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「三日月よ 怪物と踊れ」(藤田和日郎 講談社)
「三日月よ 怪物と踊れ」(藤田和日郎 講談社)
三浦小太郎(評論家)
本作『三日月よ 怪物と踊れ』は、近年の漫画作品の中でも最高傑作のひとつと断言できるもので、漫画に興味のない方にも是非ご一読をお勧めしたい。
本作はメアリー・シェリーの名作「フランケンシュタイン」をもとにしており、この漫画で語り手を務めるのがそのメアリー・シェリー本人だ。ヴィクトリア女王を狙う謎の女性たちの暗殺団とイギリス軍との激しい戦闘から物語は始まり、圧倒的な暗殺団の強さ、そして舞踏をベースにした独特の剣術にイギリス軍は圧倒されるが、暗殺団の首領と思しき女性一人は戦闘中に崖から落ちて死亡した。しかしある科学者が、死体を、脳は事故で死んだ村娘、体は暗殺者のままの「人造人間=怪物」として蘇生させる。
あの強力な暗殺団は、次は女王隣席の舞踏会で暗殺を謀ると思われる。この怪物を、あの特殊な剣術を知るものとして、イギリス側の重要な防衛の一人として備えなければならない。幸い、脳を付け替えたというのに、体の方はあの剣術を覚えているようだ。シェリー夫人は国家機密として、この怪物に最低限の言葉やマナーを教え、舞踏会に参加できるよう教育することを命じられる。「フランケンシュタイン」の作者が、本物の人造人間=怪物に直面するのだ。
本作は「剣劇アクション」としても最高に面白い。ここでの女性暗殺団の剣術が、漫画でしかできない迫力で(アニメとは全く違い、絵が止まっているからこそ剣の重みや肉体の躍動が目に焼き付く)描かれている。メアリー・シェリーが自ら生み出した「怪物」の正体が、自分自身の内面であることに気づいていく過程も、彼女の表情の変化から説得力を持って描かれる(最終巻で、「(怪物は)私と一緒に生きていくの。私が離さない」というセリフと共に、シェリーがフランケンシュタインと絡み合う一コマは、漫画と文学のもっとも美しい邂逅の一つとなった)。
だが、そのような漫画作品としての面白さはもちろんだが、同時に見事なのは、シェリー夫人の生きた19世紀イギリスの時代精神を、現代に通じるものとして描いて見せた作者の力量だ。シェリー夫人の父は有名なアナキスト思想家のゴドウィンであり、母は女権拡張論者でもあった。シェリー夫人自身豊かな文才を持ち、事実上不倫の恋と駆け落ち同然に詩人P・B・シェリーと結婚するが、夫は海難事故で溺死する。「フランケンシュタイン」は当初、女性作家が偏見に見られていたため匿名で出版された。これも漫画に出てくる科白なのだが、多少改変して紹介する。「この国(イギリス)では、上層階級の女性はレディとして尊敬されるが、下層の女性は軽蔑される。男たちは女王陛下をあがめるけれど、一般の女性は縛り付けられたまま。」この状況を乗り越えていくためには、女性は「怪物」となるしかないのだ。
原作の「フランケンシュタイン」における怪物は、自分を作り出した男への呪いを、彼の愛する人々を次々と殺害する復讐によって果たしていく。逆に言えば、殺人という形でしか、彼は社会に触れることができない。最後に選ぶのも、炎の中での自殺である(作品ではそうにおわせている)。だが、この女性の「怪物」は、あらゆる場面で見事な武術を披露するが、とうとう最後まで「殺人」は行わない。ただ人を殺すことだけを命じられ、それに従ってきた暗殺団の半生を、「怪物」となってからの彼女は真逆の価値観で生き、自らも、また他人をも、戦いの中でその人間性を蘇生させていく。彼女の剣は、人の閉ざされた精神を解放し豊かな生に向かわせるために振るわれる「活人剣」である。
そして、情勢の登場人物が皆魅力的である。語り手のシェリーとヒロイン(?)である怪物はもちろん、詩人バイロンの娘で数学者のエイダ・ラブレス、個性的な暗殺者たちなどはもちろん、料理場で働く女中たちまで一人一人性格が生き生きと描かれている。彼女らはみなそれぞれの形で、19世紀の女性が抑圧された社会に、意識するかしないかは別として抵抗しているのだ。
本作はある種の「フェミニズム漫画」としても読めるし、また抽象的な女性の権利擁護の主張を、それこそ女性数学者エイダが一蹴しているところも面白い。「女性の権利擁護を説くのは正しい。しかし、君はそれを実現するための何の努力もしていない」「現実に体を張っている男どもに、そんな言葉が刺さるわけがなかろう」だが、このエイダの。男たちの世界で偏見にさらされながら「死ぬほど努力して」のし上がってきた女性のプライドもまた、「怪物」によって相対化されることになる。
そしてラストシーン、これほど美しい「ハッピーエンド」は久しぶりに読んだ。本作は藤田作品の中でも傑作として残るだろうし、また、もし未読の方は、メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」もぜひご一読いただきたい。家族愛、恋愛、社会の矛盾、差別、あらゆる文学のテーマが内在された傑作である。(終)
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