【私小説】閉鎖の真冬 第9話(終)

  *

 あっという間に時間は流れ、僕の退院日になった。

 ――二〇二一年三月十八日(木)。

 いろいろあったけど、やっと閉鎖病棟を出ることができる。

 けど、それはコロナ禍の世界に戻るということになる。

 元の世界に戻るのは怖かった。

 デンショーくんもヘンドくんも心配してくれている。

「カミちゃんがアパートに戻れるか心配だよ」

 デンショーくんが、そう言った。

「カミちゃんは統合失調症も持っているもんね。また閉鎖病棟に戻ってこないようにならないと……」

 ヘンドくんが、そう言った。

 まあ、彼らは彼らで病気を抱えているんだけどね。

 そんな心配をされるほど、僕は子どもじゃない。

 でも、前へ進むしかないのは、誰だってそうだ。

 僕が行く世界は、ひとりぼっちかもしれないけど、それでも、この世界は捨てたもんじゃないように思える。

 この世界は残酷かもしれない。

 でも、こんな世界でも、いいと思えるものはたくさんあるんだ。

 だから、僕は前へ行く。

 今回の出来事は、そのための準備期間だったんだ。

 これからは前へ行くための努力をする。

 まずは「この小説」を完結させること……それが僕の目標なんだ。

 ……メタ要素は、これ以上いれないようにして、僕は前へ向かう。

 それが僕の結論だった。

 どんな世界が待っていようとも、僕は絶対にあきらめないから。

「カミちゃん、またね」

「元気でね」

 デンショーくんとヘンドくんが別れの挨拶をしてくれた。

「達者でな」

 ゲントーさんも見送ってくれた。

 僕は、この現実を忘れることがないだろう。

 間違いなく今回の閉鎖病棟での出来事は一生の思い出になった。

 今となっては、その記憶が少しずつ薄れていっているが、それでも前に進む手がかりを手に入れたような気がする。

 僕は全部の荷物を持って、閉鎖病棟を出た。

 まず、閉鎖病棟を出て、久しぶりに会ったのは両親だった。

 主治医がいる診察室で、両親は僕のことに関して真剣に話を聞いていた。

「……以上です。退院おめでとうございます」

『ありがとうございました』

 退院おめでとうございます、という主治医に対して、親子三人で、ありがとうございました、と言った。

 僕の課題は複数ある。

 まずは金銭管理を徹底すること。

 ムダなお金を使わないことが、必要になってくるだろうとのことだ(働いてないからな)。

 次に、よい睡眠時間の構築。

 睡眠時間を整えなければ、次に所属する会社で働けなくなるから、とのことだ。

 まあ、今は働けるほど、体は回復していないが。

 あとは生活力をつけることだ。

 掃除、洗濯、料理、整理整頓――要は衣食住だ。

 それらは生活することにおいて必須スキルだった。

 ゴミを出したらゴミ袋に入れて所定の場所に出す、脱いだら洗濯する、食べたら食器洗いをする、モノを汚くせず、キレイに整頓する、など、まあ、生活において当たり前に必要なことをしていくということだ。

 統合失調症という病気を抱えている身からすれば、それらを総括してやるのは、とても難しいことなのだ。

 けど、それらは生活力を上げるために必要なことなのだ。

 とにかく僕は、これらのことをやれるようにならなければいけないのだ。

 これが僕の課題であり、やるべきことだった。

 地味だけど、人間には、どうしても生活をする上で必要なことがある。

 衣食住が「生活をする」ということなのだから、とても大切になるのだ。

 正直、僕は、これらのことに対して両親に手伝ってもらっていたから、やる必要がないと思っていた。

 それが「親に甘えている」と主治医が判断したからこそ、これらの課題が必要になったのだ。

 正直、自立とか、めんどくせえと思うけど、やるべきことは、ちゃんとやらないと、と思う。

 だから、僕は、この日から、がんばらなきゃな、と思うのであった。

  *

 でも、別に、がんばらなきゃ、と、強迫観念に駆られる必要はないと思うのだ。

 人間は努力しようがしまいが、他人にとっては、どうでもいい。

 人は人をジャッジするとき、それはもう、とても残酷に品定めされるものなのだ。

 他人は簡単に他人を「そうである」と判断してしまう。

 そういう人間である、と断定してしまう。

 ジャッジして、点数に満たない者は「違う」と判断するのが人間なのだ。

 だから……それでも、他人に「違う」と判断されたとしても、自分のことくらいは自分が認めないと。

 心が自分を「違う」と判断したとしても、そうじゃない。

 他人にとって満たない自分を自分が受け入れないで、どうする?

 自分を幸せにできない奴が他人を幸せにできるか?

