんなが高い飯食ってる間に安いカップラーメンを食らい、みんなが湯船に浸かったあとで冷たいシャワーを浴び、みんなが寝静まった頃に思い切り火を燃やせ。以上。そのままがんばれ。