労働法UPDATE Vol.7:定年後再雇用者の賃金設計における留意点~名古屋自動車学校事件最高裁判決を踏まえて~
令和5年7月20日、正職員と定年後再雇用者の基本給・賞与等の相違に関する最高裁判決(最高裁令和5年7月20日判決。以下「本判決」といいます。)が示されました。本判決は、いわゆる同一労働同一賃金に関する新たな最高裁判例であるとともに(従前の裁判例については、労働法UPDATE Vol.1:「同一労働同一賃金」に関する5つの最高裁判決参照)、下級審も含め、企業において定年後再雇用者の賃金設計(とりわけその中心である基本給および賞与の在り方)を検討する上で注目すべき裁判例となります。以下その詳細等をご紹介します。
1. 定年後再雇用者に関する労働条件の相違
いわゆる正社員・正職員(無期契約労働者)と有期契約労働者との労働条件については、両者の相違が不合理と認められるかに関し、最初の最高裁判決であるハマキョウレックス事件最高裁判決(最二小判平成30年6月1日民集72巻2号88頁)および長澤運輸事件最高裁判決(最二小判平成30年6月1日民集72巻2号202頁)以降も多数の裁判例が示されてきました。
このうち、定年後再雇用者(有期)の処遇については、長澤運輸事件最高裁判決の影響を受けて、基本給・賞与の格差は是認し、各種手当や福利厚生給付については、定年後であってもその趣旨に即して同様とされるべき手当等を是正するという判断傾向が指摘されていました(菅野和夫「労働法第12版」360頁(弘文堂2019年)参照)。長期雇用・年功的処遇を基礎とする企業においては、定年制は人事の刷新等による組織運営の適正化と賃金コストの抑制を図る制度であり(長澤運輸事件最高裁判決参照)、定年後も定年退職前と同様の賃金水準を維持するのは容易ではありませんので、上記の判断傾向がそのまま確立されるのかは実務上も重要なポイントでした。
そのような中、本判決の第一審(名古屋地判令和2年10月28日労判1233号5頁)は、定年後再雇用者の基本給について正職員定年退職時の60%を下回る限度で、賞与について仮に基本給が正職員定年退職時の60%であるとして計算した結果を下回る限度で、旧労働契約法20条(短時間・有期雇用労働者法8条に対応。以下単に「労働契約法20条」といいます。)に違反するとし、初めて、定年後再雇用者に関する正職員との基本給・賞与の相違が不合理であるとの判断を示しました。そして、控訴審(名古屋高判令和4年3月25日)もおおむね同様の判断を示したため、上告審である本判決の判断が非常に注目されていました。
2. 事案の概要
本件は、自動車学校を経営するY社を定年退職し有期契約労働者として再雇用されていたX1・X2(以下総称して「Xら」といいます。)が、無期労働契約を締結している正職員との間における基本給・賞与等の相違が労働契約法20条に違反すると主張し、不法行為等に基づいて当該相違に関する差額の損害賠償等を請求した事案です。
(1)Xらの勤務状況
XらはY社に以下のとおり勤務しており、定年退職前後で職務内容およびその変更の範囲に相違はありませんでした(なお、定年退職に際して主任の役職を退任していますが、これにより業務の内容や責任の範囲に差が生じたとは認められないとされています。)。
【X1】
【X2】
(2)定年退職前後の基本給・賞与の相違
正職員には、基本給(一律給および功績給)、役付手当等で構成される月額賃金のほか、夏季と年末の年2回賞与が支給されます。
他方、嘱託職員の賃金体系は勤務形態によってその都度決め、賃金額は経歴、年齢その他の実態を考慮して決定されます。また、賞与は原則不支給とされていますが、XらとY社の有期雇用契約では、勤務成績等を考慮して「臨時に支払う給与」(以下「嘱託職員一時金」といいます。)を支給することがある旨が定められています。
定年退職前後のXらの基本給・賞与の支給額は以下のとおりです。
【X1】
【X2】
なお、Y社における正職員の基本給・賞与の平均額は以下のとおりです。
(3)労使交渉の状況
X1は平成27年2月24日、Y社に対し、自身の嘱託職員としての賃金を含む労働条件の見直しを求める書面を送付し、同年7月18日までの間、この点に関し、Y社との間で書面によるやりとりを行いました。
また、X1は所属する労働組合の分会長として、平成28年5月9日、Y社に対し、正職員と嘱託職員の賃金の相違について回答を求める書面を送付しました。
3. 本判決の判断
以上のような事案において、本判決は原判決を破棄し、基本給・賞与に関する部分について審理を尽くすよう名古屋高裁に差戻しました。
(1)不合理性判断の考え方
本判決はまず、基本給や賞与の支給に関する労働条件の相違であったとしても、労働契約法20条に違反し不合理と認められる場合はあり得る旨を指摘します。そして、メトロコマース事件最高裁判決(最三小判令和2年10月13日民集74巻7号1901頁)を引用し、不合理性の判断に際しては、他の労働条件の相違と同様、当該使用者における基本給および賞与の性質やこれらを支給することとされた目的を踏まえて、労働契約法20条所定の諸事情を考慮する必要があるとしています。
(2)基本給に関する相違について
本判決は前提として、以下のとおり、Y社における正職員の基本給がさまざまな性質を有する可能性があり、他方で嘱託職員の基本給は、正職員の基本給と性質が異なると判断しました。その上で、本判決は、原判決が正職員の基本給について、年功的性格を有するものであったとするにとどまり、他の性質や支給目的を検討しておらず、また嘱託職員の基本給についても、その性質・支給目的を何ら検討していないと批判しました。
