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日本人、50歳でオランダ語作家になる。(その6)オランダ語というマイナー言語

世界中に約2500万人の話者がいるといわれるオランダ語。それをマイナー言語と片付けてもいいのだろうか。確かにフランス語やドイツ語と比べれば話者は断然少ない。唯一の西洋言語としてオランダ語が輝いていた江戸時代、そんな過去もすっかり忘れ去られたかのように、今や日本での知名度は低い。「オランダでは何語が話されているんですか?」と無邪気に聞かれたことも一度や二度ではない。しかし、たとえマイナー言語だとしても、ここで暮らしていくからには、オランダ語は必要だ。そのゆるぎない現実は、言語がマイナーかどうかとは関係ない。しかしだ。オランダ人本人たちはというと、オランダ語に特別な愛情やこだわり、執着があるようには、残念ながら私には思えないのだ。その空気がオランダ語を習得しなければならない外国人にどんな感情を植え付けるのか。それをこんな文章にした。
 

Nederlands leren is nutteloos(オランダ語を勉強するなんて時間のムダ)
結婚や家族呼び寄せでオランダに移住する外国人のうち、ある特定の国から来る人は、オランダに入国する前に自国で基礎オランダ語の試験に合格していなければならない、という法律が2014年に発効した。この新しい法律が施行されるというニュースを聞いたとき、私は耳を疑った。私はといえば、過去にオランダ語学習に一度挫折していた。大阪にあったベルギーフランドール交流センターにオランダ語(フラマン語)講座を受講しに行ったことがあったのだが、オランダ人のパートナーに授業で習ってきたフラマン語を笑われ、喧嘩になり、早々にコースを離脱した過去がある。

もしこの法律が、私がオランダに来た2001年に既に存在し、日本も対象国だったとしたら……私はオランダに入国できていなかったかも知れない。こんな法律を考えた人たちは、オランダ語を習得するのがどれだけ難しいのか分かっているのだろうか?日本に長年住んでいても日本語ができないヨーロッパ人が大勢いることを知っているのか?日本に移住するオランダ人で、日本に行く前に日本語ができるようになっているオランダ人が一体何人いるというのだ。
 
市が提供するオランダ語コースを修了した後、NT2(第二外国語としてのオランダ語)試験に合格し、認定書を手に入れた。これで私も充分なオランダ語の知識があると公的に認められたわけだ。が、その程度では、世の中の森羅万象をオランダ語で表現できるわけでも、オランダ語で議論ができるわけでもない。この先、語学コースに通い続けるよりも、大学に入ってしまえば、オランダ語も上達する上に専門知識も身につけられるから一石二鳥に違いない、と思い近所の大学に行くことにした。社会学を選んだのは、世界中から来たあらゆる人種の人々が同居するこのオランダ社会のことをもっと深く知りたかったからだ。

結局3年で修士コースを卒業したのだが、その間にオランダ語が目覚ましく上達した、わけではなかった。定期試験も卒論も英語可だったのに甘えてしまった。オランダの大学の英語化は必ずしも歓迎すべき面ばかりではないけど、この時だけは有難く思った。途中からは早く卒業したくてしょうがなくなって英語に頼ってしまったのだが、それが私のオランダ語には結果的に良くなかった。大教室に座った大勢の学生の前でオランダ語で発表する機会が回って来たときには、緊張して動悸と手汗が止まらなかった。ディスカッションもまるでダメだった。意見を言おうと思っても声が出ない。意見が無いわけではないのだが、頭に浮かんだ考えをオランダ語でどう言おうか考えている間に、議論はどんどん先に進んで、口を開こうとしたときには既に論点は別の方向に向かっていた。即興でスマートな意見をタイミングよく言うなんて高度な技術は、未だに私には手の届かない。30歳を過ぎてから全く新しい言語を身につけるのは、波が来れば一瞬にしてさらわれてしまう砂の城を建てるようなものである。
 
オランダ語を習い始めた頃のこと。頑張ってオランダ語で話してみようと街に出ると、私のたどたどしいオランダ語を聞いて「英語に変えようか?」とよく言われた。ほとんどのオランダ人は、善意からそう申し出ているに違いない。しかし、これからオランダ語を習得しようとしている外国人にとっては、これほどやる気を削ぐものはない。こんなに勉強してるつもりなのに、私のオランダ語、そんなに下手くそに聞こえるのか……と意気消沈した。

更にやる気を削がれるのは、オランダ特有の自虐的な物言いだ。「オランダ語なんか勉強してるの?時間のムダだって!英語ができれば充分だよ。」こんなやりとりを何度したことか。英語に切り替えちゃおうよ、という悪魔のささやきをなんとか意志の力で突っぱねるのに忙しかった。実際、悪魔のささやきに心を折られ、オランダ語を諦めたという日本人の友人も何人かいる。それにしても、このオランダ人のオランダ語に対する後ろ向きな態度は、一体どこから来ているのか?オランダ人特有の斜に構えたような冷めた態度のせいなのか。それとも自虐か謙遜か。それともオランダ語なんか価値がないと本気で思っているのだろうか?

