【私小説】神の音 第22話
*
二〇一三年一月二十五日、保護観察室から一人部屋へ移動することになった。
移動するという連絡を受け取った時の僕は、やっと解放されるのかと思った。
それくらい保護観察室という名の隔離室にいたことが苦痛だったのだろう。
僕は保護観察室に出た後は解放された気分の余韻に浸っていた。
それがとても心地良かった。
病棟の中を歩いていると、ホリニシという男の人のネームプレートが外されていた。
もう退院したのだろうか?
彼とはまた話がしたかったのだが……まあ、仕方がない。
一人部屋に入ってしばらく経った後に父さんと母さんがやってきた。
一人部屋になってよかったねと声掛けをしてくれた。
「そういえばワタリさんから手紙が届いてたわよ」
僕はすぐさま母さんから貰った手紙の封を切った。
早速手紙の中身を確認した。
『まずはご丁寧に手紙を書いてくれてありがとうございました。すごく嬉しかったです。こんな風に手紙を書いてきてくれたのは……カミツキ君、あなた一人だけです。本当にありがとう。では、写真の件ですが……ごめんなさい。私は今、就活の真っ最中なので他の人に連絡を取ることが難しい状況になっています。就活の件が落ち着いたらまた連絡したいと思います。何度も何度もしつこいようだけど、カミツキ君が手紙を書いて送ってきてくれたことは本当に嬉しかった。本当に本当に嬉しかったです。だから何度も言うけど、本当に本当にありがとう。また同窓会を開くことになったら必ず呼びます。ワタリ・ミユキより』
彼女の手紙には、あの音、あの声の情報が記されてなかった。
何か記載されていてもいいと思ったが、彼女は就活という忙しい状況の中、この手紙を書いてきたんだ。
ありがたいと思わなきゃ色々と損をしそうだ。
そう思わなきゃ神様に罰が当たるだろう。
就活って芸能関係だったりするのかな?
あの音、あの声の情報によるとだけど、彼女は番組に出演したことがある。
創造神ミラ……つまり、僕の彼女として。
彼女は僕を利用していたのだろうか?
――いや、そんなことを思うのはちょっと話が飛び過ぎかな?
あまりネガティブなことは考えないようにしよう。
時期は二月に入った。
僕は一人部屋から四人部屋に移動することになった。
いつまでも一人の部屋に閉じこもっているより、人のいる部屋にいる方が良いと主治医の先生が言っていた。
その勧めもあって、今は四人部屋にいるのである。
四人部屋に入ることになると、僕は交友関係を広めるために他の患者さんと仲良くするようにした。
デイルームで卓球をしたり、トランプで遊んだりした。
そんな風にしていくうちに、マツナミさんという人と色々喋るようになった。
僕は自分の気持ちをマツナミさんに正直に打ち明けた。
そうしていくうちにマツナミさんと僕の仲はより良いものになっていった。
そして二月に入って一週間が過ぎる前に僕の前に重大なイベントが発生した。
二〇一三年二月六日。
「今日はカミツキさんに大事なお話があります」
主治医の先生が言った。
父さんと母さんも僕のところへ来ていた。
先生は両親に向かってこくんと頷いた。
何かを言うメッセージだろうか?
先生は改めて僕の方を向いた。
先生は口を開く。
「カミツキさん、あなたはある病気に侵されています」
病気?
この僕が?
先生は再び口を開く。
「あなたは双極性障害という病気に侵されているのです」
「そうきょくせい……しょうがい?」
「そう、旧名は躁うつ病という病気で躁状態と、うつ状態を繰り返す病気です」
「……繰り返す?」
「気分が上がったり、気分が下がったりする病気です」
いまいちピンと来なかった。
それって普通の人間には誰しもが持っている機能じゃないのか?
「MRIで脳の断面図を確認したところ、脳に損傷はなかったのでよかったのですが、次に発症したら脳は破壊されてしまうでしょう」
脳が破壊される?
嘘だ……そんなのが僕の現実なわけがない。
「あなたは今まで見てきたもので違和感を覚えたものはありませんか? 例えば、この世に存在しないようなものが見えたりとか?」
この世に存在しないもの?
もしかして魔女のような顔をしたジェントルマンとか、ルービックスネークの形をした蛇とか?
「……または、誰もいないところで声が聞こえたりとか?」
あの音、あの声のことを言っているのか?
「これを、幻視、幻聴と呼びます。まあ、総括して言うなら、幻覚と呼ぶんですけどね。あなたは今まで幻覚を見て、聞いて、体験していたわけです」
……は?
今までの体験が全部嘘だったって言いたいのか?
まさか。
そんなわけないだろう?
僕はこの目で、この耳で実際に体験しているのだ。
それが全部嘘っぱちだなんてあり得ない!
