ESG・SDGs UPDATE Vol.12:国連人権理事会「ビジネスと人権」-作業部会の「訪日調査報告書」公表
1. はじめに
2024年5月1日付けの国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の訪日調査の結果がまとめられた「Report of the Working Group on the issue of human rights and transnational corporations and other business enterprises」と題する報告書(以下「本報告書」といいます。)が公表されました。本報告書は下記参考リンクより英語版等がダウンロード可能です。
「ビジネスと人権」作業部会は、2023年7月24日から8月4日まで訪日調査を行い、官民を含む様々な関係者との面談を行い、かつ意見募集に応じて寄せられた様々なステークホルダーからの意見書を参照しながら本報告書を作成したとのことであり、ミッション終了ステートメントは日本語版も公表されています。
なお、本報告書に対する日本政府の見解を示す声明も、上記参考リンクの国連ウェブサイト上で公表されています。
本稿では、本報告書の全体像、および企業及び業界団体への勧告事項を紹介した上で、企業が押さえておくべきポイントを解説します。
2. 本報告書の全体像
本報告書は、87項にわたって多種多様な評価・指摘を記載しており、英語版で22頁に及ぶ長大かつ詳細なものです。
本報告書の構成としては、以下の目次の下で日本政府や企業等の取組の評価や課題が示されています(和訳は筆者作成)。
上記の目次のとおり、指摘事項は多岐にわたりますが、今回は、このうち、企業及び業界団体向けの勧告に焦点を当てて解説します。
3. 企業及び業界団体への報告事項
本報告書86項において、作業部会の企業及び業界団体への勧告が以下のとおり列記されています。
10項目の指摘を分類すると、(ⅰ)国連の「ビジネスと人権に関する指導原則:国連『保護、尊重及び救済』枠組みの実施」(以下「国連指導原則」といいます。)や2022年9月13日付け「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権ガイドライン」といいます。)に記載されているような、いわゆる「人権尊重の取組」に関するもの、(ⅱ)ダイバーシティに関するもの、(ⅲ)労働法上の問題に関するもの、(ⅳ)環境に関するものに分けることができます(1項目内でこれらの複数分野を横断しているものもあります。)。
4. 企業が押さえておくべきポイント
本報告書は、企業に対する法的拘束力を持つものではありませんが、国連人権理事会の作業部会が日本の現状を調査した上で問題意識を公表した以上、ステークホルダー(特に海外の投資家等)は、当該問題意識を踏まえた企業の対応を注視していることが想定されます。
そのため、企業としては、上記指摘事項に関し、自社の取組において見直すべき点がないか、新たに取り組むべき課題はないかといった点を検討することが有用と考えられます。そのような観点から、企業は以下の点を押さえておくべきと考えます。
(1)人権尊重の取組
人権尊重の取組については、人権ガイドラインの策定後、多くの企業が創意工夫を凝らした対応を進めていることと思いますが、今後もグローバルレベルで企業に期待されるレベルが高まり続けることが予想されるところです。
本連載でも人権尊重の取組について複数回にわたって解説をしておりますので、詳細は過去記事をご参考ください。
(2)ダイバーシティの確保
ダイバーシティの重要性はビジネスの様々な場面で語られております。例えば、PRI(責任投資原則)においては、ESGのG(ガバナンス)の要素として、「取締役会/理事会の多様性および構成」を挙げています。
また、株式会社東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コード」(2021年6月11日改訂)の原則2-4「女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保」では、「上場会社は、社内に異なる経験・技能・属性を反映した多様な視点や価値観が存在することは、会社の持続的な成長を確保する上での強みとなり得る、との認識に立ち、社内における女性の活躍促進を含む多様性の確保を推進すべきである。」と明記しています。
ダイバーシティについては、性別等に基づく差別といったネガティブな事象を禁止する側面と、多様な人材の知見・価値観の存在による企業価値の向上というポジティブな効果への期待という側面の2つの面が存在するところ、前者の側面は「差別禁止」という意味で、まさに「ビジネスと人権」の視点に直結します。
既にダイバーシティの確保に向けて様々な施策を講じている企業が多いと思いますが、女性の管理職・役員比率といった側面のみならず(これらが重要であるという点は当然として)、職場内の人権問題になり得るような差別がないか、性別以外の要素についても差別禁止の措置が講じられているか、といった視点から継続的な点検を行うことが望ましいと考えられます。
(3)労働法上の問題
日本では「ハラスメント」として括られるパワーハラスメントやセクシュアルハラスメントはグローバルな視点から見ると、人権侵害と評価されるものも含まれています。
パワーハラスメントはそもそも日本で作られた用語であり、海外では「パワハラ」といった形で一括りにせず、嫌がらせはbullying、差別はdiscriminationといった形で個別の事象に着目して問題視されています。
自社の取組として、ハラスメント対策が十分であるかをチェックすることは当然として、ハラスメントも多種多様であり、中には重大な人権侵害も含まれ得るという視点も意識することも重要であると考えられます。
(4)人権に関連する環境問題
人権に関する本報告書の中に、ESGのE(環境)に関する指摘がなされていることに違和感を持つ読者の方がいるかもしれません。しかし、特に欧州では、環境・気候変動の問題が、人権問題という形で訴訟提起されているプラクティスが存在します。例えば、イギリスの資源開発企業のザンビア子会社が開発する銅山から排出される廃棄物が水脈を汚染し、地域住民の健康・財産権に損害を与えたとして、地域住民がこれらの会社をイギリスの裁判所に提訴した事案に関し、2019年、イギリスの最高裁判所は、これらの会社に対して従業員訓練等のサービスを提供する合意をしたこと、実際に従業員に対して健康・安全・環境に関するトレーニングを行っていたこと等を理由に、会社のDuty of Care(注意義務)を認定しました(最終的には和解による解決がなされた旨が報じられています。)。
また、環境NGOが石油製造会社に対して、気候変動対策が不十分であるとして二酸化炭素排出量の削減を求めた訴訟において、2019年、オランダのハーグ地方裁判所は、気候変動が地域住民に対して人権侵害をもたらすこと等を認定した上で、2030年までに2019年比で45%削減するよう命じる判決を下しました。
さらに、2024年5月24日にEU理事会で最終承認されたCorporate Sustainability Due Diligence Directive(CSCDD、コーポレートサステナビリティ・デューディリジェンス指令案)においては、人権と並んで環境に対する負の影響に関するデュー・ディリジェンスを一定の要件を満たす企業に義務付けるものであり、ビジネスにおける人権と環境の双方への目配りがグローバルレベルでの潮流になりつつあると考えられます。
5. まとめ
本報告書に関しては、メディア・エンターテインメント業界への指摘にフォーカスされた報道が多く目に付きますが、本稿でご紹介したとおり、その他の企業の方々にとっても有意義な内容を多く含んでいます。
ESG・SDGsに関して、ステークホルダー、特に海外の投資家等がどのような問題意識や目線を持っているかを十分に理解することは、日本企業にとって重要かつ難しい課題であると思いますが、本報告書はその課題へのアプローチに関する示唆に富んだものと言えるでしょう。
Author
弁護士 坂尾 佑平(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2012年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、ニューヨーク州弁護士、公認不正検査士(CFE)。
長島・大野・常松法律事務所、Wilmer Cutler Pickering Hale and Dorr 法律事務所(ワシントンD.C.)、三井物産株式会社法務部出向を経て、2021年3月から現職。
危機管理・コンプライアンス、コーポレートガバナンス、ESG/SDGs、倒産・事業再生、紛争解決等を中心に、広く企業法務全般を取り扱う。