人生何が起こるか分からない
「人生何が起こるか分からない」とう言葉はポジティブに使われがちだ。と思って検索ボックスに入れてみたけれど、どの検索エンジンでも大してポジティブな記事は出てこなかった。
私が思っているよりポジティブな使われ方はしていなかった。「どうせポジティブに使われてるんだろ」という私の勝手な思い込みだった。
というのも私はこの言葉があまり好きではなく、ましてや良い意味でつかわれている場面に遭遇した時なんかには、舌打ちしたくなってしまう。
この言葉に恨みがある訳ではないけれど、そんな風には思えないのだ。
高校1年の時、父が亡くなった。急にではなかった。7ヶ月も入院していたのだから、急ではないはずだけど、急だった。私史上最大の「人生何が起こるか分からない」案件。
私は16歳で父は46歳だった。入院している間もまさか死ぬと思っていなかった。父を知っている人なら皆そう思ったと思う。そういう人なのだ。目立ちたがりでミーハーでお酒が好きで人と話すのが好きで、顔が広くて態度がでかくて図太い人。
今よりずっと若かった私は死ぬということをちゃんと知らなかったのだ。言葉として現象は知っているけど、そういうのは順番に回ってくるものなんだと。
ガンは『金八先生』で観たから知っていた。薬で痩せたり髪が抜けたり、最悪死んでしまう病気というのは知っていたけど、それが自分の父親とは最後まで結びつかなかった。幸作(金八先生の息子)も治ったし。
若さと、経験の少なさ故に事態を深刻に捉えていなかった私は7ヶ月の間に数えるほどしか父に会いに行かなかった。もっとたくさん会いに行けばよかった。この人生最大の後悔がある限り、この言葉をいい意味に捉えることはきっとできない。
十何回目かの命日の時、父の好きなものを写真の前に供えようと思って、考えたけど分からなかった自分にがっかりした。焼きプリンが好きだったような、と思い母に聞いたら全然違っていた。
入院中、父が母にプリンが食べたいと言って母が売店で焼きプリンを買ったら、焼いてるやつは違うと怒ったという話だった。
聞いた時はなんだよそれ、と笑った。
父を思うこと自体は変な気持ちにはならない。焼きプリンを見るたびに一度だけ胸がキュッとなるだけだ。
ところで、目立ちたがりで出しゃばりでフットワークが軽くてイベント好きの父だが、意外に薄情なところもあって、母と二人の姉と私の20年間を足しても数えるくらいしか夢に出てきていない。生きている人の夢の中に現れるには随分厳しい条件があるんだろうなと思っていたら、今年に入って面白いことが起きた。私の夫の夢に、突如父が現れたらしいのだ。
父は私が高校生の時に亡くなっているので、夫は当然会ったことはなく、写真でしか父の顔を知らず、声も聞いたことがない。けれど夢の中で話しかけてきたその人を見て、私の父だとすぐに分かったのだと言う。
さらに夫が言うには、父と思しきその男性は耳にピアスをしていたらしい。生前の父はピアスなんてしていなかったのに、なに天国ではしゃいじゃってんだよ。おかしくて笑った。
しかもその日は祖父の七回忌。あなたがメインじゃないよ。私は笑った。思ってもみないことが、起こるもんだね。