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農業が始まりだった僕のヒストリー

いつもありがとうございます。たまごのじかん・店主の三浦です。当店では、定期的にニュースレターを発行しております(会員様のみ)。
このニュースレターは、新たな会員様に当店を詳しく紹介するために発行しました。当店のストーリーにしばしお付き合いください。

幼少からの想い:農家になりたい!

私の母方祖父は農家でした。
幼いころは家族と一緒に農業をする祖父のもとを訪れて、農作業の手伝いをするのが楽しみでした。祖父は農業の面白さ、農業の大切さなど、さまざまなことを私に教えてくれました。

そんな祖父の背中を見ていた私は、いつの間にか「いつか農家になる」ことを夢見るように。
しかし当時、農家になれるのは農家の子どもだけ。私の父は農家ではなかったので、この夢は一時断念することに。

大人になっても農家になる夢を諦められなかった私は、まず農業協同組合で働き、農業に関する知見を深めることにしました。22歳で農協に入組して、10年ほど務めた後、「自分のやりたい農業の形」が見えたので退組。

「農産物を生産するだけでなく、加工や販売も一体となった総合的な事業経営」を始めるため、まずは調理師学校で西洋料理を学びつつ、洋食店で働くというハードな日々を大阪で過ごします。

料理人として:前身「イタリア食堂Buonasera」を開店、たまごのじかんに

2001年になり、私は現在の場所に「イタリア食堂Buonasera」を開店。当時はパスタを中心としたシンプルなイタリアンを提供していました。
今の店名になったのが、2008年のこと。そして地元産のトマトを使ったオリジナルソースのメニューに変えたのが、2010年でした。

「たまごのじかん」は、地元産のトマトを使ったトマトソースづくりに力を入れているレストランです。このお店を開く際、トマトソース(加熱調理)用のトマトは国産のものを使いたいと考え、国産の加熱調理用トマトを探す日々。しかしなかなか見つからず、当初は輸入のトマト缶を使ってソースを作っていました。

トマトと向き合う日々:なつのしゅんに出会うまで


どうしても「国産トマト」をあきらめられなかった私は、国産の加熱調理用トマトについて調査・研究を続け、最終的に自分で生産することを決意。2008年、42歳の時のことです。

早速、この地で栽培できるおいしいトマトはどの品種なのか、見極めるための試験栽培を開始。試験栽培の間、すでに北見で生産されている生食用のトマトの規格外品を使ったトマトソースづくりにも着手するなど、さまざまな挑戦を繰り返す日々。試行錯誤の末、現在のなつのしゅんを使ったトマトソースに落ち着きました。

自分でトマトを栽培したことで、トマトの生産を委託している農家さんにも、なじみのない加熱調理用トマトの栽培方法をレクチャーすることができました。
それ以来、当店のトマトソースにはオホーツク産の調理加工用トマトのみを使用しています。

次の段階へ:オホーツクトマトコミュニティー構想

農家になりたい、その夢を胸に秘めてがむしゃらに、ひたすらに進んで30余年。気が付けば50も半ばを迎えようとしています。
私はこれから70歳くらいまでの20数年で、次のような目標を掲げて仕事に取り組む所存です。

■農業生産分野
加工用トマトを中心とした農産物の生産。委託生産を含め作付面積10haを目指す
■加工業分野
加工用トマトの関連商品を業務用・一般小売用を合わせて10~20品目製造
■販売事業分野
飲食店経営、小売販売、業務用販売、ネット通信販売で売り上げ10億円超

私にとって、北海道、オホーツク、北見、この土地とそこに根付く農業はとても大切なものです。私が事業を進めていくことで、地域に貢献できればこれほどうれしいことはありません。

地域の人に役立ち、喜ばれ、そして地域の自慢になる。そんな商品を作って、事業化していきたいと考えています。

これは今の私にとってはとても大きな目標です。それでも、チャレンジしていきたい。達成に向けて、着実に一歩、また一歩と進んでいければ。そして、この志に共感してくれる次の世代にバトンを渡していきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

オホーツクトマト食堂 たまごのじかん 店主 三浦 誠志

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