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日本人、50歳でオランダ語作家になる。(その3)オランダを映す鏡

発売日前後に新聞やラジオのインタビューを受けた。人前でオランダ語を話すのは相変わらず苦手なままだったので、人生最大級の緊張と背伸びの連続となった。「無名の著者でこれほどメディアで取り上げてもらえるのは珍しいですよ」と出版社の広報担当者から聞いて驚いた。無名の著者なら取材申し込みゼロ、ということも珍しくないらしい。とはいっても、実際の本の内容を評価してというよりも、単にオランダ語で書く日本人が珍しい、そして日本に興味がある人が増えているのが理由だったように思う。お陰で初版2000部が1カ月ほどで売れ、次の月には重版がかかった。

しかし2年間ものあいだ、自分の世界に閉じ籠って心の奥を掘り下げながら書き綴った私的な文章が、出版を境に顔の見えない世間の批評の対象になる、というのは怖ろしくもあった。しばらくすると様々なメディアから書評が舞い込んできた。見ず知らずの人が私の文章の断片を切り取って好き勝手に論じているのを読んだり聞いたりして、その度に腸(はらわた)がひっくり返りそうな思いだった。それにしても「オランダ人は外国人から自分たちがどう見られているかに非常に興味がある。」と言った編集者Fさんの言葉はズバリ的を射ていて、書評で取り上げられた話題のほとんどは、外国人の私がオランダ人をどう見ているか、について書いたパートだった。いや、正確に言えば、自分たちオランダ人がどう見られているか、だ。私を鏡にして、そこに映る自分たちの姿を見て、議論して、楽しんでいる。そんなパートのひとつ、自転車について書いた章を紹介したい。
 

Lekker fietsen(楽しく乗ろう、自転車に)
私は自転車乗りだ。少なくとも、私はそう自負していた。高校の三年間、雨の日も風の日も往復16㎞のアップダウンのある道のりを毎日自転車で通っていた。オランダに住むことになった時、この自転車乗りのパラダイスで自転車に乗れることを何よりも楽しみにしていた。2001年秋に引っ越してきて真っ先に買ったのは、自転車だった。
広くて、平らで、舗装された美しい自転車道路。見やすい道路標識。さすが自転車大国オランダだ。日本のお粗末な状況とは比較にならない。現在でも自転車道路は無いに等しいが、道路交通法で自転車は自動車道路の端を走らなければならないとされる日本。特に車の多い東京では何度死ぬかと思ったことか。

日本の自転車の乗り方は、オランダとはずいぶん違う。そのことに気が付いたのは、私がオランダで初めて自転車に乗った日、マース川沿いの自転車道路でのことだった。私は日本の一般的な速度で自転車を漕いでいる、つもりだった。が、自転車に乗っていると、必ずといっていいほど後ろからベルを鳴らされる。レース用の自転車は仕方ないとしても、普通のママチャリも、子供からお年寄りまでもが、私を追い越していく。まだその頃のオランダは電動自転車が普及していなかったので、当然ながらみな人力である。競輪場のバンクかと見紛うほどのスピードで自転車道路を走り抜けている。オランダ人は一体何をそんなに急いでいるのだろうか。

どうしてオランダ人は老若男女揃いも揃って鬼の形相をして猛スピードで自転車を漕いでいるのか?家に帰ってパートナーに訊いてみた。彼の答えは「みんなが速い、ってことは、自分が遅い、ってことじゃない。」私がそれまで全速力で自転車を漕いだのは、学校に遅刻しそうになった時くらいだった。そうでない時は大概、周りの景色を眺めながらリラックスして、あっちへフラフラこっちへフラフラしながら走っていた。でも、そうやって私は自転車の旅を楽しんでいるつもりだった。が、オランダではそれはもう許されない。周りの自転車と速度を合わせ、流れに乗って漕がなければ容赦なく罵声が飛んでくる。

次の日。自転車で再びマース川沿いの自転車道路に乗り込んだ。まず周りのオランダ人の自転車の乗り方を観察する。彼らはまっすぐ前方を睨みつけ、安定の猛スピードでペダルを廻している。私も前方の自転車に狙いを定めて、それと同じスピードで進むようにペダルを踏んだ。競輪並みの速度を叩き出している、つもりだった。周りの景色を楽しんでいる余裕など無い。この競争に、私は絶対に勝たなければならなかった。この国でいっぱしの自転車乗りとして認められるために。こうして数週間、自転車を漕ぎ続けた。そしてある日、マース川沿いのトロピカーナ(当時屋内プールがあった所)の前で、とうとうお年寄り夫婦を自転車で追い抜くことに成功したのだ。全速力で自転車を漕ぎながら、心の中で私はツールドフランスの黄色いシャツを纏っていた。
(Polderjapanner P.21~22)
 

自転車に乗れないオランダ人はいない。ということは自転車については誰もが一家言ある。ある書評ポッドキャストで、「自転車に乗るのはAからBまで最速で移動するためでしょ。だから全速力で漕ぐのは当たり前だと思ってたけど、外国人から見るとそんな風に見えていたなんて意外」と盛り上がっているのを耳にした。自分たちがどう見られているか、それをツマミにわいわいと盛り上がりたい読者に、格好のネタを提供することができたわけだ。これで一つの目標は達成できたと言ってもいい。

本を書くことになった時、編集者Fさんはこうも言っていた。「オランダの文学は重苦しい話が多いから、明るく笑いを誘うような話が欲しい」と。確かにこういうネタは、自分も書いていて楽しかったし、読者もサラッと気軽に読めていい。後味も悪くない。しかし、サラッと気軽に読める話は、サラッと気軽に消費され、サラッと忘れ去られる。ポッドキャストから聞こえてくる笑い声に、消えていく泡を見るような虚しさも感じている自分がいた。

(その4につづく)

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