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日本人、50歳でオランダ語作家になる。(その2)オランダ語の雲をつかむ

それからの2年間は、錆びついたオランダ語を磨き直し、ほとんど読むことの無かったオランダ語の本を読み漁り、原稿を書いては直しを繰り返した。過去20年間の自分のオランダ生活を振り返り、印象に残っている出来事や、私がどうしても伝えたいことを、ポストイットに書き出して、あれこれと並べ替え、タイプし始めた。

いきなりオランダ語で書き出したはいいものの、文字数は思ったように増えない。自分が書き連ねたオランダ語を読み返してみても、人前に出して良い水準ではないのは自分でも分かった。まずは日本語で書いてから、オランダ語に訳した方がいいのだろうか。私の頭の中は依然として、基本的には日本語の世界だった。オランダ語でモノを言う時も、頭に考えが浮かんでからオランダ語にして口に出すまでの数秒は、いつも日本語が介在している。オランダ語をペラペラしゃべっているように見えても、その奥にはいつも日本語がいる。そしてオランダ語に置き換えられなかった言葉は、ザラザラと砂のように零れ落ちて消えていってしまうのだ。

とはいえ、オランダ語と格闘している過程で、どうにかこうにか組み立てた不細工なプラモデルのような私のオランダ語でも、それでないと上手く表現できないものが、この20年間で私の中に育っていたことに気が付いた。やはりオランダ語で書こう。そう腹を決めてからは、酸素の薄い高山に登るような気持ちだった。日本語とオランダ語の世界を行ったり来たりしながら、モヤモヤした想念の雲をひっつかんでは活字にし、一歩一歩進む。どんなに頑張っても一日でA4半分が限界の日もあった。気分転換に近くの森で散歩をしているときも、寝ているときも、本のことが頭から離れない。地味で孤独で苦しい時間だったが、うまく言葉にできた、と思ったその瞬間には中毒性が宿っていた。人が物を書くこと、創作することに執着する気持ちが、少しづつ理解できるようになってきたのだ。

こうして1年ほどで初稿を書き上げた。とにかく本を書くプロセス全てが初めての経験で、編集者Fさんから返事が来るまでは最後の審判を待ち望むような心地だった。自分が書いたものが全く通用しなかったらどうしよう。でも、私は、今の自分が書ける精一杯のオランダ語で、言いたいことを全てぶつけたつもりだった。これでダメなら、それが自分の能力の限界。そう思うことにした。

待つこと数か月、アムステルダムにある出版社のオフィスに呼び出しがかかった。植民地時代の栄華を誇る建物が軒を連ねる運河沿いにあるオフィス。だが、一歩中に入ると内部は質素を極めていた。会議室の本棚には、過去に出版された書籍、チェーホフ、ドストエフスキー、オランダのW.F.ヘルマンスのような錚々たる文豪たちの作品がぎっしり並んでいる。吉田兼好の『徒然草』や五味川純平の『人間の條件』など渋い日本文学の翻訳もある。私の本もあと少しでこの本棚に加えられることになるのか、と思うと畏れ多くて身震いがした。
 編集者Fさんは、繊細な言葉の端々に優しさと気遣いを感じさせる。さすが言葉を業にしている人だけある。それまで私が慣れ親しんできたガサツなオランダ語とは、雰囲気が違う。しかし、その優しい口調で、修正点を鋭く指摘されると、心にグサリと刺さった。すべての指摘は的を射ていて、作品のレベルを押し上げるには必要不可欠だ。ただ、私も齢(よわい)五十。この歳になると他人から真正面に間違いを指摘される機会に乏しく、編集者Fさんが真綿にくるんで投げてくる剛速球のコメントに、自分が先生に叱られる子供になったようで情けなく思えた。が、こういう妙な心の障壁こそが邪魔なのだ。心は修正ペンでグサグサと刺され満身創痍だったが、帰路運河沿いを歩きながら、私は必ずこの山を登り切ってみせると自分に誓った。

出版を半年後に控えた頃、本のタイトルと表紙を決めることになった。本のタイトルは、『Polderjapanner(ポルダーヤパンナー=干拓地の日本人)』。このタイトルは、降りてきた、としか言いようがない。夜中にふと思いつき、急いでスマホのメモに打ち込んでおいた。短くて、中身を端的に表していて、他の本のタイトルとかぶらない。編集者Fさんからは即OKが出た。表紙については、これだけは絶対に避けたい、というイメージが最初からはっきりしていた。その頃、新海誠監督の『彼女と彼女の猫』のオランダ語版が書店の店頭に並んでいた。オランダ語版の表紙絵は、赤い着物を着て猫を抱いた長い黒髪の日本人女性。戦後期に描かれた日本画らしい。それは日本語版のポップなイラストとは似ても似つかない。オリエンタリズム丸出しの古風な日本人女性のステレオタイプの再生産に、私は断固加担したくなかった。そこで表紙絵は、以前からInstagramでフォローしていた日本好きのオランダ人イラストレーターのハンナさんにお願いすることにした。後日談になってしまうが、無名の著者の本なのに比較的売れたのは、ハンナさんの表紙絵のお陰だったと言ってもいい。さらにオランダの書店業団体Librisが毎年年末に開催する“装丁グランプリ”にノミネートされたことは、ぜひ付け加えておきたい。

出版社が書店やプレスに配布する2022年秋の出版物カタログに書影と著者近影が掲載され、発売日は2023年1月中旬と決まった。半信半疑だった出版計画がいよいよ実現しそうで、でもこの一連の展開がいまだ信じ難く、幽体離脱して遠くから事の成り行きを眺めているような、そんな感覚が続いた。新年に入り、印刷所から刷り上がったばかりの本が手元に届いた。実物を見て触ってはじめて、2年前のあのメールが絵空事ではなかったことをようやく受け入れることができた。

(その3につづく)

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