【私小説】神の音 第23話(終)

  *

 二〇一三年二月二十八日。

 駄目だ。

 もう限界だ。

 音が聞こえる。

 声が聞こえる。

 この二週間ずっと我慢して耐えてきたけど、耐えることは無理だと身体が告げている。

 クチタニがついに動き出したのだ。

 クチタニがワタリさんのことを襲い、世界を滅ぼすという犯行声明を出したのだ。

 まるでゲームのように事が進む。

 僕は何が現実で、何が幻覚なのか認識できなくなっていた。

「助けて!」

 ワタリさんの声が身体に響いてくる。

 身体がもうワタリさんを助ける体勢になっていた。

 僕はもう認識することにした。

 自分の認識していることが現実なんだと――

「ワタリさん、今、助ける!」

 僕は声を荒げて周りに指示を出す。

 ワタリさんを……この世界を救う方法を順々に言っていった。

 すると、周りから歓声が飛び交った。

「すごいぞ、すごいぞ! これが創造神ミラの力だ!」

「いや、違う! これは一人の人間の力なんだ! カミツキ・タケルという一人の人間の力なんだ!」

 僕は笑った。

 この世界は僕を祝福してくれる。

 これが僕の現実なんだ。

 どこかから司会者らしき人が声を出した。

「『ビッグ・マエストラ』に出ていたアリムラさんからカミツキさんにコメントがあるそうです」

「アリムラです。カミツキさん、あなたはすごいことをしました。私の出演していた映画を見に来てくれた時、実は何かするんじゃないかなあと思ってました。これからもワタリさんとお幸せに過ごしてください!」

「次に朝の顔でお馴染みのあの魔法使いのヒーローからコメントがあります」

「どうも、カミツキさん、こんばんは。あなたはヒーローになりたいと心から願っていたみたいですね。ですが、あなたはもうなってしまったようです。本物のヒーローに。だからわざわざ朝の顔にならずとも充分な活躍をしていると思います。だからもう無理してヒーローになる必要はないと思います。これからは身体を休養させてじっくりと活躍してください!」

「ありがとうございます! 次に……ワタリさんに話していただきましょう!」

「ワタリ・ミユキです! カミツキ君、あなたは私を助けるために色々奮闘してくれたみたいですね。こんな私のために……本当に本当にありがとう! ……これからも私のそばにいてくれますか?」

 ああ、一緒にいるよ、いつでも、どんな時でも。

「ヒューヒュー!」

 あ、もう分かっちゃったんだね。

 心の声を読み取られたか。

 はは、参ったな、降参だ。

「カミツキさんの心の中にはワタリさんがいるんですね」

「私、感動しました!」

 司会者らしき二人の声が聞こえる。

 僕はそれにお構いなく声を出して思いっきり言った。

「ワタリさん、僕は……君のことが……好きだ! これからもずっとずっと一緒にいてくれますか!」

 おおっ、と歓声が上がる。

 ワタリさんは顔を赤くして答える。

「……はい! ずっと一緒にいましょう!」

 ヒューヒュー! と周りから歓声が上がる。

 僕の中に嬉々という感情が芽生えた。

 僕は口を開く。

「ありがとう! ずっとずっと一緒にいようね!」

「ええ、これからもずっと!」

 周りから拍手の音がたくさん響いた。

 耳が痛くなるほどの大音量だ。

 僕の身体は何だか楽になったように感じられた。

「カミツキ君、カミツキ君!」

 何だよ!

 こんな大事な時に!

「カミツキ君、君は……いったい何をやっているんだ?」

 マツナミさんだ。

 マツナミさんからは何だか軽蔑の眼差しを向けられていた。

 ――僕はいったい何をやっていたのだろう?

  *

 二〇一三年三月一日、IQテストの結果が返ってきた。

 僕のIQは九一だった。

 その数字が何を示すのかは分からないが、九一という数字の響きは好きだった。

 だって僕は一九九一年生まれだし、関連性がありそうだよね。

 マツナミさんがIQテストの結果を知りたいと聞いてきた。

「僕のIQは九一です!」と元気よく答えた。

 すると、マツナミさんから「……やっぱりな」という言葉が返ってきた。

 なんでだろう?

 マツナミさんは口を開いた。

「君はIQの平均値が一〇〇ということ知っているかい?」

 僕は首を横に振る。

 マツナミさんは再び口を開く。

「つまり、君はIQ九分バカという訳だ。通りで今まで話がかみ合わないなと思っていたよ」

 僕はマツナミさんに今までバカにされていたことを今の言葉で気がついた。

 僕はクチタニに見せられた映画、『フォレスト・ガンプ/一期一会』の主人公、フォレストと同程度の知能指数を持っていたということになる。

「僕は昨日の君の出来事で思ったんだ。君は流されやすい奴だって。自分の信念をある程度は持っているようだけど、それをまったく実行しようとしない。つまり、君は口だけの人間なんだ。『編入しよう!』と口だけは達者のようだけど、僕の言った勉強法をまったくやらなかっただろう? 正直、君の言ったクチタニという人に同情するなあ。クチタニの気持ちは分かるよ。君を見てると本当に殴りたくなってくる……」

 そうか、僕は口だけの人間なんだ。

 僕は何もない空っぽの人間なんだ。

 だから簡単に幻聴にも惑わされてしまう。

 マツナミさんの言葉が重荷になったとき僕は思った。

 ――僕は本当に人間なんだろうか?

