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日本人、50歳でオランダ語作家になる。(その4)アジア系外国人としてオランダで生きること

本を書くことになって初めて、オランダ語の読書量が圧倒的に足りなかったことを後悔した。が、後悔先に立たず。そう気付いた日から読んで読んで読みまくるしか道は無い。まずは自分と同じような境遇の作家、つまり外国人か外国のルーツを持つオランダ語で書いている作家の作品から当たってみることにした。

最初に読んだのは、Rodaan Al Galidiの『Hoe ik talent voor het leven kreeg(俺が生き延びる才能を身につけた方法)』。彼はイランからアジアの国々を経て1998年にオランダに亡命した。一旦は難民申請を退けられたものの、その後滞在資格を得て、現在はオランダで作家活動をしている。イランを出国してから、どのようにオランダに入国し取り調べを受け、難民収容所でどのような日々を過ごしたのかを、冒険譚さながらに綴っている。スキポール空港のトイレでパスポートを破り捨てて流したエピソードには、こんな暴露的な内容が出版されるのか、と驚いた。そこまでの衝撃的なエピソードは私には無いが、30代目前からでもオランダ語を習得して本を書けるようになるんだ、とこの本には背中を押してもらった。後々気付いたことだが、オランダの文学界を見渡してみると、イラン出身で大人になってからオランダに移り住み、オランダ語で本を書いている作家が何人もいる。豊かなペルシャ文学の歴史と詩の吟遊文化が根付いている土地柄だからだろうか。

そして中国系オランダ人として二つの文化の狭間に生きる葛藤を描いたPete Wuの『De bananengeneratie(バナナ世代)』には大いに刺激を受けた。Peteは、中国の温州から不法移民としてオランダに入国し、飲食店を経営する両親の下に生まれた。オランダのアジア系といえば、勤勉で大人しく波風を立てない優等生移民というイメージがある一方で、日曜日の夜に中華料理をテイクアウトする時だけに接触する無個性で顔の見えない人たち、無視しても差別的な言葉を投げかけても構わない対象、として軽視されてきたところがある。そんな世間の差別的な態度に対する苛立ち。外の世界と家の中のアジア的世界とのギャップ。そしてPete自身のセクシュアリティに全く理解を示さない親との軋轢。アジア系二世、三世が共通して抱える悩みを包み隠さず代弁してくれたオランダ語の本は、恐らくこの本が初めてだったと思う。

De bananengeneratieに触発されて、アジア系の若者の声を集めたドキュメンタリーが作られたり、演劇版バナナ世代も制作され、今もオランダ各地で上演されている。私もロッテルダムの劇場に演劇版バナナ世代を見に行った。学校でのいじめ、オランダ社会の中で感じる孤独、親世代とのコミュニケーションギャップが、時折笑いも交えて快活に演じられている。観客は大半がアジア系。「あー、あるある」「そう、分かるわー」と嘆息があちらこちらから漏れ聞こえて来る。自分の過去と重ねて涙を浮かべている人もいた。自分たちが受けた差別への悔しさや親世代との分かり合えなさ、オランダに住むアジア系の若者なら誰しも身に覚えのある葛藤に、作家が言葉を与え、役者が息を吹き込み、多くの人と共有できる形にすることに、底知れぬ価値があること。それを目の当りにした思いだった。

このように、外国人や外国にルーツを持つオランダ語作家の地道な積み重ねが下地としてあったこと。そしてBlack Lives Matter運動や植民地時代の蛮行に対する政府の謝罪があり、マイノリティーを取り巻く社会の認識がゆっくりだが確実に変化してきていること。こうした大きな流れの中で、文学にも多様性が求められるようになり、一介の外国人である私にも本を書く機会が与えられた、と思っている。声なき声、活字にされる機会がなかったストーリーに形を与える。ささやかながら、それが本を書く機会を与えられた者にできることではないか。オランダの片隅で暮らしている“私たち“日本人の記録を書き残し、知ってもらいたい。そういう思いがふつふつと湧いてきた。

Polderjapannerが世に出てから、オランダやベルギーに住む日本人の方々からお便りをいただいた。「私たちの話が本になって嬉しかった。」「オランダ人のパートナーと義理の家族にも読んでもらい、自分がどんな気持ちで異国で暮らしているのか、彼らに理解してもらうきっかけになった。」そんな声を聞いて、私は自分に与えられた役目を微力ながら果たせたのではないかと思う。

(その5につづく)

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