【私小説】神の音 第12話
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二〇一二年十一月中旬、僕は『ビッグ・マエストラ』という映画を見ようとチケットをネットで買っていた。
チケットを買った理由は、芸能人が映画館に来るからだ。
芸能人が映画館に来るということは生の人物を目で見ることができる。
芸能人をこの目で見ることができるのだ。
芸能人がどんなものかを知ることで自分との差を確認するためでもあった。
自分と芸能人の差を確認したいのだ。
僕と芸能人がどれくらいの次元が違うか本当に楽しみだ。
僕はウキウキしながら映画を楽しみに待った。
二〇一二年十一月下旬、僕は大学にあるナイトウ先生の研究室へ向かった。
ナイトウ先生は土曜日にある僕の取っている数学と文章作法の講義の先生だ。
僕は土曜日に『ビッグ・マエストラ』の試写会があるので、講義を休むことを伝えるためにナイトウ先生の研究室へ向かっているのだ。
僕はナイトウ先生の研究室をノックする。
コンコンコンコン。
「どうぞ!」
「失礼します!」
「……カミツキか。何か用か」
「……実は個人的な事なんですけどねえ……今度の土曜日に映画を見に行くんです。それで講義を休む連絡をしようと思って……」
「土曜日じゃなくて日曜日にでも見に行けばいいじゃないか」
「それがですねえ……芸能人が来るんですよ! 芸能人が映画館に! 映画の試写会だから、その日……つまり、土曜日にしか来れないんですよ! だから今回だけでも講義をサボらせてください!」
「それが私に対して言うことか?」
「……す、すみません。でも、何も言わずに講義をサボるなんて僕にはできそうになかったので……」
「……まあ、いい。認めよう。楽しんでこいよ」
「……はい! 分かりました! 楽しんできます!」
僕はナイトウ先生との話が終わると、すぐに研究室を出た。
許可が一応出たことだし、楽しんできますかね。
二〇一二年十二月一日、『ビッグ・マエストラ』の映画試写会会場へ向かうために僕は電車を使って行った。
電車に乗ると、いつものように声が聞こえた。
「ねえ、あの人」
「ああ、あの人だ」
「電車に乗って何してるのかな?」
「なんかウキウキした顔して気持ち悪いんだけど」
「本当だ。キモい」
なんか気持ち悪いとかキモいとか言われているけど、僕は気にしなかった。
――いや、実を言うとすっごく気にしてる。
僕はメンタルが弱いのだ。
でも、なんで電車に乗っている人も僕のことを知っているのだろう?
いや、知っている風な口ぶりをするのだろう?
僕はなんで自分のことが知られているのかが分からない。
あのコンテストの影響だろうか?
本当にあのコンテストに僕の写真が貼り出されていたのだろうか?
それ以外考えられない。
それ以外の可能性がない。
ただ、なんでこんなにも知られているのだろうか?
あのコンテストは女性が見るものだろう?
なんで男性の知っているような声が聞こえるのだろう?
僕は一生懸命考えてみる。
――駄目だ。
理由が全然出てこない。
自分一人じゃ何も解決されない。
僕は悩みながら電車を出た。
試写会会場はもうすぐそこだ。
まだ、声が聞こえる。
「ねえ、あの人」
「ああ、あの人だ」
「どこへ向かっているのかな?」
「なんか悲しそうな顔して気持ち悪いんだけど」
「本当だ。キモい」
どっちにしろキモいんじゃないか。
キモいキモいっていい加減しつこい。
そんなにキモいなら鏡を見て確認してみる。
僕は会場のトイレへ向かった。
――確かに気持ち悪いかもしれない。
自分でも納得してしまった。
僕の髪は伸びきって女の子みたいだった。
そういえばトラウマなんだよな、髪を切られること。
僕はあの出来事を思い出していた。
あいつに……クチタニに髪を切られたあの出来事が脳内をよぎる。
僕はあの出来事が原因で髪を切ることが億劫になっていた。
髪が完全に伸びきるまで僕は髪を切る作業はしなかった。
母親から「気持ち悪いから早く髪を切ってよ」とよく言われるが、僕はあの出来事が原因で髪を切ることができなくなっているんだ。
ごめんね、母さん。
許してくれよ。
髪を切るのはもうちょっと後にしてくれ。
僕は再び試写会会場へ向かう。
試写会会場は映画館の中だ。
映画館のチケットを映画館の受付の人に見せる。
受付の人はチケットを千切って、半分になったチケットを僕の方へと渡す。
チケットをもらった僕は会場の前で待つことにした。
会場に待っていても声は聞こえる。
「ねえ、あの人」
「ああ、あの人だ」
「映画を見るのかな?」
「もしかして芸能人を見るのが目的じゃあないだろうな?」
「芸能人が芸能人を見るの?」
「それって何か意味があるの?」
僕は自分のことを芸能人だと思っていない。
でも、周りの人は僕を芸能人だと言う。
それが意味することはどういうことなんだろう?
