【私小説】消えないレッテル 第8話
*
相談できる唯一の相手として両親がいたので、すぐに私は相談していく。
私の両親は隣町のマンションでワンちゃんとともに暮らしている。
両親は、ちゃんと私の事情を知ってくれているので、状況の理解は早かった。
「これは、ちゃんと一樹のことを理解してもらうようにするしかないね」
「僕も、そう思う」
私は父に向かって言った。
今の父は過去に私を怒りで障害者にした父ではない。
その怒りは年齢とともに薄れていっている。
無理もない。
なぜなら私の父は膵臓を全摘出する手術をしている。
その影響が原因なのか、父は、どんどんと老いていった。
父の腹部には膵臓を取り除くときに付けられた大きな縫い傷がある。
お風呂場で父が裸になっている姿を何度か見ている。
それに、もう六十歳を超えているから老いるのは当然のことだ。
自然の摂理として、父の身体は確実に衰え始めている。
私は、そんな父に怒りを見せるほどの親不孝者にはなれそうにない。
「でも、どうすれば理解してもらえるようになるかな?」
「そうだな。会社の組合に相談してみるのは、どうだろうか」
「会社の組合?」
「組合って、会社と対立する立場の組織だろ」
「まぁ、そうだと、思いたいけど」
組合は会社の中に存在し、常に会社とバチバチ争って、その組合に入っている従業員のために給料を上げたりしてくれる重要な組織ではある。
けど、本当の組合は、そんなにバチバチ、会社と争う元気が備わっているのだろうか、と私は思うが、とりあえず、やれることは、やっていこうと私たちは決意した。
「明日、組合へ行って、相談してくるね」
「俺も組合に相談できるように書類を作ってみるよ」
「ありがとう」
両親、特に父と相談したことで心が少し晴れていく感じがした。
「一樹は、あの会社で初めての障害者の正社員になれるようにめざしていけばいい。一樹は、あの会社のパイオニアになりなさい」
私は父の、その呪いの言葉を受け入れながら、あの会社に所属するための人生を歩んできたのだ。
そもそも私は父なしに四年も働けていなかったのだから。
*
私が初めて、就職してしまった今の会社は、私を一年で雇い止めする予定だった。
一年目の冬、私に雇い止め通知を出した上司は「あなたのためを思って雇い止め通知を出しました。あなたは、この会社で、やっていける人材ではありません。今のうちに別の会社へ入り直すことをオススメします」と言った。
これを言われた私は頭の中が真っ白になった。
いや、なにも私は別に会社をサボる気持ちで働いていたわけでもなく、ただ、会社の窓際で、なんの仕事も与えられず、ただ、窓際のデスクにいる社員になってしまっていた。
なにも私は、それを望んでいたわけではない。
上司にも同僚にも仕事を与えられなかったのだ。
最初は大卒だからと、優秀な人材だと思われていた時期があった。
でも、会社は、まだ障害者差別解消法が施行されたばかりの時期で、まだ、障害者を雇うことに対して、なにもかもが慣れていなかったのだ。
だから、雇い止め通知が渡されたとき、私は両親のマンションで泣き崩れ、そのマンションの壁を殴り、壁に穴を開けてしまった。
部長と課長を殺してやると呪った。
けど、たとえ呪っても、なにも変わらないことを私は理解していたし、この状況が簡単にひっくり返るものではないと私は、そう思っていたのかもしれない。
だが、心のどこかで、この状況が簡単にひっくり返るような、なにかをやっぱり望んでいたのかもしれない。
そうだ。
それを思ったことが理由かは、わからないけど、その望みは簡単に叶ってしまった。
総務部の部長、私の直属の上司である課長、父、ハローワークの私の担当者、ジョブコーチが会社のある個室で話し合いをする中で、いつの間にか、私の雇い止め通知そのものが無効になった。
いや、なってしまったという表現が正しいのかもしれない。
私は二年目も今の会社で働けることを許された。
父の放った、怒りの言葉により。
私は部長と課長と父が議論している音声データを後日、父からボイスレコーダーで聴かされた。
『部長さんと課長さんは障害者差別解消法を知っていますか?』
『いいえ、知りません』
『わたくしも存じ上げておりません』
部長と課長が順に言うと、父は問い詰める。
『では、合理的配慮という言葉を知っていますか?』
『知りません』
『存じ上げておりません』
ここぞとばかりに父は切り札を出していく。
『障害者差別解消法には合理的配慮の提供義務があることをご存知ですか?』
『知りません』
『存じ上げておりません』
『合理的配慮の提供義務とは、障害のある人、障害者から社会の中にあるバリア、障壁を取り除くために、なんらかの対応が必要との意思が伝えられたときに、行政機関や事業者が、負担が重すぎない範囲で必要かつ合理的な対応をおこなうことです。ご存知でしたか?』
