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日本人、50歳でオランダ語作家になる。(その5)マイノリティーになって初めて見えたこと

オランダ語でオランダ人の読者に向けて、外国人の立場からオランダを批判する。しかも外国人同士の内輪トークやネットの落書きではなく、これからもずっと形として残る本の中で。これにはかなりの勇気と熟慮を要した。編集者Fさんからは「オランダ礼讃だけに終始せず、批判的なことを書いても構わない」と言われていたのだが、万が一炎上しても出版社が私を守ってくれるとは残念ながら思えなかった。いっそのこと当たり障りのない食べ物や自転車の話でやめておいてもよかったのかもしれないが、敢えて綱渡りをしてでも、あの番組と差別の問題については、オランダの日本人コミュニティーの歴史の一幕として、どうしても書き残しておきたかったのだ。
 
USHI(ウシ)
我が家の本棚には“Ushi says ‘Hi!’”というDVDが眠っている。このピンク色のDVDカバーには、ウェンディ・ファン・ダイク(オランダの女性テレビタレント)と”ウシ”というキャラクターに扮したウェンディが並んでいる。ウシは日本から来た女性インタビュアーという設定で、長い黒髪に白いシャツ、少々きつめの黒いタイトスカートのスーツという出で立ちだ。私がオランダに引っ越してきた2001年当時は、この番組が毎週テレビで放送されていた。

私はウシのわざとらしい日本人女性のパロディーの中にもそれなりに核心を突いている部分があるように思え、面白がって見ていたことをここに告白しなければならない。たどたどしい英語で頓珍漢な受け答えをするウシの横には、いつも本物の日本人男性が同席し、会話を押し黙って聞きながら時々相槌を打つ。彼がいることで場の信憑性が増し、ウシが本物の日本人女性だと信じこむゲストが後を絶たなかった。この番組は、Black Lives MatterやStop Asian Hateが叫ばれるずっと前、今から20年以上前に放送されていたことを忘れないで欲しい。

私はシーズン終わりまで、時に大笑いしながら、ウシに対して特に苦々しい感情も抱かずに見続けた。ウシのキャラクターを通して自分が嘲笑の的になっているだなんて、考えてもいなかった。そんな発想は微塵もなかったのだが、ある日こんなことがあった。その当時オランダに住んでいた日本人ならほとんどの人が見ていたネットの掲示板があったのだが、そこである年配の日本人女性がこんな投稿をしていた。

「日本人女性を嘲笑の的にした番組”ウシ”は差別的で、日本人、特に日本人女性を侮辱している。制作会社と放送局に、あのような差別的な番組の放映を即刻中止し、日本人に謝罪するよう求めましょう。」

この方は既に放送局に抗議の手紙を送り付けていて、他の日本人にも同様の抗議をするよう掲示板を通して呼び掛けていた。この書き込みを読んだ私も、私の友人たちも、ウシなんてただの冗談でしょ、抗議なんて大げさな、とその時は軽く流していた。

それからしばらくしてから、ふと思い出した話があった。私よりも随分前にオランダに移住してきた日本人は、街中でオランダ人にいきなり「ヤッペン!(日本人の蔑称)」と怒鳴られることがあったそうだ。もしかしてあのウシに抗議をした女性も、そんな経験があって、差別に対して敏感になっていたのかもしれない。彼女は恐らく1970か80年代にオランダに来た人だと思われる。その頃はまだ第二次世界大戦中にインドネシアで日本軍の収容所に入れられた経験のあるオランダ人や、日本人をあからさまに嫌っているオランダ人も今よりずっと多かった。結局、彼女の抗議運動もむなしく、ウシはその次のシーズンもまたその次のシーズンも続き、映画まで制作される始末だった。虚しくも抗議の声は届かなかったようだ。
 