  *

 二〇一三年四月二十四日、僕は病院を退院した。

 幻覚は完全に消えたわけではなく、まだ見えたり聞こえたりしたが、とりあえず安定はしてきてるのでOKということになった。

 幻覚が見えたり聞こえたりしたら神経を傾けないで無視をしろということだった。

 あれからマツナミさんとの関係は消えてなくなった。

 彼のIQは一一六で一緒に「IQ九上げる同盟」というのを結成したが、IQの差で仲違いが起きてあえなく解散となった。

 IQの差で関係が築けなくなるのは考え物である。

 彼は僕が障害者手帳を取ることにあまりいい目で見てはくれなかった。

「君はあんな人らと一緒になる気かい? 言葉もろくに話せない奴と同じ扱いになるんだぞ。君は軽蔑の目で見られることに耐えられるのか?」

 僕は反論した。

「マツナミさんだって同じ病気じゃないか」と言った。

 すると、彼はこう言った。

「僕は違う。あんな奴らと一緒じゃない。それに僕の父さんは障害者が大嫌いなんだ。手帳なんか取れるわけがないだろう」

 僕はこの言葉を聞いた時、手帳を取るのを躊躇ったが、父さんと母さんが反対した。

「タケルが一人の力で生活できるわけがないだろう? 手帳は絶対取るべきだ」

 僕は渋々手帳を取ることにした。

 大学では、一年の後期の時に病院にいたことで、試験を受けれずに大量に単位を落としたのだが、何とか二年に進級することができた。

 編入するための六十単位は取れなかったが。

 僕の計画では、一年のうちに六十単位を取って、二年は学校に通わずに編入の試験勉強をして、編入することだったが、それはもうできそうにない。

 僕の計画は狂ってしまった。

 だが、二年になってからは同い年の友人が二人できた。

 薬学部を留年してきた人らだ。

 同い年の友人は久しぶりだったので嬉しかった。

 でも、僕はある点ではショックだった。

 障害者手帳を持っていることを軽蔑されたのだ。

「精神障害者手帳って頭に欠陥があるって言ってるようなもんでしょ?」

 その一言が僕を傷つけた。

 僕だって取りたくて取ったわけじゃない。

 望んで障害者になったわけではないのだ。

 誰だって普通になりたい。

 そうだろう?

 僕はいつだって一人だ。

 このままじゃ本当に孤独なままだ。

 そんな思いを持ちながら僕はワタリさんにメールをすることにした。

 でも、もう間に合わなかった。

『私ね、実は彼氏がいるんだ。だからもうメールするのはやめてくれない?』

 こんなメールが来たのだ。

 僕は泣いた。

 あんなに愛し合っていたのに。

 でも、それは幻覚の中だけの出来事なのだ。

 正直なところ、幻覚が僕の真実であり現実であってほしかった。

 いや、幻覚は僕の中の真実のひとつであり現実なのだ。

 でも、これが本当の真実であり現実であると知った後は、僕の神経にダメージが起きそうだった。

 ああ、もう僕は駄目かもしれない。

 僕は街の中をさまよっていた。

 気分が完全にダウンしてるのだ。

 何か僕にとって特別なことが起きてほしい。

 そう思いながらこの街をさまよっている。

 何かに期待したっていいじゃないか。

 人間だもの。

 そんなことを思っていると、見覚えのある顔が僕の前を通り過ぎた。

 ワタリさんだ。

 ワタリさんが僕の前を通り過ぎた。

 僕は彼女を追いかけて抱きしめた。

「カミツキ君……」

 彼女の声が懐かしい。

 僕は心の中でこう叫んだ。

 たとえこれが幻覚だとしてもこの感覚は本物なんだ。

 もう二度と離さない。

 僕の脳が破壊されても。

「おめでとう」

 誰かが僕の耳に囁いた。

 僕がやったことは本当だったんだ。

 本物なんだ、この感覚は。

 僕は瞳に涙を籠らせた。

「ありがとう」と僕は言った。

 すると周りから拍手の音が響いた。

 本物の祝福が僕に向けられた。

 僕はこの世界を革命したんだね。

 僕は瞳に籠っていた涙を流した。

 涙を流した瞬間、誰かがまた僕の耳元で囁いた。

「ねえ、この物語ってハッピーエンドかな? バッドエンドかな?」

「さあ? その答えは神のみぞ知る」

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