オランダ語なんて勉強するだけ時間のムダ、という人がよく持ち出す理由は、オランダ語は話者が少ない、だからお金にならない、英語だけできれば十分生活できる、つまり投資に見合うだけのリターンが無い、ということだ。オランダ語話者は世界に約2500万人いると言われている。英語と比べれば確かにマイナーだが、2500万人も話者がいる言を“マイナー言語“と片付けてもいい数だと、私は思わない。

純粋な親切心から英語を話してくれるオランダ人も少なくない。ただ単に英語の方がオランダ語よりかっこいいから、という人もいる。様々な理由はあれど、外国人の立場からすると、オランダ人は相反する両極端なシグナルを発信しているように思われる。一つのシグナルは、オランダ語は役に立たない、だから勉強するだけ時間のムダ。まるでオランダ人自身がオランダ語を蔑んでいるかのような物言いだ。それに対するもう一つのシグナルは、市民化コースを受けてオランダ語の試験に合格しなければ様々な不都合が生じるという現実。『オランダ語なんて勉強してもムダ』なんてオランダ語のできるオランダ人は気軽に言うけれど、そのムダなオランダ語を必死に勉強しないといけない外国人の身にもなって欲しいものだ。
(Polderjapanner P.42-44)
 
現在は、5年更新の無期限滞在許可を手に入れるためには、市民化コースを修了していなければならない。オランダ語学習も完全に自己負担になった。私がオランダに来た2001年当時は、オランダ語の習得は義務でもなく、語学学校は政府からの補助金で賄われていたので自己負担はほぼゼロ、というゆるくて優しい時代だった。2002年以降様々な出来事が重なり、オランダ政府の外国人市民化政策は厳格化されてきた。むしろ最近オランダに移住してきた外国人の方が、オランダ語学習に必死なのではないだろうか。

一方で、一般のオランダ人のオランダ語に対するこだわりや愛着は増々薄れてきているような気がする。日本語もカタカナ語の多用が凄まじいが、オランダ語も流行の英単語をせっせと無造作に取り入れている。この流れはもう止められないだろう。オランダ人は英語が上手い、とよく言われるが、上手下手はさておき、欧州大陸の他のどの国よりも英語が通じる確率は高い(私のオランダの義理の家族は誰も英語が話せないが…)。だから、たどたどしいオランダ語に我慢強く付き合うよりも、サッと英語に切り替えたがる人も多い。お隣のベルギーのフラマン語地方の方が、きちんとしたオランダ語を話そう、という圧がずっと強いように感じる。もし私がベルギーに住んでいたらオランダ語で本を書くチャンスなど一生巡って来なかっただろう。その辺りのオランダ人の寛容さは、確かに有難い。しかし、こんなぬるま湯のような環境だと、更にオランダ語の高みを目指そうとモチベーションを保ち続けるのは難しい。“オランダ語の勉強なんて時間のムダ”という悪魔のささやきをはね退ける程の強い動機、もしくは天才的な語学の才能がなければ、登頂は困難を極める。江戸時代の阿蘭陀通詞がいかに貪欲で、いかに優秀だったかを思い知るのだ。

英語で数多くの作品を発表しピュリッツァー賞を受賞したのちに、英語に別れを告げ、血縁のないイタリア語で書くことを決意したジュンパ・ラヒリ。彼女が初めてイタリア語で書いた『べつの言葉で』という本がある。この本は、彼女がなぜイタリア語に惹かれるようになり、なぜ英語を捨ててイタリア語作家になったのかを語る、イタリア語への愛が凝縮されたエッセイだ。これを読んだ時、第一言語を捨ててまで惚れ込むほどの外国語に出会えた彼女を、私は嫉妬するほど羨ましく思った。私もいつか、そんな風にオランダ語のことを愛せる日がやって来るのだろうか。“オランダ語なんか役に立たない”なんて言わずに、どうか気兼ねなくオランダ語を愛させてくれ、と叫びたくなった。

私とオランダ語の関係は、“パートナーがオランダ人”“オランダに住むなら必要“という他責の関係から始まった。オランダ語との付き合いが四半世紀になろうかという今でも、胸を張って「オランダ語が大好きです。」と言えない自分がいる。しかし、こんな私でも本を書く機会を与えてもらい、多くの人に読んでもらえたのは、オランダ語だったから、だと思っている。オランダ語の本の世界は小さなマーケットで、読者との距離も近い。朗読会で読者と直接話をして、本の感想だけでなく、オランダ人から見た日本が聞けた。また、オランダ語で書いたこと自体を評価してくれるオランダ人読者からの声も多かった。たとえオランダ人は英語が上手だと言っても、同じ内容を英語で書いていたら、ここまでオランダの読者との距離を縮めることはできなかったと思う。

そして誰よりも感謝すべきは、完璧なオランダ語じゃなくてもいい、あなたのストーリーが聞きたい、と背中を押してくれた編集者Fさんだろう。メジャーな言語の出版界だったら、わざわざ無名の日本人に声をかけて、最後まで伴走してくれる編集者がいただろうか。これはオランダでオランダ語をやっていなかったら、一生巡り合えなかった機会だと思っている。異質なものを受け入れる間口の広さ、失敗を恐れない大胆さ、完璧を求めないおおらかさ。そういったオランダ的精神から私の本は生まれたと言っても過言ではない。

(おわり)

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