――分からない。
やっぱり分からない。
自分一人じゃ何も解決できない。
誰かに相談した方が良いのかもしれない。
このままじゃ自分は確実に周りの重圧に押しつぶされる。
今のままじゃ駄目なんだ。
答えを知りたい。
だからここへ来た。
芸能人はどんな反応を見せるだろう。
僕を見て知っているそぶりを見せるだろうか?
普通はあり得ない。
あり得ないことなのだ。
僕はまだ有名になってないはず。
なのにどうして会場のみんなは知っているようなのだ?
僕を集団ストーカーしてるのか?
集団ストーカーをしているならそれは犯罪だ。
やってはいけないことなのだ。
みんなは確信犯なのか?
僕は知りたい。
――答えを。
この会場に来た意味はこういうことなのだ。
「『ビッグ・マエストラ』の会場はこちらです!」
会場に来場者は一斉に入っていく。
僕もチケットを見せて会場の中へ入っていった。
会場の中は人の塊で埋め尽くされていた。
――いや、言うほど埋め尽くされてはいないかな?
でも、会場の席はほとんど埋まっていた。
芸能人が来るというのは経済効果をもたらすのだろう。
「もう少し待っていてください! 会見はもうすぐです!」
司会者がまるで会場の人の意思を知るように答える。
早く芸能人に会いたい! という意思に。
「お待たせしました! 『ビッグ・マエストラ』の映画上映前に会見を行いたいと思います!」
舞台から芸能人と監督さんが出てくる。
芸能人たちの肌は白く、化粧で塗りたくっているようだった。
違和感は僕にでも分かった。
まるでお人形さんのようだ。
男女問わず肌は白い。
……芸能人ってこんな感じなんだ。
僕としてはあまりピンと来なかった。
普通の人間と何も変わらないじゃないか。
僕が思ったことはこんな感じだった。
アリムラという芸能人がマイクを手に持たされる。
映画の主役の人だ。
「本日、『ビッグ・マエストラ』の先行上映会にお越しいただきありがとうございます」
アリムラさんは健気に挨拶を交わす。
緊張している様子はなく、そこは芸能人の態度を保っているように見えた。
司会の人が次々と芸能人たちに質問していく。
この映画の見どころは? とか、映画に出演して思ったことは? とか。
芸能人たちはスムーズに質問に返答していく。
まるで機械のように。
ちゃんと訓練してあの場所に立っているんだな、と思った。
僕には、ああいうことはできるだろうか?
僕は訓令次第だと心で決めつけた。
質問が終わると、監督さんの話に移行していった。
監督さんが話をしている最中に、アリムラさんは周りを見渡す。
すると、僕の目とアリムラさんの目は、ピンと合った。
意識しなくてもピンと合うことは僕としても初めてだった。
アリムラさんは他の芸能人の人たちにヒソヒソ話しかける。
何を喋っているんだろう? と耳を傾けると、こう聞こえた。
「あの人だよね?」
「うん、あの人だ」
あの人……こんなふうに言われたのは芸能人では初めてだ。
芸能人たちは話を積らせていく。
「カトオノ君と同じコンテストに出場していたんだよね?」
「はい、そうですね。彼は色々と惜しかったなあ」
芸能人の男の人は見覚えのある人だった。
確か、僕が履歴書を送った、あのコンテスト出身の人か?
僕は芸能人たちが言った言葉が真実なのか気になった。
――いや、もうここまで来ると真実にしか聞こえない。
僕はあのコンテストにいいとこまで行っていたのだ。
確信した。
いつの間にか有名になった理由が、こういうことだったってことを。
有名になってしまったんだ。
そんなことを思っていると、アリムラさんが僕のことを見つめてきた。
ずうっーと、ずうっーと、見つめてくる。
僕が有名だからかな? と心の中で思った。
「さて、良い話が聞けたところで皆さんにお別れしましょう」
監督さんの話が終わると、芸能人たちは次の会場へ向かう準備をし始めた。
アリムラさんが会場を離れる。
その瞬間、僕はあのコンテストに出ていたであろう男の人にも見つめられた。
僕のことを知っているような眼をしていた。
またどこかで彼らに会えるような気がした。
「それでは、『ビッグ・マエストラ』を上映します! 皆さんお楽しみに!」
芸能人たちと監督さんが去っていった後、映画が上映された。