私は人生の前半を、日本で、日本人として過ごしてきた。つまり、人生のほとんどを社会のマジョリティーとして生きてきた。オランダに来るまでは、マイノリティーとして生きることがどういうことなのか、正直理解できていなかった。交換留学でアメリカに行き、人種差別に遭遇したこともあったが、私はしょせん1年経てば日本に戻る部外者にすぎなかった。白人家庭にホームステイし、日本人とはいえ彼らは私を家族同様に扱ってくれたのだが、学校が始まる前日、ホストファーザーにこう忠告された。「学校で黒人の生徒と遊ぶのはいい。でも、絶対に家に連れてきちゃダメだよ。」なぜそんなことをわざわざ忠告する必要があるのか、私にはまったく分からなかった。「差別してるんじゃない、区別してるんだ。そういうものだから。」それ以上、この話題について話し合うことは無かった。

私はただの留学生で、日本に帰ればまた元の高校生活に何の心配もなく戻ることができる。あの土地で差別されている人たちの立場を、身をもって理解することは到底無理だった。その後、日本で大学に進学し、アフリカ系アメリカ人の英語の先生の授業があった。彼女は授業の度に、日本で受けた差別的な扱いについて、憤りながら生徒に語っていた。が、その時も私は、先生、また大袈裟な、と内心思っていた。日本で日本人として暮らしている限り、少なくとも人種を理由に差別的な扱いを受けることはない。だから、外国人が日本人からどんな差別的な行為を受けているのか、全く無知だった。

自分がオランダに住むようになり、あのウシに対する抗議の一件や、見知らぬ通行人から突然「サンバル・バイ!」「チン・チャン・チョン」と叫ばれる経験を経てからようやく私も、マイノリティーとして生きるとは、差別の標的になるというのはどういうことなのか、少しづつ分かってきた。不意打ちのように投げ付けられた言葉に込められた差別的な意図が理解できるようになった時はじめて、心がどんより重くなり、纏わりつくような後味の悪さに気持ちが引きずられるようになった。あの時のクラスメートや大学の英語の先生が受けていた差別とは比較にはならないかもしれないけれど、オランダに来て自分が差別される立場になってみて、ようやく見えてきた景色があった。
 
ウシが放送されていた20年以上前のオランダでは、あの番組に対する批判らしき声は、例の投稿を除いてほぼ聞こえてこなかった。しかし、今はどうだろう。あのような番組を公共の電波に乗せることなど考えられない世の中になった。20年前のあの抗議の投稿を思い出す度、私もあの時抗議に参加するべきだったかもしれない、と思うこともある。今の知識があればそうしていたかもしれないが、あの時は抗議をすることすら思いつかない自分がいた。

もし今、ウシが再放送されることになったら、私は真っ先に抗議する。時代は変わったし、抗議するのは私一人じゃないと分かっているから。でも、当時あの番組を見て笑っていた自分を隠して、今ここで私が突如としてウシを演じていたウェンディを批判しキャンセルするとしたら、自分の甚だしい偽善ぶりに恥じ入ることだろう。善人に見られたいがために自分の過去を書き換えるとしたら、それはウシに対してもウェンディに対してもフェアではないだろう。
(Polderjapanner P.151~153)
 

出っ歯にメガネ、頓珍漢で間抜けな偽日本人ウシ。もう今では知らない人の方が多くなってしまったが、ウシと言う番組がオランダでの日本人のイメージ形成に多大な影響を与え、差別的な態度を助長したことは紛れもない。しかし、差別を受ける当事者になるまで、私も差別される側の痛みに鈍感だった。さらに時代を遡れば、日本人は旧蘭領インドネシアを武力で奪い、オランダ人を収容所に押し込めた敵国の国民と見られ、憎悪の対象になっていた時代もあった。だからこそ、マイノリティーを差別するオランダ人vs. オランダで差別される可哀想な私たち、という単純な二項対立でまとめてしまうのは違う、と思った。他人に指したその指を、自分にも向けてみる。そういう気持ちでこの章を書いた。

過去20年間のオランダ社会の変化を追いながら、外国人政策や差別の問題に関して、時代とともに善くも悪くも変化してきたことを感じている。そんな中でも、ウシのような特定の人種を小馬鹿にするような番組はもう放送しないしさせない、という認識がここ数年で確実に浸透していることは、ひとつの希望ではないかと思うのだ。

(その6につづく)

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