「なんでもいい」じゃ、なんにも良くない。

 いつのまにか口癖になってしまった、「なんでもいいです」という言葉。どこで飯を食おうか考える時にしても、友達と会って何をするか考える時にしても、恋人と次の旅行の計画を立てている時にしても。毎度毎度、「いやー、なんでもいいな」と言ってしまう。

 いつも都合良く「なんでも "いい" じゃなく、なんでも "良い" なのだ」なんて言ってきたが、あんなもんは単なる言葉遊びに過ぎない。母から受け継いだ哲学ではある。全てを受け入れようとする気概、心持ち。だが、近々、そればかりではいられないなと思い始めてきた。だから、バッサリ「あんなもんは言葉遊びだ」なんて言ってしまう。決別である。切断である。のちにこれを英断だと思えたら良い。

 「すべて良い、何もかも良い」なんていうのは、一聞意見らしく聞こえはするが、実のところ、「あー」とか「うー」とか言ってるのと大した変わらないのだ。なんなら、無言を続けるのとも何ら変わらない。むしろ、無言の方がよっぽど美しいかもしれない。沈黙は金。思考が巡っているのであれば。

 センスが死んでいく。殺してしまう。黙殺というやつだ。「誰にでも合わせられる」と言えば聞こえは良いが、メタモンは「へんしん」しか覚えられない。イエスマンが誰かから『じゃあ、一回死んでみようか!』と言われたら、どうなるか。言葉は強いが。

 すべてを良いとして、肯定すること。良い良い良い良いと言っては、中身に目を向けることも無く「良」のスタンプを押してしまうこと。何かを言っているようで、実は何を言っているでもないこと。ここ最近は、自分のそれについてばかり考えている。

 狼少年が吐くのはほとんど嘘ばかりだったようだが、まったく逆を向いたベクトルで、僕もそうなっていないだろうか、と思った。何でもかんでも良いとすることは、ある意味、何も考えていないのと同じなんだろうな。それで楽しく生きてきたんだけど。自分のことを見つめ直して、意識的にもう少し、自分を変えてみようと思います。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。