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つくる会教科書 検定不合格。しかし「中華人民共和国」はどう見ても「中国共産党政権」だと思う
「欠陥著しく多い」と指摘され、つくる会中学歴史教科書が検定不合格 撤回を要求 来年度に採択される中学校の教科書検定(令和3年度使用)をめぐり、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は21日、同会が推進する「新しい歴史教科書」(自由社)が文部科学省の検定で不合格になり、採択できなくなったと発表した。平成28年に改定された審査基準により「欠陥が著しく多い」と指摘されたという。つくる会は「初めか
もっとみるあいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(3)知識人の民衆蔑視
あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について、これで最後となります。いきなりですが、ドストエフスキーの言葉を引用させていただきます。
「「困苦、貧困、苦悩のゆえに民衆を愛すること、言い換えれば憐れみをかけることは、どんな貴族の旦那にもできることで、それがヨーロッパ的教養を身に着けた人情みのある旦那ならばなおさらのことである。しかしながら民衆にとって必要なのは、苦しんでいるというこ
あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない
あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について、あと二つ(あと一つ、の予定でしたが一応一つ増やしました)考えたことを書きます。
(2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない
くどいようですが、私はこの展示会を見てはいません。ネットでいくつかの画像は観ましたが、作品の中には現場でその大きさや立体感に触れないと判断しにくいものもありますので、そこは割り引いて考えない
「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」について(1)展示会の中止という重大問題
「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」については、『正論』編集部の安藤慶太さん(大変お世話になってます)のフェースブックに大体言いたいことは書かせていただきましたのでここでは繰り返しません。何せ私は観に行っていないしたぶん永久にこの展示会という形では見ることはできないだろうから、本格的な批評も批判もできない。ただ、ここでは、自戒の意を込めて、二つだけ書いておきます。
竹村健一氏に、ちょっと的外れな(?)追悼文を
とんでもない勘違いの可能性もあるんだけど、ちょっとここに書かせていただきます。
この前なくなった、評論家の竹村健一氏のこと。私の20代から30代のときは、もうしょっちゅうテレビにも出ていたし次々と新刊を出していた(ちなみに私は昭和35(1960)年生まれ)。私は氏の本は2冊くらいしか読んでいないし、特にこの方に興味があったわけではないんだけど、竹村氏が亡くなった今、ちょっとこれだけは書いておきたい
ジミー・ディヴィス(カントリー歌手)の選挙演説
アメリカのカントリー歌手にジミー・ディヴィスという人がいまして、彼は名曲『ユー・アー・マイ・サンシャイン』の作者(実際には他人の作った曲を買い取ったみたい。当時のカントリーではよくあったこと)でもありましたが、ルイジアナの州知事にも当選、職を全うしました。ある意味、「タレント政治家」のはしりの一人かもしれません。
彼が最初に知事選に立候補した時の演説です。
「今日アメリカが直面している問題はただ
黒人奴隷は「苦難の行軍」をしていたのか
(本稿は、『宗教問題』編集長の小川寛大氏他有志によって構成されている『全日本南北戦争フォーラム』2018年冬季号に寄稿した文章を若干修正、編集したものである。このフォーラムは南北戦争を通じてアメリカという国の本質についてきわめて興味深い研究が行われており、ぜひネット上で検索しその活動に触れてみることをお勧めしたい(三浦)
『苦難のとき アメリカ・ニグロ奴隷制の経済学』(R.W.フォーゲル、S.L
乃木伝説から小林秀雄へ(下)
小林秀雄は満州事変から大東亜戦争に至る時期、あえて時事的なテーマに触れたいくつかの文章を残した。大東亜戦争開戦後は、『無情という事』など古典世界に評論の場を移すが、この時期の小林秀雄は、迫りくる状況に対し、彼の尊敬するフランスのモラリスト思想家、アランの姿を思いつつ対峙していた。
アランは46歳で第一次世界大戦に志願兵として従軍、『大戦の思い出』(この題名は当時の翻訳、戦後は『マルス、または裁かれ
『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(中)
アメリカ人ジャーナリストの乃木将軍賛歌乃木希典に深い敬意の念を抱き、その人格を称賛したのは、アメリカの新聞記者、スタンレー・ウォシュバンである。彼は従軍記者として、日露戦争時司令部で指揮を執りつつ苦悩する乃木将軍の姿を間近に見ていた。その思い出をまとめ上げたのが、1913年に出版された『乃木大将と日本人』(講談社学芸文庫)である。
まず、ウォシュバンは、この戦場で一人の偉大な人格に出会ったことを、
『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(上)
明治から大正に御代が変わる時、乃木希典将軍は妻と共に自裁した。この事件をテーマに、日本のナショナリズムを、左右のイデオロギーから離れて、明治以後の近代化に対する庶民の精神史としてとらえた思想家、橋川文三が、1959年『乃木伝説の思想』という評論を発表している。本稿は、御代替わりの今年、この評論を再読しつつ、様々な思想家、文学者を通じた「乃木希典」の世界について再考してみたい。
白樺派の嫌悪と、
書評『人間の条件1942』劉震雲著(集広舎) 飢餓難民を救った日本軍
一九四二年、河南を襲った飢餓
三百万の餓死と、ほぼ同数の飢餓難民の出現 本書は、一九九三年に出版された中国の作家劉雲のルポルタージュ文学『人間の条件1942』と、同作品を二〇一二年に映画化した際のシナリオで構成されている。本書は原作とシナリオを同時収録することで、期せずして、一九四二年から翌四三年に書けて河南地方を襲った飢餓の悲劇と、その中で人間がいかに生き抜こうとしたか、当時の国民党政府も飢餓と