『いいえ』
『存じ上げておりません』
『それなら、なぜ、カミツキ・タケルを雇ったのですか? なぜ合理的配慮を知らないのに障害者雇用でカミツキ・タケルを採用したのですか? そして、なぜ、このような雇い止めをおこなったのですか? この通知書には、こう書かれています。能力不足のために解雇する、と』
『そうですが』
と、部長は言う。
『合理的配慮を理解していないと言いましたね。その合理的配慮の提供をおこなっていないのに解雇するのですか? なぜなのでしょうか? 私には理解できません』
父の、この発言から状況が段々と変化していき、いつの間にか会社側が私の雇い止めを不当なものだと判断したのだ。
こうして、私は二年目になっても今の会社に雇われ続け、四年目の今も、この会社で働いている。
*
私は、どこか、自分というものがないんじゃないかと思うことがある。
私が自分を感じることは、今までの人生において、あまりなかった。
私が自分を感じないのは、人生のレールが他人によって作られているような感覚になるからだ。
一回目の高校一年生を演じていたとき、私は自分の意志で高校を中退したというより、他人によるシカトによって中退させられた感覚に近い。
私は他人のせいにしなければ、他人に決められたと思わなければ、自分という器を維持できないと感覚で理解していたのかもしれない。
二回目の高校は父親に決められた。
けど、そこでもイジリという名のイジメをする人たちがいて、結局どこも同じか、と思い我慢して高校を卒業した。
その前の高校三年の夏、同じ下宿にいた同い年の先輩に説得という名の暴力、教育という名の暴力をされ、文系だった私は理系である薬学部に進学した。
そのときは先輩を人生の師匠として敬っていたけど、薬学部にいたバカどもがロクでもないイジリという名のイジメをおこない続け、勉強の邪魔をしながら、進級のかかった試験の日に私の筆記用具を隠し、私は薬学部を留年し、父が留年したことに起こり、珍名学部と転学を強制させられた。
そして、下宿の人生の師匠を呪い続けたことが原因なのか、大学一年と二年のときに二回、閉鎖病棟の入院を経験し、大量の単位を落としながらも、なんとか珍名学部を、大学を卒業し、今の会社に所属し、今に至るというわけだけど、私が私自身に自分を感じない理由は、つまり、そういう人生を歩んできたことが、そもそもの自我の喪失の原因なのかもしれない。
とは思いつつも、自我なんか喪失していないわ。
私は他人への期待を勝手に裏切ったと思いながら、そうして病気、統合失調症になり、同時に自閉症スペクトラム障害であることも判明し、障害者手帳を取得し、完全なる精神・発達障害者となった。
私は精神・発達障害者だから社会に所属することができない、と判断した、この社会を永遠に恨み続けていくことになるだろう。
無論、死ぬまで。
なにが言いたいのかというと、今、こうして自分が歩んでいる人生が他人によって意図的に作り出されているという感覚が常にあるということだ。
私は誰に操られているのだろうか。
本当の自分は誰にも操られていない自由な存在であるはずなのに、私は私の向かう道が見えない糸によって引っ張られている感覚が常にある。
これは統合失調症の症状であると私を担当しているお医者さんが言っていた。
でも、これは私に問題があるのだろうか。
なんでって、そんなの、決まっている、と私は断言したい。
要は鶏が先か、卵が先か、ということだ。
私を受け入れない学校社会と、会社での社会と、家族という社会が、私を否定することにより、その社会に所属する他人たちが仲間となり、私を追い詰めよう、追い出そうと結束し、そうして社会は、できあがる。
そういう感覚を持っている私の想いに気づく人がいればいいな、と思う。
私は社会によって、なるべくして障害者になった、という結論だ。
私を取り巻く環境が私を強制的に障害者にした。
障害者というマイノリティ的属性は弱者となり、非モテとなり、インセル的立ち位置としてバカにされなければいけない。
そういうレッテルを障害者である私たちの魂に刻み込んでいる。
決して消すことができない。
そう。
消えないレッテルとして。
現に障害者手帳を一度でも取得すると、その人が障害者であったという記録は一生、消えないらしい。
障害者であった事実は、社会が、国が、私たちの一度きりしかない人生をしっかりと記録している。
私の中に刻まれた消えないレッテルを切り刻んで塵にすることすらできない。
私は障害者という魂を持って、心が欠損しているという精神障害者のレッテルを一生、持ち続けるのだ。
だから、もう私が、どういう感じの人生を歩むかなんてのは、障害者の魂を持った私だから、すでに、もう決まっていることなのかもしれない。