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『国民の創生』は差別映画であるとともにアメリカの再建を訴えた映画
グリフィスの映画「国民の創生」をDVDで何度目か鑑賞しました。何度見てもリリアン・ギッシュとミリアム・クーパーがあまりにも美しく可憐で、こういうスタイルのアメリカ人女優は二度とサイレント映画の終わりと共に二度と現れなかったような気がする(ちょっと変なたとえですが、京アニのヒロインのようにすら見えてくる)。
ただ、この映画はKKKを徹底的に讃美し、黒人を南部白人への弾圧者でありレイプ魔のように描いてもいます。これは原作小説自体がそうで(映画ではむしろ多少なりともその描写はやわらげられています)、確かに差別的といわれてもしょうがない映画なのですが、現在のアメリカの状況を考えながらこの作品を見直すと、グリフィスが何を訴えたかったかはなんか初めてわかってきた気がします。
南北戦争は、ある意味アメリカにおいては「文明の衝突」戦争でした(だからこそアメリカではAmerican Civil Warと呼びます)。そして敗れた側の南部は、人種差別と奴隷制の象徴としてだけではなく、南部男性は女々しい卑怯者、捕虜の虐殺者として侮蔑の対象となったのでした。
「騎士道精神」と「勇気」をモットーにしてた南部の男性にとって、これは屈辱そのものでした。南部連合の大統領ジェファソン・ディヴィスが、逃亡中女装していたことが、笑いものにされ漫画や歌にまでされたことも、南部のプライドを傷つけるものでした。事実は、妻と共にテントにいた時北軍兵士の急襲をうけ、急いで逃れようとしたときに誤って妻の服を羽織ったこと、寒かったので妻がショールをかけてあげただけだったのですが、「女々しい南部」の象徴として嘲笑されたのでした。
この映画でもまた原作でも、リンカーンは、南北の和解と国民の団結を求めた寛容な指導者として描かれており、南部に対し思い入れを持っていたリンカーン暗殺事件の犯人も何ら美化されません。しかし、そのリンカーンの暗殺後、北部が明確に南部を「占領地」とみなし、自分たちの価値観を押し付け、南部白人を「差別」「抑圧」したことが、「国民の分断」を招いたものとして否定的に描かれます。
事実、リンカーン暗殺後、アメリカ政府は南部に対し(理由はあったとはいえ)かなり強硬な政策を取ります。1867年3月の再建法では、連邦議会は、南部諸州で設立されていた州政府を無視し、南部を5つの軍管区に分割し、その各区を北部の将軍に管理させました。奴隷解放と黒人参政権を認めたのは民主主義の理念としては正しいのですが、逆に、南部連合の支持者で、合衆国への忠誠を誓わなかった者は投票権を奪われました。
北部から多くの政治家志望の男性が南部に押し寄せ、再建された州の多くでは、州知事や下院および上院議員の大半を占めていきました。解放された黒人たちが、北部から来た彼らを支持したことも事実でした。KKKの誕生にはこういう歴史的背景がありますし、「風と共に去りぬ」は、やはりこの時期の南部を舞台にしています
グリフィスはこの映画で、北部からやってきた政治家を、黒人と白人の混血児を愛人にした堕落した「南部への差別主義者」として描いています。モデルがいるのですが、その描き方はもちろん偏見に満ちた不当なものです。しかし、当時の南部の中には、北部人をこのように見た人がいたことは確実でしょう。「国民の創生」は、北部から来た女性と、南部の再建を目指しKKKを創設した男性が結ばれることを美しく描き、そこに南北の和解を示そうとしています。
そのために黒人を差別的に描いたり、KKKを讃美したりするのはもちろんグリフィスの偏見と悪意です。ですが、そうまでして彼が描こうとしたものは、やはりアメリカがもう一度一つの国になり、南北戦争の傷をいやして「分断」を解決する夢だったのだと思います。トランプ時代のアメリカについて考えながら、この映画を観て、やはりこれは名作だ、アメリカを代表する作品だと思いました。
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