 できるわけがない。

 だから、どんなに他人に「違う」と思われたとしても、そうじゃないと思われても、そうである自分が自分である限り、諦めと受容が「自分」には必要になってくるのだから、その自分を認めることが幸せの一歩になるはずだ。

 そうしないと、いつまで経っても、満たされない自分が未完成のまま継続してしまう。

 私は、そんな私を愛するために生きて逝きたい。

 他人に社会不適合者だと思われて、がんばれない自分自身も受け入れる。

 そうしないと前へ進めない。

 できないことを認める。

 できることに目を向ける。

 私は私なのだから。

  *

 私は彼女のことが好きだった。

 それは私の人生において、一本の軸となる考えであった。

 彼女の見た目が好きだった。

 彼女の声が好きだった。

 彼女の雰囲気が好きだった。

 彼女のすべてが好きだった。

 けれど、それらのすべてが幻であり、彼女は彼女であって彼女ではない。

 彼女とは誰なのか?

 確かにわかることは、彼女は存在しない。

 僕が恋してた彼女はこの世界にいない。

 ひとりぼっちの世界で、ぽつんとしている。

 少なくとも、僕の頭の中には存在していた。

 でも、その感覚は、もう僕の中には薄れつつある。

 存在しない彼女の幻影を僕は求めていた。

 彼女の愛が欲しかった僕は眠るとき、彼女の夢を見る。

 僕と彼女は、そのときに出会えるのだ。

 僕の脳内に映し出される彼女は、とても美しくて可愛らしい。

 だけど彼女は、いない。

 もう、現実では会えない。

 この現実を受け入れるしかない。

 だから、僕は彼女を諦める。

 だから、僕はセブさんのことを好きにならなきゃいけないんだ。

 僕はセブさんに連絡を取ることにした。

 セブさんのことを好きにならなきゃいけないから。

 物事は諦めが肝心である。

 セブさんも美しくて可愛い人であるから。

 こうして僕は初めての彼女を作るための行動を開始する。

  *

 今回の三回目の入院の記録は以上です。

 一回目も二回目も三回目も真冬の時期でした。

 雪と嵐の印象が強い季節でした。

 もう四度目の入院は、したくありません。

 入院してしまったら、もう文章を書くことができなくなりそうだから。

 そして、自由が、なくなるから。

 私は今の世界は好きだよ。クソだけど。

 クソなりには好きだよ。クソだけど。

 そんなクソな世界を受け入れる。

 そうしないと自分を保てそうにないから。

 夏は好き。開放感があるから。

 冬は嫌い。閉鎖感があるから。

 病気が再発するのは、いつだって冬。

 それも雪が降り積もる真冬の季節。

 私は、そんな閉鎖的な真冬の季節が大嫌いである。

 それでも、この地球が廻っている限り、その季節は嫌でもやってくる。

 嫌だけど、受け入れるしかない。

 私が私を人間であると認めようとする限り、なにかしらの諦めがついてくる。

 そんなものだから、それが人間と地球の関係性だから。

 私は嫌だけど、閉鎖の真冬がある時期のことを心のどこかで追想したくなるときもある。

 振り返る必要はない。

 けれど、振り返りたくなる。

 私は過去に酔っている。

 私は私に酔っている。

 私は決して天才ではないけど、そんな馬鹿に近い私自身が好きな部分があるから、あの季節のことを思い出しながら文章を書くのである。

 誰かに読んでもらうため、私が私の過去を反芻するため、そんな私を受け入れるため。

 私は今日も書き続ける。

 自己満足のために。

 文章的自慰行為だとしても、私が好きだから。

 私に宿る好きのために、私は私になる。

 病めるときも健やかなるときも。

 今日も私は私である。

 私は、この世界では上月かみつきたけるというキャストとして演じ続ける。

 それは四季が訪れる毎日の今だ。

 私の宇宙船地球号は今日も鬱屈としている。

 私の神経は相変わらず痛いけど、それでも生き続けている。

 演技しない人間なんて、いない。

 私が死ぬとき、この私の世界は、なくなるけれど、別の人の世界は生きているのだ。

 わけのわからない文章が浮かぶ今日、私の今日は今日も今日として続いている。

 まだ、きっと、さようなら……できない。

 私が、それを望んでいるから。

 脳内神経が痛くても「続く」ことを望んでいる私は今日も書く。

 決して誰にも届かない自己満足のために。

 今できることをするために、私は彼女に好きだとは伝えないけれど、この現実を愛す努力をしよう。

 これが永遠の今日の私ができること。

 私は、いつかの明日の彼女に好きであると、いつか伝えたい。

 でも、そんなときは来ない。

 私は嘘つきだから。

 今の私はセブさんのことが好きにならなければいけない。

 この話は、いつかのどこかに続いていくはず。

 私のやる気次第で、いつか書くかもしれない。

 そんな可能性の話。

 わけのわからない私の物語は今も続くのである。

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