
カミュと「精神の貴族」
フランスの作家カミユの「ペスト」がコロナ禍の中再評価され、私も当時雑誌「正論」にこの作品について拙文を書かせていただいたこともあります。しかし、カミユという人が、第二次世界大戦後フランス論壇の主流を占めていた左翼言論と対立し反共呼ばわりされていたこと、フランスのレジスタンス運動に参加していながら、その問題点を深く反省していたことなどは、今はあまり語られることもないように思います。
カミユは党派的な言論を、次のように堂々と批判することができた人でした。「ある思想の真実を、それが右翼のものか、左翼のものかに従って決めてはならない。まして、右翼と左翼が真実だと決めるものに従って決するのは論外である。もし、結局のところ、真実が右翼の側にあると思われるのならば、私は右翼の側につくだろう。」(1952年)
カミユは、フランスがナチスから解放された後、ドイツ協力者が罰せられ、時には処刑されることを、最初の段階では当然のことだと考え、そう書いてもいました。寛容を説き、フランス人同士が憎み合うべきではないといったカトリック作家モーリヤックを激しく論難したほどでした。しかし、やがてその実態が恐ろしい復讐裁判や、事実上のリンチに陥ったことをすぐに悟り、自分がいかに間違っていたかを率直に認めています。「モーリヤックが正しく、私が間違っていた」とカミユはクリスチャンたちの集会で率直に認めました。
私刑(リンチ)や「勝者の裁き」は、何の正義も生み出さないことをカミユは実感したのでした。そして、民主主義が堕落しないため、「正義」を振り回して他者を裁くことをなくすためには、何よりも「貴族」の精神が必要だと考えました。カミユにとって貴族とは、身分制や封建制とは関係なく、人間の精神のありかたでした。権利ではなく、義務を自分に課し、常に行動しながらも自分の身を引く、つまり自己を英雄のように考えたり振る舞ったりはしない人々を「貴族」と定義したのです。
「貴族とはまずある種の権利を享受するものではなく、それだけが権利を正当化する、義務を受容する者のことである。」「あらゆる社会は貴族を基礎としている。というのも、真の貴族とは自分自身に対する(義務を課する:三浦注)要求であり、この要求がなければ、あらゆる社会が破滅するからだ」
さらにカミユは、虐げられたもの、抑圧されたものは確かに権利を奪われた状態にあるのだけれど、彼らが立ちあがって自分たちを抑圧する社会に対し反抗、勝利し、権利を得た場合、直ちにそこには厳しい「義務」が生ずることを忘れてはならないと説きました。「彼(しいたげられたもの)が権利を得るや、たちまち義務が降りかかってくる。だから権利の泉である反抗は同時に義務の母でもある。これが貴族の起源だ」(カミユ、1953年)
カミユは当時フランスでも日本でも、時代遅れだとか反共右派とか言われましたが、当時の左翼の言論のほとんどは時代とともに色あせていきましたが、共産主義はテロルの思想であり必ずテロや粛清を引き起こし自由を圧迫する、社会的弱者は権利を勝ち得たときに義務を引き受けねばならない、と規定したカミユの言葉は今も全然死んではいません。
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