「まるで何もかも信じられないような顔をしてますね。……ですが、これは事実です。現実なんです。これはあなたが背負っていかなきゃならないものなんです」
「先生、この病気は……僕の病気は治るんですか?」
「いいえ、この病気は慢性的なもので今の段階では一生治りません。だから薬物療法をしてコントロールしていくのです。一生……これからずっと」
これからずっと。
この言葉は重かった。
一生分の重さを感じた。
もう……どうなっちゃうんだよ、俺……。
クチタニを呪ってしまったことが原因でこんなことになったのだろうか?
僕はクチタニを障害者だと蔑んでいた。
まさにブーメランとなって返ってきたというところだろうか?
はあ、溜息も出ない。
……出てるけど。
僕は今日の出来事をマツナミさんに話した。
するとマツナミさんはこう言ってくれた。
「僕も同じ病気にかかっているんだ。まあ、双極性障害というのは、脳に異常がない場合にしょうがなくつける病気なんだ。だから双極性障害という言葉にとらわれるくらいに落ち込む必要はないと思うよ」
「マツナミさん、ありがとう……」
こういう時に人の支えって大事だなあって思う。
僕はまだ恵まれてる方だ。
そう確信した。
確信した瞬間、またどこかから声が聞こえた。
「おい、カミツキって双極性障害だったのかよ」
「うん、どうやらそうみたいなんだ」
「双子座のAB型で双極性障害って何だか関連性があるみたいだね。三つの名称とも二つに関連している感じがするし」
「あー、確かに。何だかすごいね、それ」
もう黙ってろ!
僕の脳を破壊するようなことをするんじゃない!
そんなに僕を僕じゃないようにしたいのか?
いい加減にしろよ!
そう心の中で思った瞬間、声は消えた。
よかった。
自分でコントロールできるようになったんだ。
「カミツキ君、どうしたの?」
マツナミさんが尋ねてくる。
「え? あ、ああ、大丈夫です。何でもないです」
あの声は完全に消えたといいんだけど……。
二〇一三年二月十四日、バレンタインデーの日である。
だが、僕には縁のない話だ。
病院に入院しているのだ。
貰えるわけがないだろう。
少しワタリさんに期待してるがどうなんだろうな?
そんなことより身体が震えて仕方がない。
一週間前に処方されたリーマスとジプレキサのせいだろう。
僕は副作用が出やすい体質で簡単に薬の影響を受けてしまう。
勉強にも影響を受けてそうで集中力が起きない。
もう駄目かもしれない……。
「タケル、ちょっと話がある」
母さんが僕のところに訪ねてきた。
何か話があるみたいだ。
話を真剣に聞くためにデイルームへ移動する。
「実は、ワタリさんのことなんだけど……」
「ワタリさんがどうかしたの?」
ワタリさんに何かあったのか?
母さんの顔は真剣だ。
僕は耳を傾ける。
「タケル、ワタリさんにメールしてたことがあったでしょう? その時に実は私のところから電話がかかってきたの、ワタリさんから」
「え?」
ワタリさんと母さんには繋がりがあったのか?
僕がメールしてた時に。
「落ち着いて聞いて。ワタリさんはタケルから変なメールが来たと連絡をくれたの。『カミツキ君の様子がおかしいです』って。その時に父さんと私はあなたが病気にかかってるんじゃないかって思うようになったの。だからもしワタリさんがいなかったら、あなたはどうなっていたことやら……」
つまり、ワタリさんが僕のことを病気だと思っていたのか?
「私はそのことを喋らないでほしいと頼まれたわ。『絶対に喋らないでください!』って念を押されて。もうあなたには話してしまったけど、それはあなたにワタリさんがあなたのことを救ってくれたことを認識させるためなの。だからワタリさんには感謝なさい」
……僕のことの病気だと思っていたんだな、彼女は。
ショックだった。
僕は彼女にこう思われていたんだ。
精神疾患を患っている病人だと。
もしかしたら軽蔑されていたのかもしれない。
僕は彼女に謝った方が良いんじゃないか?
迷惑をかけたし……。
「一応言っておくけど、ワタリさんに対してこのことを喋ったら駄目よ。謝っても駄目。秘密にしておくのは彼女のためでもあるんだから」
母さんには僕の心が読まれているみたいだった。
僕は彼女と話がしたかった。
何でもいい。
楽しい話をしたい。
でも、もう知ってしまったんだ、彼女のことを。
純粋な気持ちで話はもうできないと思った。
心の濁りが加わってしまう。
そんなことを思った瞬間だった。
「助けて!」
ワタリさん?
ワタリさんの声が聞こえる。
……僕に助けを求めているのか?
……いや、違う!
これは幻聴だ。
幻聴なんだよ、これは。
僕は自分のことを病人だとは思いたくない!
だけど、それがワタリさんの迷惑になるなら、やめた方が良いのかもしれない。
僕は助けを求められてもそれがワタリさんだと思わない。
思わないようにならなきゃいけないんだ。