また、労使交渉の状況についても、原判決は交渉が折り合わなかったという結果のみに着目し、具体的な経緯を適切に考慮できていないと指摘します。
以上を踏まえ本判決は、正職員と嘱託職員であるXらとの基本給に関する労働条件の相違について、原審が各基本給の性質や支給目的、労使交渉に関する事情を適切に考慮することなく、当該相違の一部が労働契約法20条にいう不合理と認められるものに該当すると判断したことは、労働契約法20条の解釈適用を誤った違法であると判断しました。
(3)賞与に関する相違について
また、本判決は、以下のとおり、嘱託職員一時金が正職員の賞与の代わりと位置づけられる可能性を指摘します。それにもかかわらず、原審は賞与および嘱託職員一時金の性質・支給目的を何ら検討せず、また労使交渉の具体的な経緯も考慮していないため、やはりその判断は労働契約法20条の解釈適用を誤った違法であると批判しました。
4. 定年後再雇用者の賃金設計における留意点
一般に、無期契約労働者と有期契約労働者の労働条件の相違については、比較対象となる各労働者の①職務の内容(業務の内容および当該業務に伴う責任の程度)、②職務の内容および配置の変更の範囲、③その他の事情のうち、当該労働条件の性質やそれを行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められるか否かを判断します(短時間・有期雇用労働者法8条参照)。そして、本件のように、定年後再雇用者に関する事案のうち、定年退職前後で①職務の内容ならびに②職務の内容および配置の変更の範囲に差がない事案においては、定年後再雇用者であること(③その他の事情)をもって、当該労働条件の相違が許容されるかが問題となります(本判決は、労働契約法20条に基づくものですが、上記判断枠組みは実質的に異なりません。)。
上記①のとおり、本判決の第一審および控訴審は、職務内容の変わらない定年後再雇用者の基本給が定年退職時の60%を下回ってはならないかのような判断を示したため、仮にこの判断が最高裁でも是認された場合は、定年後再雇用者の賃金設計に関して大きな影響が予想されました。しかし、本判決は上記のとおり、従前の最高裁判決の考え方に従い、基本給や賞与の支給の趣旨や労使交渉の経緯等を踏まえて不合理性を判断することを示し、原判決の検討が不十分であるとして原審に破棄差し戻したため、本件のように、職務内容の変わらない定年後再雇用者の基本給・賞与が定年退職時の半分(50%)以下になるような大きな相違が許容されるのか、引き続き差戻し審での審理・判断を注視する必要があり、現状では、定年後再雇用者であることのみをもって、定年後再雇用者の基本給や賞与を定年退職時の半分(50%)以下とすることには、引き続き慎重な検討が必要と思われます。特に、定年制を理由に定年後再雇用者の基本給等を一定程度減額することが許容されるのは、企業が年功的な賃金制度を採用していると認められることによるところ、本判決は年功的な賃金制度といえるかに関し、年齢とともに賃金支給額が増加することだけでなく、その上がり幅等も考慮した上で、問題となる基本給・賞与の趣旨や目的を具体的に検討しており、本判決を踏まえると、定年後再雇用者の賃金設計においてはその点も考慮する必要があります。
なお、本判決と同じく定年退職前後で上記①②に差がない先例として、五島育英会事件判決(東京地判平成30年11月21日労経速2355号3頁)が挙げられます。同判決では、基本給および賞与等が定年退職時の約60%程度となっていた事案において、以下のような事情等を指摘し、当該相違が不合理とは認められないと判断しました。
上記のとおり、五島育英会事件判決は、基本給・賞与について比較的大幅な減額を許容しましたが、上記(a)~(c)いずれについても、本件では事情が異なっています。
以上を踏まえると、企業が現時点で定年後再雇用者の賃金設計を検討する上では、まず自社の基本給および賞与の性質や支給目的を精査し(例えば、本判決の指摘するような職能給・職務給的要素を含むものとなっていないか等)、必要が生じた場合には労使交渉を尽くすことが穏当な対応になると思われます。
Authors
弁護士 菅原 裕人(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2016年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。
高井・岡芹法律事務所(~2020年8月)を経て、2020年9月から現職(2023年1月パートナー就任)。経営法曹会議会員(2020年~)。日々の人事労務問題、就業規則等の社内規程の整備、労基署、労働局等の行政対応、労働組合への対応(団体交渉等)、紛争対応(労働審判、訴訟、労働委員会等)、企業再編に伴う人事施策等、人事労務に関する研修の実施等、使用者側として人事労務に関する業務を中心に、企業法務全般を取り扱う。
弁護士 岩崎 啓太(三浦法律事務所 アソシエイト)
PROFILE:2019年弁護士登録(東京弁護士会所属)。
西村あさひ法律事務所を経て、2022年1月から現職。
人事労務を中心に、知的財産、紛争・事業再生、M&A、スタートアップ支援等、広く企業法務全般を取り扱う。直近では、「ビジネスと人権」を中心にESG/SDGs分野にも注力している。
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