「偽史冒険社会 カルト本の百年」長山靖生著 ちくま文庫

「偽史冒険社会 カルト本の百年」長山靖生著 ちくま文庫 というめちゃくちゃ面白い本があります。これは近代日本に「偽史」として生まれたいわゆるトンデモ歴史観を様々な形で分析紹介した本で、その内容も相当におもしろいのですが(なんせ、古代日本人はヘブライ語を使っていた、「ナンジャラホイ」とは「天子をエホバは守り給えり」の意味だ、と言われても、こっちはナンジャラホイとしか思いようがないわけで;本書170頁)特にあとがき、これは感動しますので引用いたします。

著者の長山氏も医師ですが、オウム真理教信者となりサリン事件の犯人にまでなってしまった林医師のことをこう述べています。林医師(本書ではH医師と書かれています)は、もともと評判の良い良心的な医師で、外科医としても優秀で何人もの人を救っていました。しかし、彼が宗教にのめりこんでいったのは、医者は患者の体は救っても、心までは救えない、自分は人の心までも救いたいと思った、という彼なりの真摯な思いでした。オウム真理教の弁護士となった青山弁護士にも同じような思いがあったのでしょう。

しかし、著者はこう述べています。「医師には患者の心までは救えない。弁護士だって同じだ。医師や弁護士は、ただの職業であり、その職分の範囲内でしか、頑張りようがないのだ。その範囲をこえて、人間を救いたいと考えるのは、一見、素晴らしいことのように見えるが、実は自分の力を過信した、不遜でおごり高ぶった、非人間的な態度にほかならない。」

「理想を夢見るとき、人は時として自分の理想以外のものを視野から排除してしまう。自分の理想とあまりにかけ離れた『現実』にとまどい、憎むようになってしまう。現実は醜く、理想からほど遠いがゆえに、否定すべきものに思えてしまうのだ。」

「本来、理想を実現するためには、心とか精神とかを問題にするのと同時に、技術や組織化の問題を考えなければならない。だから本気で理想のために努力しようとするならば、林医師も、宗教に全面的にのめりこむのではなく、それを自分の心の支えとしながら、一見空しく思える自分の職務に勤め続けることで、社会全体の中で、分際をわきまえた貢献を考えるべきだったろう」

「だが、それまで心抜きにして技術や組織を妄信していた人間に限って、『ワン・ランク上の』心の問題に触れると、日常から一気に飛躍してオカルトやスピリチュアリズムに行ってしまう傾向がある。そんな『自分だけが知っている超越的知識』にはまってしまった人間が妄想を生み出すエネルギーはすさまじい。然も困ったことには、断片的に見れば、その論証は天才的なひらめきが感じられる時がある。ただし彼らは、その出発の時点で、真理から大きくずれてしまっている」

著者は、オウム真理教の言説の多くが、日本近代に生み出された様々な偽史や極端な陰謀史観とほとんど同じパターンに属していることに触れています、その上で、しかしそのような説もまた、それなりに理想や真実を求めた人々によって生み出されていたこと、正義やユートピアを求める心が、逆に妄想にはまって、人々を不幸にしかねないことを指摘していくのです。古代ギリシャで、医学の父と言われたヒポクラテスの言葉を著者は引用しています。

「技術は長く、人生は短い 智識は驕りやすく、経験は騙されやすい 判断は難しい」

「そう、判断は難しい。それは患者を前にしてヒポクラテスが毎日身をもって実感した思いだったのだろう。」「普通の人間は頑張ってもさして立派なこともできなければ、奇跡を起こすこともできない。それはヒポクラテスのような偉大な人間でも同じなのだ。彼が真に偉大だったのは、それでもあきらめず、こつこつと努力をし続けた点にあるだろう」(偽史冒険社会 あとがきより)本書は色々悩むときがあったとき手にして、まず本文を読んで笑い、かつ、このあとがきでしみじみと考えさせられる思いがします


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三浦小太郎
勿論読んでくださるだけでありがたいのですが、できれば応援お願いします